U.S.M14ライフル
性能:

全長       1125mm
銃身長      559mm
重量        4.59kg
使用弾薬 7.62mm×51
装弾数        20
初速       830m/s


左は自作です
やはり、直線部分には定規を使うべきだったかな?
(笑)

下の写真はホビーショップゲヴェールの協力で撮らせていただきました〜
 銃器に限らず、どんな物事でもそうなのかもしれないけど、運というのがある。「アテにはならない」とか言う人もいる。そりゃそうだ。運というのは見えるものではない。でも、何でも生まれた時から運不運がはじめっから付きまとっているような気がしてならない。このM14ライフルは極端に不幸が付きまとった銃器史上珍しいライフルだった。

 アメリカ軍は第二次大戦や朝鮮戦争ではM1ガーランドライフルが主力ライフルだった。M1ガーランドライフルは高性能で、兵士からの信頼も高かった。自動ライフルの利点は2発目が素早く撃てる点にある。第二次大戦時、自動ライフルを採用した国はいくつかあるが、第一線歩兵に完全配備した国はアメリカだけだった。つまり他の国では19世紀からのボルトアクションライフルを採用していたわけだが、ボルトアクションライフルは排莢・装填を手動で行う必要がある。言う分には簡単だが、コツが掴めないと素早く行うのは難しい。特に素早い射撃が生死を決める場合もある戦場では慣れないとなかなか難しかったのは想像がつく。モデルガンでもいいからやってみると分かるが、実際にボルト操作すると上手く操作できない場合もある。自動ライフルならばそれを自動で行ってくれるのでそういう心配はない。「作動不良が不安」と思う向きもあったろうが、そもそもそんな華奢なライフルなんてトライアルで弾かれるだろう。

 第二次大戦中は自動ライフルの有効性が分かっていても他国で採用されなかった理由はやはり一気に更新できる余力がなかったからだろう。とにかく既存の兵器生産で手一杯で、そんな火事場の忙しさな工場に、新規設計自動ライフルの生産ラインを作ってジグを作って、工員を教育して・・・なんて悠長なことはできず、結局は情勢が落ち着く(終戦になる)まで採用されることはなかった。


M14(写真はセミオート型のM1A)の安全装置。
トリガーガード前方にある丸穴が開いている金属がそれ。
この状態で安全装置ONとなる。
ちなみに、安全装置はハンマーが倒れた状態でないと
かけることができない。
 第二次大戦の戦訓で歩兵用ライフルでもフルオート射撃が可能でなければならない事は痛感していた。アメリカ軍は末端の兵士まで、意見を聞いて装備に改善を施す軍隊として知られる。アメリカ兵が欲したのはフルオート射撃が可能な歩兵用ライフルだった。第二次大戦時、アメリカ陸軍には分隊に1丁のBAR軽機関銃が配備されていた。BAR軽機関銃は重量にして10kgを超える重たい銃器だった。ここでは便宜上「軽機関銃」と紹介しているが、BARの正式名は「ブローニング・オートマチック・ライフル」の略で、あくまでライフルの一種だった。ただ「イザというときにはフルオート可能」というのは強力な強みで、一説にはBAR軽機関銃射手がフルオート射撃している時にはうらやましくなってM1ガーランドライフル射手は撃つのをやめていた人もいたという。そのためにBAR神話とも言える話もいくつかあるが、それだけ一般兵士はBAR軽機関銃にあこがれた。「とにかく射撃してないと戦場にいる恐怖を払拭できない」という現実的な理由もあったろう。アメリカ軍はその要求を聞き入れたのだった。「M1ライフルをフルオート射撃可能にしよう」と。

 ただ、M1ガーランドライフルの銃弾は強力で、重量が10キロあったBAR軽機関銃ならともかく、4キロの歩兵ライフルではフルオートは不可能であった。そこで、アメリカ軍は.308ウィンチェスター弾(7.62mm×51弾)を次期主力ライフル用銃弾として採用した。「これはアメリカ軍ライフルの最大の失策」みたいに書いてある文献が多いけど後知恵ならいくらでも言える事である。それまで採用していた.30-06弾(7.62mm×63弾)よりは1割ほど反動が少なく、また、実射テストでもこの弾とほぼ同一の威力を示したのでアメリカ側も大変に満足であった。同時期にこの銃弾を使用した機関銃もつくられ、こちらはM60機関銃として完成した。これは今でもアメリカ軍によって使用されている。

 話は戻して、この.308ウィンチェスター弾を使用した歩兵用ライフルの開発は1950年代中ごろから始まった。スプリングフィールド造兵廠での設計では、それまでのM1ガーランドライフルに不満があった訳ではなかったので、作動的にはこのM1ガーランドライフルとほぼ同一で、発射ガスを導く所を銃口部から銃身まんなかあたりに移動させた。これで銃本体のバランスがよくなり、行軍中の疲労も軽減させることができた。また、フルオート機能もつけるため消費弾数も多くなるから、弾はクリップ式から弾倉式に改められた。弾数は20発で、今では30発入りが主流だから少ないとも思えるが、7.62mm弾では標準と言えた。多ければいいといえるが、伏せ撃ちがしにくくなるのだから賢明な選択であったと言えるだろう。

 スプリングフィールド造兵廠の試作自動ライフルはAR-10とのトライアルにも勝利して、1957年5月に「U.S.M14 Rifle」としてアメリカ軍に制式採用された。M14ライフル最初の不幸はこの銃器の海外の売り込みに失敗した事で、当時はベルギーのFN(ファブリック・ナショナル)社のFALが先に完成していたため、FALを採用した国が多かった事にあった。余談ながら、日本への売り込みも失敗。結局アメリカ以外に採用する国はなかった。
 そして、M14ライフル最大の不幸な事件が起こった。1960年代初頭からベトナムでの紛争が激化して、1965年には(ベトナムの)北爆を開始。同時に大規模な陸軍兵士を投入したのだった。当然ながら兵士はM14ライフルを手に戦った。しかし、評判はイマイチだった。フルオート射撃時に反動が強すぎて、銃本体が軽かったためフルオート射撃時のコントロールが難しかったのだった。これを欠点と指摘する声もあるが、これは敵のAK47(正確には56式自動歩槍)とて同様だった。ただ、重量が同じライフルでAKの弾の1.5倍の反動がある銃弾を撃つのだからその反動は強烈だった。当然とも言える。当時のアメリカはユーロ平原のだだっぴろい所でワルシャワ・パクト軍との戦闘を考慮して弾薬と銃器の決定を行ったので、こういったジャングル戦は2の次だった。遭遇戦になるとフルオート射撃で弾幕を張って、自分はその敵のひるんだ隙に遮蔽物に隠れてセミオートで正確な射撃をするのが一般だったけど、それが難しかった。またジャングル戦などではライフルの全長が短いほうがいいけどもM14ライフルは形態上短くする事が相当に難しかった。まずは、強い弾薬のため、銃身が短くできなかった。7.62mm×51弾では最低でも500mmは銃身の長さはほしかった。そして、M14ライフルはグリップがストックと一体のため余計に短くできなかった。(グリップが独立しているライフルは機関部がグリップの上にくるけど、M14ライフルはグリップの前方に機関部があった)また、この形態はフルオート射撃時のコントロールを余計に難しくしていた。
 一部の部隊ではM14ライフルが嫌われて敵のAKを持たせた司令官もいたといわれているが、これは敵のライフルを持たせて敵側を混乱させる狙いでそうさせたので、決してM14が無能だったからという訳ではない。しかし、ベトナム戦争中に5.56mm弾を使用した小口径ライフルのM16突撃ライフルがテストされる事となった。M16突撃ライフルは当初は故障が多く、海兵隊などの歴戦の勇士はM14ライフルを好んで使用していた。M16突撃ライフルが陸軍に制式に採用された後も海兵隊員はM14ライフルを継続して使用していたという。理由はM14ライフルのタフネスさと弾の威力がある事で、小口径の軽い弾は草に当たっても弾がそれてしまうほどだったけどM14ライフルライフルの発射した弾は安易なブッシュだったら問題なく直進した。そのため海兵隊ではM16突撃ライフルを嫌いなんだかんだと理由を付けてでもM14ライフルを使用していた。



M14ライフルの独立ストック方(上)と折りたたみストック方(下)。
独立ストック方にはキャリングハンドルも搭載されているのに注目。
 しかし残念ながら、M14ライフルの真価は屈強な兵士にしかわからなかったのである。当時のアメリカは徴兵制であり、屈強でない若者も兵隊に仕立て上げられ戦場に送り込まれた。(アメリカ軍は屈強な兵士は前線に、そうでない者は後方にとかいう人事ではなく、公平を期すため、また、多くの兵士に 戦闘を経験させるためローテーションを行っていたため、ひ弱な若者も戦場に送り込まれていた)重たいM14ライフルよりも軽いM16を徴兵された多くの若者は好んだのだった。機械なら設備さえあればドンドン作れるけども、屈強な人間に仕上げるには多くの時間を必要とする。残念ながら当時のアメリカにはそんな余裕などなかった。
 M14ライフルはM16突撃ライフルにその座(主力ライフル)を奪われないようにと、スプリングフィールド造兵廠では、独立グリップを付けたM14ライフルや銃床を折りたたみ形状にしたM14ライフルをも試作してアメリカ陸軍に提示したのだが、もはや無駄なあがきでしかなかった。
 結局、1967年3月に制式採用されたM16突撃ライフル逐一交代されてゆき、ベトナム戦争末期までには完全にM14ライフルにとってかわられた。M14ライフルが決して駄作ではないという事は、その後もM21の呼称で狙撃ライフルとして使われている事で証明されているけども、戦争中のこの変換劇は「M14は駄作」という評価を決定つけた。結果的にM14ライフルは1970年代後半に後備兵に支給されていたけども、1980年代初頭にこれらもすべてM16A1に切り替えられて、M14ライフルの歩兵用としての生命は終わりを告げた。

 最後の不幸は、生産元であったスプリングフィールド造兵廠は閉鎖されてしまった(今は博物館になっている)。M14ライフルの名誉のために言うが、決して命中精度が悪いわけではなかったし、決して壊れやすいわけではなかった。

 時代が要求し、時代が造り、そして時代に見捨てられた・・・

 それは銃器史上稀有な不幸なライフルの悲しい終焉でもあった。




M14の排莢口。下方にある凹型の部品はそこにクリップ入り弾薬を
入れて、押し込むための部品。
 M14ライフルは上で述べたように基本構造はM1ガーランドライフルと同じで、外見上の違いは、上でも書いているけど弾倉が出っ張っているのとガス導入口が銃身の中間あたりにあるのが違い。弾込めは弾倉を入れ替えればすぐにできるけど、M14の特徴としては弾倉をさしたままで排莢口からクリップに詰められた銃弾を補給できる点にある。この方式の利点は、弾倉にバラで込めるよりも素早く装弾ができる事と、並びよく装填ができる点にある。後者は結構重要で、1発1発手込めだとキッチリと弾が並ばない事もある。そうした状態で射撃をするとジャムる原因にもなる。アメリカ軍が出てくる映画で弾倉交換の際に弾倉をヘルメットに”コンコン”と叩くのは銃弾の並びをキッチリさせるようにという意味合いがある。また、弾倉にフル装填(規定数の弾)を行って、その後に2発ほど弾を抜くのは、規定数めいいっぱい積めこんでおくと弾倉のバネでボルトを圧迫して作動不良が起きる可能性があるため、弾を抜くのと、2発抜いてちゃんと装填した弾が上にいくかをチェックする意味合いがある。

 排莢口から弾を装填できるので排莢口は結構大きめにできている。排莢の際はあまりジャムらなさそうにも思えるが開口部がデカいと砂塵が進入しやすくなるという欠点もある。実銃の話ではないが、電動エアガンのメカBOXは基本的に空気を出すところの直径4mm程度しか開口部がないが、それでもゲームを何度かやってメカBOXをバラすと結構土や砂が入りこんでいる。開口部が少なくても進入するのだから、この点は欠点と成り得たような気もする。
 あと、開口部がデカいとそこに指を挟みこんで怪我をする場合もある。M14ライフルはM1ガーランドライフルと違ってボルトストップがあるから、弾倉を装填してボルトストッパーを押さないとボルトが前進しないから、M1親指の怪我の心配は少ない。とはいえ、実際に操作すると分かるが注意しないと指を挟む。当然ながらすごく痛い(涙)。この辺は操作に慣れてない兵士が起こしそうな怪我とも言えなくはない。

 あとのM1ガーランドライフルの違いといえば、セミ・フル切り替えスイッチがある程度でその他の操作はさほど相違はない。安全装置も引き金前方にあるし、操作方法も引き金側に押し込めば安全装置ONとなり、銃口側に押せば安全装置解除になる操作も同一で、ハンマーがコックされていないと安全装置は作動しないのも同一だった。

 M14ライフルは本文でも触れたように狙撃型がある。セミオートで撃つ分には申し分無い命中精度のために使われたのだろう。ただ、やはりボルトアクションには劣るために運用方法はよく分からない。恐らく射手が狙撃ライフルを選定したのだろう。
 他のバリエーションとしては本文でも書いているように独立グリップ型と折りたたみ銃床型が試作された。ただ、生産に手間のかかる、また、水分を吸収しやすい木材を使用している限りは採用の見込みはなかったろう。湿度の低いユーロ平原ならともかく、高温多湿のベトナムには木材はあまり適さなかったといえるし、だいいち生産に手間がかかった。

 また、M16突撃ライフルに取って代わられた後のM14は中南米の親米諸国にタダ同然の金で売ったか無償で供与された。1980年代の中南米諸国の紛争では比較的に頻繁に見ることができた。