U.S.M1ライフル(ガーランド)
性能:

全長       1100mm
銃身長       600mm
重量        4.37kg
使用弾薬  7.62mm×63
       (.30-06)
装弾数         8
初速       853m/s

左は自作絵です。
 M1ライフルは俗にガーランドライフルと呼ばれる。設計者"ジョン・C・ガーランド"(1888-1974)が設計したからその名前がある。ガーランドは元々はカナダ生まれだったものの、ジョン・ガーランドが10歳の頃にアメリカに一家で移住。第一次世界大戦直後の1919年にスプリングフィールド造兵廠に働き出した。

 後にU.S.M1 Rifleと呼称される自動ライフルの開発は1928年から行われた。当時の国際情勢からして、新しい歩兵用ライフルなど不要不急と考えられていたのは想像に固くはない。世界恐慌が翌年に控えていたが世界的にも平和な時代であったと言えたし、実際、この頃に新しい歩兵用ライフルを新規開発している国はなかった。アメリカ陸軍が欲したとも考えられず、恐らくはガーランド独自開発ということなのだろう。第1次大戦時から自動ライフルはあるにはあったが、まともに動いたのは存在しなかったし、戦後になってもボルトアクションライフルが主力を占めていた時代なのだから、ガーランド自身銃器設計を行う者の意地として新地開拓を行いたかったのではなかろうか?。「フロンティア・スピリッツ」は当時のアメリカにおいてもまだ健在だったのだから。

 1932年。アバディーン試験場でガーランドが設計して完成させた自動ライフルはテストされた。ちなみに後のM1ガーランドライフルの7.62mm口径ではなく.276口径(7mm)のピーターセンライフルの銃弾で開発を行っていた。ピーターセンライフルとは名前のごとく、アメリカのピーターセンという人が開発した自動ライフルで、作動方式はルガーP08のように尺取虫運動を行うような方式だった。7mm口径のライフル弾自体はスペイン軍などで採用されており、またアメリカはスペインとの戦いである米西戦争でスペイン軍の7mmモーゼルに悩まされたのだから注目してもよさそうなものだったが、今までの弾薬体系にないからか意地でも7.62mmにこだわった。これは莫大に投資している弾薬生産設備を簡単に潰したくはなかったろうし、7mm弾仕様に改修するにしろ、新規に生産ラインを作るにしろ莫大な金がかかるからそうしたくはなかったのだろう。また、これが一番の理由なのだろうが、今でもヤードポンド法を使っていてメートル法を採用していないアメリカ工業界で7mm弾を作るのは中途半端だったからだろう。


 アバディーン試験場でテストがされたが、ピーターセンライフルの方はといえば、きちんと作動はしたものの、弾薬にオイルを塗らないとちゃんと作動しない点が問題とされた。銃弾にオイルを塗るのは当時においては機関銃によく見られた手段だが、ライフルではほとんどなかった。当時は自動ライフルでもボルトアクションライフルでも排莢時には排莢口が大きく開口するのでそこから砂塵が進入する可能性は十分にあった。特に競技とちがって戦場とは雨の時もあるし強風の時もあるしそんな時にもちゃんと撃てないといけないのだから、これは問題だったろう。尺取虫式の作動方法もライフルでは問題だった。拳銃と違ってライフルの作動部分は目の前に来るのでその威圧感はかなりあった。あと、パテント(特許)を取得した際の図面を見る限り、トリガーメカニズムがかなり複雑で当然部品点数も多かった。戦争になって量産がされたら問題になったろうし、なにより戦場に出た場合は故障が多く大問題になったろう。
 対してガーランドのライフルは評判が良かった。当時はボルトアクションライフルしかなかったアメリカ陸軍においては自動ライフルの射撃は度肝を抜いたのだろう。ボルトアクションライフルに比べてメカニズムが複雑なので「どうせヤスリで調整に調整しまくって調子のエエのを使っているんだろう」と懐疑的に見る高官もいた事だろう。それに対してガーランドは何丁か試作ライフルを持ってきてから、全部バラして何丁かの部品を適当にチョイスして1銃を組みたててから射撃を行った。調子よく作動し高官の度肝を抜いたという話も伝わっている。

 このライフルに目を付けたのは当時陸軍参謀総長のダグラス・マッカーサー大将(当時の階級)だった。多くの国防省高官が自動ライフルの採用に懐疑的だったのに大して、マッカーサーは自動ライフルをえらく気に入った。ただしガーランドに1つの注文をつけた。使用弾薬を現用のM1903A1ライフルと同じ.30-06(7.62mm×63弾)にしろという事だった。ガーランド自身としては反動の少ない撃ちやすい7mm弾に固執したと言われるが、結局お上には逆らえずにその注文を受け入れた。

 マッカーサーも威力の問題だけで.30-06弾にこだわったわけではない。歩兵用ライフルの弾薬を変更すると機関銃の類も全て新規開発しなければならず、また大量生産も必要になるからその値段もバカにはならない。弾薬自体にしたって全部変えると莫大な予算がかかるというのは上でも書いた。平和な時代に莫大な軍事予算が下りる訳もなく、限られた予算で歩兵用ライフルを更新するには弾薬を変えずに作るしかなかった。
 7mm弾から7.62mm弾への変更は後の人間は「アメリカは突撃ライフルへの芽を摘んだ」とか「意地でも1発の威力にこだわった」とか書きたくるし言いまくるが後知恵ならいくらでも言える事だろう。限られた軍事予算しかなく権力も弱かった当時の国防総省の決断としては7.62mm×63弾への固執は1にも2にも合理的な選択だったと言える。

 さて、その後も次期主力ライフルのトライアルは行われており、結局ガーランドが作ったライフルが選定された。1936年1月9日。「U.S.M1 Rifle」と正式に命名されて採用される事となった。ただ、生産はスローペースだった。当時は世界恐慌のあおりでアメリカの国内経済自体が深刻なほどの不況でニューディール政策をもってしてもなかなか好転していなかった時代だから軍事予算も限られたものだった。その限られた軍事予算も、当時としては長距離爆撃機や戦車などいろいろな新兵器の開発・生産を行っていたせいもあるだろう。大量生産には予算を必要としたが、世界情勢を見ればドイツで徴兵制復活や日本の中国への干渉などがあったが、両者とも戦争までにはいたっていないために危急に軍事予算を必要とはしなかったために予算も下りなかった。あとの理由としてはアメリカ陸軍自体がそんなに大規模ではなかったというのもあった(1939年7月時点でアメリカ陸軍兵力は約17万人だった)。

 1939年9月1日にドイツはボーランドに侵攻、2日後に同盟を結んでいたイギリスとフランスがドイツに宣戦布告。ここに第二次世界大戦が始まったけども、それでも大量の発注はなかった。さらに2日後の9月5日にユーロ戦不介入を決定したからである。

・1939年 9月 1日 ドイツ軍、ポーランドに進入(第二次世界大戦の勃発)
・1939年 9月 4日 アーシニア号事件(イギリス客船"アーシニア号"をドイツ海軍潜水艦が撃沈した事件。犠牲者のうち28人はアメリカ人だった)
・1939年 9月 5日 アメリカ、戦争不介入を宣言
・1939年11月 3日 アメリカ、中立法改正(イギリスへの武器援助を事実上可能にした)
・1940年 5月10日 ドイツ軍"黄色の場合"作戦発動。低地諸国とフランスに進撃
・1940年 5月29日 イギリス軍大陸派遣軍、ダンケルクから撤退開始。
・1940年 6月14日 フランス首都パリ陥落
・1940年 9月14日 アメリカ、選抜徴兵法成立。
・1940年 9月27日 日独伊三国同盟締結。
・1941年 3月11日 アメリカで武器貸与法成立。(これによりイギリスは金を払うことなく武器を手に入れることができた)
・1941年 5月27日 アメリカで「国家緊急事態」を宣言
・1941年 7月24日 日本、仏印(ベトナム)進駐。翌日にアメリカは国内の日本資産を凍結
・1941年 9月 4日 グリア事件(アメリカ駆逐艦グリアがドイツの潜水艦U652と交戦。グリアは魚雷1本を受け大破。11名が死亡した。
・1941年10月31日 アメリカ海軍駆逐艦"ルーベン・ジェームス"がドイツ潜水艦と交戦し撃沈された。115名が死亡
(上記の日付は、関係国(ドイツに関係する所はドイツの標準時間、日本に関係ある所は日本標準時間)での日付なので注意下さい)

 アメリカおよびアメリカの国益に関係してそうな事件を上にピックアップしてみた。以上のように中立とはいえ明らかに国際情勢は逼迫しておりアメリカも無視しているわけにはいかず、上に書いているように1940年9月には志願制だった兵役も徴兵制度を実施。1939年時点で17万4千人しかいなかったアメリカ陸軍兵力は1941年11月末までには約170万人にも膨れ上がっていた。しかし、M1ガーランドはそれでも1941年11月までの生産数は合計で10万丁にも満たなかった。特に1941年10月31日の撃沈事件はアメリカ国内世論を沸かせたものの、議会は宣戦を避けた。しかし、この厭戦世論が180°変わる事件が起こった。
 1941年12月7日午前7時49分。ハワイ。パールハーバーに停泊していたアメリカ太平洋艦隊を日本海軍機動部隊が奇襲攻撃を仕掛けたのだった。この攻撃はアメリカ全土にテレビでも報道され、国内世論は一気に交戦へと傾いた。4日後にはドイツ・イタリアがアメリカに宣戦布告。これによりM1ガーランドライフルの量産は決定した。しかし、フィリピンに駐留していた米比軍には当然ながらM1ガーランドライフルは支給されておらず、日本軍と同じボルトアクションライフルで日本軍を迎え撃ったが衆寡敵せず、米比軍は降伏。その時極東司令官だったのは皮肉にもM1ガーランドライフルの採用を決定したダグラス・マッカーサーだった。彼はオーストラリアに逃げた。

 やがて、戦力の整ったアメリカは枢軸国に対しての反撃を行うようになった。その初めはソロモン戦線で日本軍と対戦した。本国直送の海兵隊はM1ガーランドライフルを手にガダルカナル島戦線で日本軍と対戦。その火力は日本軍を圧倒し、幾度と無く日本軍の白兵攻撃に苦境に立たされながらも撃退に成功した。M1ガーランドライフルのオートマチック射撃は怒涛のごとく押し寄せる日本軍相手に充分な火力を発揮。日本軍はいたずらに屍の山を築くことになった。日本軍もそれまで戦ってきた相手(中国軍と米比軍)とは火力の違いに痛感した。もはや今までの戦術は通用しない(中国軍は猛烈な砲撃を浴びせても、機関銃の猛射を浴びせても退却せず、歩兵の突撃で初めて退却していた。そのため日本軍の歩兵操典でも白兵戦重視という結論がでていた)。しかし当時の日本に成すすべはなく、ついにアメリカ軍相手の陸上戦闘で戦死者が日本側が下回る戦闘はなかった(硫黄島では死傷者の数がアメリカ側が多いけど、戦死者は日本側が圧倒的に多い)。

 ヨーロッパ戦線では1942年11月8日に北アフリカのアルジェリアに上陸してから戦闘を体験した。しかし緒戦ではドイツ側の巧妙な用兵とアメリカ軍の稚拙な用兵によって惨敗を喫した。「我々の坊やは戦争ができるのか?」と嘆いたアメリカ軍将軍もいた。しかし後にはM1ガーランドライフルの火力はドイツ軍を圧倒するようになり、1944年6月6日にはオーバーロード作戦を発動し、フランスのノルマンディ海岸に上陸を開始した。まさにアメリカはユーロの大君主(オーバーロード)になるべく。
 当時のドイツ軍は機関銃が主役でライフル兵はそれの護衛という役目だったがこの機関銃主体の構造は決して間違ってはいなかったものの、護衛のライフル兵の火力はボルトアクションではいかんせん自動ライフルのM1ガーランドライフルには勝てなかった。ノルマンディ上陸直後は苦戦したものの、それ以降はドイツ軍は押されっぱなしであった。1944年12月16日。ドイツ軍は最後の攻勢を西部戦線で実施。連合軍は"バルジ(突出部)作戦”と呼称した。バストーニュを守っていた第101空挺師団は機甲師団の一部を含めたドイツ軍の猛攻を受けていた。第101空挺師団は完全にドイツ軍に包囲されており、ドイツ側からも降伏勧告の使者を送っていた。第101空挺師団師団長代理の”アンソニー・マコーリフ”は即答で答えた。

「Nuts!」(ふざけるな!)

 無論、その後に容赦ないドイツ軍の攻撃に晒されたのだが、援軍の到着(12月26日にパットン将軍配下の第3軍がきた)まで持ちこたえた。「Nuts!」と言った理由はアメリカ兵の不屈の闘志からだとか、マコーリフ個人の性格だからとかいろいろあるけども、言う事ができた理由は、兵士にM1ガーランドライフルという火力に優れたライフルが支給されており、攻撃にも十分反撃が可能であったから・・・というのは大袈裟な考えだろうか?しかし、1945年1月26日に、パットン将軍からアメリカ兵器局に対して「(M1ガーランドライフルは)これまで発明された中で最も偉大な武器」という内容の手紙を送っている。

 ともかく、M1ガーランドライフルはまさに第二次世界大戦のアメリカ兵と共に戦いぬいた偉大なライフルであった。M1ガーランドの歴史はまだ終わらない。1950年6月23日から始まった朝鮮戦争でも使われた。人海戦術で攻める共産軍(北朝鮮軍と中国義勇軍)にもM1ガーランドライフルの火力は充分に持ちこたえた。特に朝鮮地方高地の厳寒期の寒さは格別なもので、ブローニングM2重機関銃の銃身はその寒さで凝縮していまい発射時に銃身破裂が起こったほどだったが、そんな寒さでもM1ガーランドライフルは確実に作動して敵を幾度も撃退したと言われている。

 M1ガーランドライフルは極めて優秀なライフルであったが、この優秀さが最大の欠点となった。M1ガーランドライフルもさすがに朝鮮戦争後からは旧式化してきており、また、戦訓から次期の主力ライフルにはフルオート機能を持たせるように指示がでた。こうして完成したのがM14ライフルだった。M14ライフルは機関部はほとんどM1ガーランドライフルと同一で、単純にM1ガーランドライフルをフルオート化しただけだったとも言える。セミオートでは問題なく射撃できたけど形態的にフルオートには向かなかった。アメリカ軍は歩兵戦闘は火力と機動力が重要なのを知っていたにもかかわらずM14ライフルは全長が長すぎた。どうしても機動戦になると長いライフルは不利だった。結局はベトナム戦争中頃にM16への交代を余儀なくされた。
 ハードに頼ると思考が固まってしまう好例とも言える。



 M1ガーランドライフルの特徴としては、セミオートライフルなので、自動的に作動させる手段としては、ガス圧を利用する方式を採用している。銃身下にガスピストンがあり、銃口部の銃身に穴をあけて、そこを銃弾が通過した直後のガス圧力でガスピストンを作動させる方式を採用している。銃口部までガスピストンがあるため、銃自体の重量バランスが悪いものの、射撃時には反動を抑える効果がある。しかし、射撃する時間よりも持って歩く時間の方が圧倒的に多いので現在では銃身の半分ちょっとの所にガス導入口を設けているのが一般である。一番ユニークなのは銃弾の装填方法で、銃弾はクリップに8発収めておいてそれを一気に装填するようになっていた。この方式は欠点も多かった。クリップがないと連発の射撃ができない(1発1発込めてなら撃てるけどそれでは自動ライフルの意味がなくなる)事と、途中で弾をつき足すのが難しかった(出来ないことはないが大変)。継ぎ足すには一旦クリップごと弾を抜いて新しい8発入りクリップを装填するしかなかった。最後に、これがM1ガーランド最大の欠点なのだが、クリップを親指で押して装填するけど、迅速さを期すために装填したら自動的にボルトが閉鎖するようになっていた。そのため、注意しないと親指をボルトで挟んでしまう。俗に「M1親指」と呼ばれるこの事故はどこそこのアメリカ兵が体験した。いくつかの欠点があったものの、結局は迅速に弾込めができすぐに射撃が行えたので、ささやかな欠点だったのかもしれない。