AK74
性能:

全長        940mm
銃身長       475mm
重量        3.42kg
使用弾薬  5.45mm×39
装弾数        30
連射速度    650発/分
初速        900m/s


左は自作です。
コミケで2冊しか売れなかったエロ同人の表紙絵のをそのまま流用しております(汗
 いつの時代も戦争は新兵器の実験場でもあるのだが、アメリカが直接武力介入したベトナム戦争でも例外なく、いくつかの新兵器が登場した。特に小口径ライフルという新ジャンルの歩兵用ライフルの投入は画期的だったといえる。それまでのアメリカ軍の歩兵用ライフルはM14自動ライフルだった。7.62mm×51弾を使用したフルオート可能なライフルだったが、不必要に威力がありすぎて、ジャングル戦で接近戦が多かったベトナムの地勢に適さなかった。戦争中にもかかわらず歩兵用ライフルが5.56mm×45弾という一回り小さい小口径のM16突撃ライフルが採用され急速に交代していった。普通は戦争中に歩兵用ライフルが一気に更新されることはない。一気に更新しなければいけないほどアメリカ軍はM16突撃ライフルを欲していたことになる。M16突撃ライフル自体、さまざまな欠点を抱えていたがベトナム戦争の戦訓で絶え間無い改良および使い方の注意事項がフィードバックされアメリカ軍のベストライフルとなっており、今でも(2003年10月現在)改良されつつ今でも使われている。

 さて、M16突撃ライフルが採用されて世界各国が注目した点はその小口径にあった。19世紀の黒色火薬を使っていた時代は17mmとか口径が大きかった。黒色火薬は燃焼が早く銃弾を押し出しきる前に燃焼しきったので初速が出せなかった。19世紀末に無縁火薬が発明されると燃焼速度がゆっくりにできたため(ゆっくりと言っても0.001秒単位の世界だが)無駄なく銃弾を前進させる力にできたため初速が今までの3倍にもなって、口径を落としても威力はかわらなかった。一気に8mmクラスにまでなったが、それ以下にするには消極的だった。各国で6mmクラスのライフルが試されたが「威力が劣る」というのが共通した見解だった。当時は機関銃が発明されており、その機関銃の重いボルトを動かすには6mmクラスではパワー不足だった。また機関銃は2km以上の遠距離射撃を実施することもあったから6mmクラスよりも8mmクラスの方が残存威力は高いから8mmクラスの方が実用性があったのは言うまでもないだろう。特に、航空機が登場すると、対空用としての機関銃もクローズアップされたため余計に機関銃に威力が要求されていった。威力だけではなく、対空用だと弾着が見えないために曳光弾は絶対に必要だったが、6mmクラスの弾薬では当時の技術では曳光弾を作ることができなかった。機関銃銃弾に歩兵用ライフル銃弾を合わせる必要があったせいもあり、6mmクラスの小口径ライフルは廃れていったという経緯があった。

↑AK74のマズル部分の詳細。個人的な意見ながら、AKシリーズは簡単に
作れるというのがウリなのにこんなに複雑に作っていいのか?(^^;)
 歩兵用ライフルの小口径化を最初に行ったのは上で書いたようにアメリカだが、ソビエトがどのような経緯で小口径弾薬に興味を持ったかといえば、ベトナム戦争以外に理由が考えられないが実際の所はよく分からない。ソビエトで同様の試験が行われたかは分からないが、アメリカで行われたテストでAK47とM16の射撃試験の結果では、威力(ジュール)では大差がなかったものの、貫通力ではAK47に軍配が上がった。ただし人体ゼラチンを使った試験では内部破壊ではM16が上だった。ようはAK47はただそのまま人体を貫通してしまうだけだったのだ。よく小口径弾は「撃たれた兵士が死ぬ確率が減って負傷するだけで済むから人道的である」というのは誤りだと言える。また、小口径弾は致死率が低いという俗説から

「戦場では敵兵を殺すよりも負傷させたほうがいい。なぜなら死ねばその場で埋められるだけだが、負傷したら後方に護送させなきゃならないし、その兵士を割く必要があるからその分敵兵の数が減る」

 とも言われるけど、たしかにそうとも思えるが実際には根拠の無い話である。大抵の国では指揮官に対しては「突撃時に負傷兵が出ても看護の兵を残すことは許されない」という教育がなされているし、ストレートにいえば、戦う兵士にすれば敵の攻撃を黙らせるには敵を殺す以外にないのである。小口径弾は装甲目標に対してはたしかに無力だが、対戦車兵器類が発達している現在では対人専門の小口径弾でも問題はないという理論といえる。


↑AK74の射撃時のガス拡張図。ガス噴射の
合力で左下に銃身を押し下げるようにします。
 後にAK74と命名されるソビエトの突撃ライフルがいつからその要求がなされたのか、いつから設計が開始されたかは良く分からない。上でも書いたように、ベトナム戦争でアメリカが小口径弾を使うM16を使い出した影響だろう(資料によってはソビエトが先に小口径弾を実用化しようとしていたとするのもある。ようは実戦に出なかっただけとしている)。実際、それまで使われていたAKMと比較しても外見上で大差はない。AKMの小口径バージョンといったほうが正解だと思うし実際にもそうだろう。実際、銃剣などのアクセサリーは同一だし、ほぼ同時期に採用されたGB15グレネードランチャーはAK74とAKMには無加工で取付が可能である。
 違っているのは使用弾薬だけではなく、外見上で一番違っているのはマズル部分のフラッシュハイダーでで右図のようにかなり凝った形状となっている。AKシリーズは射撃時に銃口が射手から見て右上にもっていかれるような反動がくる。また、いくら突撃ライフル弾は普通のライフル弾よりも威力が弱いとはいえ反動も相当なものとなる。まぁ別に肩にガツン!とアザができるくるというのではないが、銃口が踊るためにフルオート射撃時には狙いが定められない。そのためAK74ではフラッシュハイダーを凝った作りにしたのだろう。
 右図のようにフラッシュハイダーが筒型で中は燃焼ガスの拡散室となっている。この拡散室にはガス抜きの子穴が3つ開いている。右図のように上に2箇所とあと射手から見て右に1箇所開いている。これは射撃時のガスで銃口を左下に押し下げるようになっている。また前部に大きな開口部があるが、これは大砲のマズルブレーキと同じ役割となっている。ようは銃弾の発射時のガスがここから開口部の前に当たってそのガスが銃自体を押すようになっている。1発1発撃つ大砲ならともかく連射する銃のために、ただ開口部を開けただけでは横に発射ガスが出てしまうので、開口部後ろにスリッドを設けてここからもガスを出してカーテンとし、横に発射ガスが抜けないようになっている。
 このフラッシュハイダーは成功作といえ、反動がそのまま後ろにくるといわれており、連射時のコントロールも楽だと言われている。ただ、反動軽減のほうはあまり成功はしていないようで銃口が上にいく力が後方にも加わったからだろうか?


↑AK74の射撃時のガス拡散図。図では斜め前方にガスが拡散しているようになるが、
実際には真横にガスが噴射されている。恐らく反射したガスが結構強く、ガスカーテン
との合力で真横にいくのだろうか?ともあれ、ガスが後方に出るのは防いでいる。
 AK74は1970年代中頃にソビエト軍内で急速に変更がなされた。当時のソビエトは戦争をしているわけではなく、普通なら、じわじわと更新していくところだろうが、とにかく一気に更新された。アメリカのベトナム戦争における小口径ライフルの採用が引き金になったとまことしなやかに囁かれたが、今考えてみるならば、この時点でソビエトはアフガニスタン侵攻をするハラだったのだろうか。

 AK74は今でも生産が行われており、また諸外国でも生産されている。冷戦崩壊後AK74は西側の弾(5.56mm×45弾)を撃てるように改造されたAK74も外貨獲得のために生産されているし、バリエーションは数多い。
 軍用制式のバリエーションといえば、折りたたみストックにしたAK74Sがある。AKMまでの回転ストック式ではなく、射手から見て左側に折りたためるようになっている。回転式にするとガタがきやすいからだろう。
 また小口径にしたために銃身を短くできたためより短縮形のAKS-74U(通称クリンコフ)も設計・生産された。小型で取りまわしもよく、特殊部隊で使われている。
 分隊支援火器のRPK-74はストックの形状を変え銃身を長くしてバイポット(2脚)を付けて45発弾倉を装備した型で、分解方法などはほぼ同一のためにAK74の訓練を受けた兵士なら同一操作で扱える利点がある。ただ銃身交換ができないなど分隊支援火器としての不都合な欠点はある。ちなみに、弾倉は普通のAK74の30発弾倉も使用可能となっているが、これまでのソビエトの分隊支援火器で必ず作られたドラム弾倉は作られなかった。生産が手間だし銃弾の装填も手間だし持ち運びも手間だし、だいいち銃身交換ができないのだから連発が難しいためでもあったろう。