シモノフM1936(SVS)
性能:

全長       1235mm
銃身長       615mm
重量        4.05kg
使用弾薬 7.62mm×54R
装弾数     10・20
初速        768m/s
左写真はアンディさんからいただきましたほんとありがとうございます
≦(_ _)≧
ちなみに、弾倉は20発式の珍しいタイプです(通常は10発弾倉)。
 「戦争とは鉄の戦いなのです」

 日本の子供向け雑誌「少女倶楽部」に書かれていた一節である(日中戦争期に)。”少年”倶楽部ではなく、少女向け雑誌にでさえこう書かれていた。鉄というより金属といったほうが正解かもしれないが、たしかに、現代戦はいかに銃弾・砲弾をいかに敵陣に食らわせるかが戦局を左右する。
 第一次大戦でそれはすでに証明されていた。いかに敵陣に多く砲撃を食らわせ、いかに敵兵たちに多くの銃弾を叩きこめるかで戦局は左右したともいえる。特に使用された砲弾量は過去と比べても格段に増えた。たとえば、第一次大戦では、日露戦争で日本・ロシア両軍が戦争期を通じて使用した砲弾量を合算した量以上の砲弾をたった一戦で使ったこともあるという。銃弾の量にしても完成された機関銃の登場でその消費量は格段に増えた。
 第一次大戦で注目されるのは西部戦線で、北はドーバー海峡から南はスイス国境まで、掘られまくった塹壕、イヤというほど張り巡らされた鉄条網で固定された陣地戦がよく知られる。だが、実際には東部でも(帝政)ドイツ軍とロシア軍が戦っていた。東部戦線は西部戦線とちがって戦いが流動的で、ドイツ軍もロシア軍に国土を(一部だが)蹂躙されたこともあったし、ドイツ軍がロシアの奥深くまで攻めこんだ事もあった。そうした流動的な戦いでは、重量のかさむ機関銃よりも歩兵個人が持つライフルのほうが重要な武器となった。無論、連発して撃てたほうがいいに決まっている。そうした流れもあって、フェデロフという1大尉が、フェデロフM1916という日本の6.5mm×50弾を使用した世界初の突撃ライフルを作り上げた。ただ、このライフルは実戦投入されたかがわからず、生産数もそう多くはない。採用された翌々年にはロシア革命でドイツと講和したため、実戦投入はなされなかったというのが定説となっている。

 このフェデロフM1916は実戦投入がなされていないせいもあってか、あまり注目されず、銃器史の中に埋もれていった。しかし、この銃の組立工にシモノフという青年がいて、フェデロフ大尉に見出されたのか、フェデロフ大尉の指揮するライフル試作部の一員となり、新型ライフルの試作に取りかかっていた。その新型ライフルは自動ライフルだった。
 1930年頃に試作品が完成したとされる。世界はまだ平和だったせいもあって、その改良には時間がかかり、1936年にシモノフM1936(SVS)という名前でソビエト軍に制式採用された。偶然にも、アメリカ軍の傑作自動ライフルのM1ガーランドライフルと採用年度は同一だった。
 ガーランドライフルと違っていた点はシモノフM1936は配備先が兵士全員というわけでもなく、分隊に1丁程度の割合だった。自動ライフルとなると弾薬消費量も相当なものだから、一気に更新してしまうには後方補給線の再整備が必要だったからだろうか?
 実戦を経験した初めての戦いは、ノモンハン事件だった。この戦いで、ソビエト軍は外蒙古軍を支援し、満州国軍(実質的に日本軍)を完膚なまでに叩きのめした。この戦いでの一番の功績はソビエト軍の誇る長射程カノン砲と戦車だが、自動ライフルも少数ながら投入されており、これをソビエト軍の勝利の一因とする文献もある。ただ、配備数と戦場の状況(ノモンハン戦域はだだっぴろい大平原だった)から考えればそう戦局には左右しなかったとも考えられる。やはり、大量の弾薬を消費するからか、その後も完全配備まではいたらなかった。
 その後に注目されたのは1941年から始まった独ソ戦(第二次大戦東部戦線)だった。配備数が多くは無いとはいえ、ドイツ軍に捕獲されたシモノフM1936が少なからずあって、後方に送られてドイツ軍の調査を受けた。作動不良を起こしやすいという欠点が指摘されたが、その速射性の高さはドイツ軍も注目し、ドイツ軍が自動ライフルを製作・配備するきっかけともなった。特にその作動方式はドイツ軍に真似られ、G43自動ライフルの原型ともなった。
 ソビエト軍でも大量に生産してしかるべきではあったのだろうが、戦局が戦局なために、それは不可能だった。ソビエト軍は独ソ戦初期で兵員の大損害を被ったために、とにかく兵士を1人でも早く戦場に送らせたかった。発射訓練があまりいらない短機関銃を持たせてとにかく戦場に送らせた。短機関銃は発射訓練があまりいらないというか、操作方法・分解方法を教えてこうやって撃つというのを教えれば、それ以上教えても意味はなかった。命中精度が低いからで、ようは命中精度の低さは沢山弾を撃って補ったのだった。シモノフM1936はその性質上、構造が多少複雑で、作動不良を起こしやすいから野戦分解・組みたて方法の熟知は必須であったが、その教育には時間がかかった。また、基本的にライフルなので、射撃を1から教える必要もあった。乱射乱撃はライフルの射撃方法ではなかった。構造の複雑さは生産・調整に手間取るという欠点もあった。そのために、自動ライフルの全軍配備はなされる事はなく、その悲願は戦後を待つ必要があった。

 ただ、その戦後に待っていたのは弾薬の小型化で、SKSという自動ライフルの配備はシモノフM1936のお株を完全に奪い去り、シモノフM1936は歴史の中に消えていった。
 歴史にifは禁物であるが、もしも、全軍にシモノフM1936が支給されており、充分な訓練がなされた状態で1941年6月22日(独ソ戦が始まった日)を迎えたならば、ドイツ軍の進撃はもっと早い段階で阻止されて、我々が知っている戦後の歴史も微妙に変わっていたかもしれない・・・。


 シモノフM1936は形状的にはオーソドックスなライフルの形をしている。作動方式はこれまたオーソドックスなガス作動式で銃身中ほどの上方に穴をあけてそこから発射ガスを導く方式を採用している。
 この銃の最大の欠点は銃本体ではなく、使用弾薬にあった。使用弾薬は7.62mm×54R弾という19世紀から使われているリム付き弾だった。リム付き弾はリボルバー式弾倉のライフルの名残りで、このリムでシリンダーに固定するものだった。リボルバーのようなシリンダーに固定するにはリムは必須だけど、自動式ライフルには邪魔者でしかなかった。ようは、薬室に押しこむ際、および発射後に薬室から薬莢を抜き取る際に余計な出っ張りとなって、つっかかって作動不良の原因となっていた。ひいてはシモノフM1936の信頼性に直結したといえる。この信頼性のなさがもしかしたら全軍にいきわたるほど配給されなかった原因かもしれない。
 あと、このシモノフM1936の特徴として、上の写真を見てわかるように、コンペンセイターがついていて上部が欠けている。これは発射時に発射ガスを上に逃がして銃口があがるのを極力防ぐようにしている。この当時コンペンセイターがついたライフルは他にはなく、ある意味時代を先取りしていたといえる。
 上の写真で銃剣が見える。この写真では見にくいが、普通の銃剣と違って、逆刃(ようは刃が上を向いている)になっている。