Gew43
性能:

全長      1117mm
銃身長     549mm
重量       4.40kg
使用弾薬 7.92mm×57
装弾数      10
初速      775m/s

左の写真はAndy太郎さんからいただきました。ほんとありがとうございます。
≦(_ _)≧
 ドイツにおける自動ライフルの開発は意外と早い。オーストリアの、V・マンリヒャーがいくつかの自動ライフルを試作している。当時においては自動式のライフルは作動においてまだ完全なものがなく、試作に終わったのだろう。実際の所どういう作動方式だったのかは良く分からない。第一次大戦初期にドイツの航空隊では自衛用のライフルのためにメキシコのモンドラゴン自動ライフルを購入していた。第一次大戦初期の頃の飛行機は機関銃をまだ搭載しておらず、航空兵は自衛用に銃器を携帯する必要があった。拳銃が使われてもいたが威力がないためにライフルを所有していた。ボルトアクションではいちいちボルト操作の必要があるので自動式が好まれたのがモンドラゴン自動ライフルを採用したきっかけでもあった。後に航空機に機関銃が搭載されると、ライフルが使われなくなった。このモンドラゴン自動ライフルを参考にして歩兵用の自動ライフルが試作されたが、重量がやたらと重たく地上戦闘には向かなかったといわれている。また決定的な弱点として、当時はまだ自動ライフルの用兵が確立されていなかったし第一当時においては自動ライフルの構造は発展途上で埃や泥に弱いといった欠点を抱えていたため、重量面が解決されても全歩兵が装備するには至らなかっただろう。ドイツの敵国フランスでも大戦末期に自動ライフルを実験的に大量に投入しているが、第二次大戦直前にボルトアクションに回帰した。その理由の主たるものは作動性能が安定していなかったという理由が1つに挙げられていた。

 ドイツにおける自動ライフルの本格的開発は1935年頃とされる。ヴォルマー社のハインリヒ・ヴォルマーが自動式ライフルを試作しSG29(Selbstade Gewehr29。日本語に訳せば29型自動ライフル。M35とも呼ばれる)を作った。20発着脱式弾倉装備の1000発/分の発射速度を有したという。ドイツ陸軍兵器局に売りこみを計ったが採用はされなかった。めげずにヴォルマーは改良型のM35Aを作り、今度は試験に回された。クンメルスドルにある陸軍の実験場での試射結果は散々たるものだった。発射速度が早かったこともあるだろうが、ジャムが多発した。無論採用はされなかった。まためげずにヴォルマーはM35Aの改良型のM35A2を作り上げて陸軍兵器局に売りこみを行った。どういう改良をなされたのかは分からないがこれも実験場で試射されて、今度はちゃんと作動したという。13000発も発射実験を行い、特に問題は生じなかった。ただ、陸軍兵器局から、「このM35A2には潜在的な欠陥がある」事が指摘され、今度も採用されなかった。その潜在的欠陥というものがどういうものかは分からない。もっとも、7.92mm×57弾のような普通に撃っても辛い弾を、ライフル程度の重量で連発して撃つのは実用的ではないと結論つけたのだろうか?
 ただ、それでも、ヴォルマーはめげなかった。自分が自動ライフルを開発した同時期にグスタフ・ゲンショー社が開発したミッテルパトローネ(中型弾。どういう寸法なのかは不明)を使用した自動ライフルを開発した。中型弾というぐらいなのだから、威力はライフルと拳銃の中間なのだろうと想像されるが、どういうものなのかはわからない。早かった発射速度を300発/分まで落としてこの弾薬を使った自動ライフルを試作しドイツ陸軍兵器局に売りこんだ。この自動ライフルはM35Aという名称で、上のM35Aとは別物でややこしい名前だと思う。1938年9月に実験が行われ、試射して、なかなかに好調な成績を収めたために、試験的に少数(27丁)の採用を予定し、部隊に配備して試験的運用を行う予定だった。27丁という数字から、恐らく1個分隊に1丁程度の配備を考えていたのではなかろうかと思えるが実際の所はわからない。上で”予定”と書いているのは、実際には実行されなかったからである。翌年の1939年9月1日。ドイツはポーランドに宣戦布告し第二次大戦が始まったからだった。勝ち戦(いくさ)の頃はとにかく既存の兵器生産が最優先で、試験的運用など二の次どころではなく三の次四の次だった。

 戦争に必要なものは3つです!。「金・金・金」です!

 という話があるように、とにかく必要ないものには予算は割けなかった。結果、M35A自動ライフル(ヴォルマー自動ライフル)の生産は中止を余儀なくされ、この自動ライフルは永久に日の目を見ることはなかった。ただ、自動ライフルの火力の高さはさすがのドイツ軍でもその重要性は認識していたようで、1940年あたりからワルサー社やモーゼル社に自動ライフルの開発を行わせてはいた。

 1941年6月22日。ドイツは突如としてソビエト軍に戦いを仕掛け、モスクワを目指し進軍を開始した。その途上でソビエト軍の兵器を多数鹵獲していた。中には120mm迫撃砲やPPSh1941短機関銃のようにそのままドイツ軍によって使われたものもあった。いくつかの兵器は調査のため後方に送られていた。その中にトカレフM1938自動ライフルやシモノフM1936自動ライフルなどの自動ライフルもあった。リム付き弾薬を使っていたせいもあり、作動不良が多発したものの、その連射能力の高さ、ひいては火力の高さはドイツ軍も目をみはった。ソビエト軍では部隊の優等射手に自動ライフルを配備する傾向があり、決して全軍に配備されていたものでもなかったが、ドイツ軍が自動ライフルに目を向ける原因ともなった。
 1941年に完成したワルサー社の自動ライフルのGew41(W)は比較的優秀で、ドイツ軍にも制式採用された。これはトカレフやシモノフといった自動ライフルをソビエト軍は保有していたためにその対抗上の措置なのだろうか。Gew41(W)は作動方式に、バン方式というデンマークで使われていた作動方式を採用していた。これはマズル部にキャップみたいなものを設けてそこに発射ガス圧を溜め込んで、そのガスを偏向逆流させてアニューラーピストンというピストンを押してボルト解放・排莢を行うものだった。余談ながら、モーゼル社でも自動ライフルを完成させてはいた。これはモーゼルKar98Kと形状がほぼ同一で、初弾装填をボルトアクション方式で行うものだった。1941年冬の東部戦線で実際にこのモーゼル社の自動ライフルは戦場実験に出されたが(その写真も残っている)、Gew41(W)に劣ると判定され、本生産される事はなかった。
 さて、ワルサー社のGew41(W)は特殊な作動機構のため、生産に手間がかかった。また、マズル部が重いために、射撃時の安定はよかったが(発射時の反動で銃口が上に向くのを多少なりとも防げた)バランスが悪く、特に持ち歩くときは不便だった。言うまでもなく兵隊は撃つ時間よりも持ち歩く時間のほうが圧倒的に多い。そのため、作動方式をトカレフ方式に変えた。それがGew43だった。

 Gew43は名前のように1943年に大量生産に入ったと言われる。ただ資料によっては1942年とするものもあり判然としない。配備先もKar98Kにとって変わるライフルというわけでもなかった。
 Gew43は狙撃ライフルとして開発されたとする資料もある。たしかに着剣装置がないので、それも考えられなくもない。ボルト操作が不要なので、スコープを真上に配置しても問題はなく、また弾込めも着脱弾倉式で下から込められるので都合はよかった。また、1発目を外した際もスコープから目を離さす事なく次を狙えるのも自動ライフルならではだった。ただ、肝心の命中精度だけども、Kar98Kには劣った。理由は、自動ライフルはガス圧で排莢する必要があるから、薬室を微妙に大きくする必要があった。ボルトアクションでは手動で操作するので多少の薬莢張り付きは許されるが、自動ライフルだと即座に作動不良をおこす。これが命中精度を低くしている原因の1つで、あとは100%ガス圧を銃弾の発射に利用できるボルトアクションと違って(厳密には多少のロスはあるけど)、自動ライフルはガス圧の1部を排莢する力に回す必要があるからでもあるだろう。
 上で書いたように狙撃ライフルとして使われた。実際にスコープ付きで狙っている写真も結構ある。しかし、スコープ無しのGew43の実戦使用写真も沢山見かけるので、実際の運用方法はよくわからない。分隊に1丁、優等射手に配備されていたのではなかろうかとも思える。

 アメリカでは「ヒトラー・ガーランド」とも呼ばれていたらしい。実際の所はさほど大量には使用されていないので、アメリカにおけるM1ガーランドライフルとは比較し難い。もしかしたら後の人間がつけた名前の可能性もなくはない。ドイツ軍における自動ライフルの配備数はあまり多くはなく、MP43(Stg44)が配備されだしたことも影響したのだろう。