PTRS1941
性能:

全長      2130mm
銃身長     1220mm
重量       20.8kg
使用弾薬    14.5mm
装弾数       5
装甲貫通能力
 500m角度0度で25mm


左写真は吉田さんからいただきました。ほんとありがとうございます
≦(_ _)≧
比較対照として、左上に現在の12.7mm狙撃ライフルのバレットライフルがあります。PTRSがデカい!というよりも、バレットライフルがコンパクトだなという印象を受けますね。

 1916年、第1次大戦の真っ只中、ソンム戦線でイギリス軍が戦車を世界で初めて投入した。当然の事ながら戦車にはライフルの弾丸では致命傷を与えにくい。初期の頃は手榴弾を束ねて爆発力で装甲を貫徹させていた。後に対戦車ロケットなどに発展していく部類といえよう。また砲弾を地面に埋めて踏んだ時に爆発させる手段も用いている。これは後に地雷として発展していく事になる。第1次大戦中に開発・研究されたのにもう1つ、初速を早くしたライフルを用い速度で装甲を貫徹させるというものだ。それが対戦車ライフルである。

 このソビエトのPTRS1941ライフルは他の国の対戦車ライフルは普通のライフル弾と同一か13mm前後であったのに対して、口径が大きく(初速が同じなら口径が大きい方が弾が重たくなるので威力が増す)威力は十分だった。だが戦車の装甲は年々厚くなっていき対戦車ライフル自体が時代遅れになりつつあった事は否めなかった。

↑土浦の武器学校にあるPTRS1941。
左右の銃器がいずれもデカ物なのであまり大きくは見えないが、
実物はかなり長い。
 PTRS1941は名前から分かるように1941年に採用された。採用月はわからないが10月前後と想像される。開発経緯は、ソビエト側の主張だと独ソ戦初期に12.7mmの対戦車ライフルが役に立たなかったから急遽14.5mm口径の対戦車ライフルを開発・採用したとされる。実際に、そんなに都合よくすばやく開発できるとは思えない。実際の所は、前年のソ・フィン戦争(冬戦争)で威力不足が露呈したために開発されたとも言われる。実際には良くわからない。また、なぜ14.5mmという数字なのかもよくわからない。まぁ、恐らく「12.7mmでは威力がない。20mmだと重量が重たくなる。14.5mmぐらいがちょうどいいかな?」な感じなのだろうと思える。余談ながら、ロシアでも12.7mm機関銃が使われているが、アメリカのブローニング12.7mm機関銃の薬莢長が99mmに対して、ロシアの12.7mm弾の薬莢長は106mmもあり、当然威力は上だった。ともかく、威力があるのがお好きな国というのがロシアなのだろう。ちなみに、14.5mm口径弾は重機関銃弾としてよほど気に入ったのか、戦後も使われることになった。2001年12月の不審船騒動で沈没した不審船から引き上げられた際の連装機関銃も14.5mm口径だったし、銃弾もこのPTRS1941の弾と同一だった。

 第2次大戦が始まった頃。当時のドイツ戦車の装甲は横や後ろは薄かったので、PTRS1941もそれなりに活躍した。独ソ戦初期のドイツ戦車は2号戦車で最大15mmで、3号戦車や4号戦車でも最大30mm程度だったから、ある程度近距離ならば正面からでも十分貫通は可能だった。ドイツ戦車は斜面装甲を採用していなかったので、かえって真正面から撃ちこんだほうが貫通能力は高い。いうまでもなく300m程度から撃ちこむ必要があったから、射手は相当な勇気が必要だったのだが。しかし中期のティーガー1重戦車やパンター戦車などの重装甲の戦車には効果がなかった。ただし、使用用途を対戦車戦闘から、非装甲車両を狙ったり、拠点攻撃に使用されるなど、それなりの活躍はみせている。これもセミオート射撃が可能だからこそだろうか?。独ソ戦初期にはこの対戦車ライフルを対空射撃に用いている写真が残っているが、いくらセミオートとはいえ、高速の飛行機には当たらなかっただろう。もっとも当たれば結構なダメージは与えられるだろうけど。

 第2次大戦終了後。対戦車ライフルはATM(Anti Tank Missile・・・対戦車ミサイル)に座を奪われた。運動エネルギに頼る限りは戦車の装甲を貫くことはもはや不可能となっていたのだった。しかし直系の子孫ではないが大口径銃弾を使用して狙撃ライフルみたいな使用方法もあった。実際に湾岸戦争では、上の写真の左上に写っているバレットライフル・・・12.7mm口径の重機関銃弾を使用した狙撃ライフルが3キロ先のトラックを炎上させたと言われる。

 PTRS1941は、ルパン三世の映画の「カリオストロの城」のラストの戦闘で次元大介が使用していた対戦車ライフルとして知られている。そういう意味では、日本でも馴染みのある対戦車ライフルであると言える。