U.S.M79
性能:

全長      737mm
銃身長     356mm
重量      2.72kg
使用弾薬    40mm
装弾数        1発
 第2次大戦の頃のアメリカ軍は火砲が充実していた、攻勢時の砲撃支援成功率は80%を越えたといわれ(ソビエト軍は30%ほど)チームワークでドイツ軍や日本軍を撃破していった。それ故か歩兵が遂行する火砲ではやや遅れをとっていた。バズーカ砲は対戦車用だし、小銃擲弾は空砲をつかわなければならないのですこし厄介である。太平洋戦争中に日本は擲弾筒という歩兵が1人で遂行できる火砲を戦場に投入した。手榴弾よりも遠くに正確に発射でき(擲弾筒には照準器はないにもかかわらず)、威力もそこそこにあった。現にレイテ上陸戦ではLST(揚陸船)4隻を損傷させるなどの戦果を上げていた。さらに朝鮮における共産軍の人海戦術には砲兵の支援もできない状況も(味方に砲弾が当たる為)たびたびおこったと言われる。そのためか、アメリカ陸軍はニブロック・プログラムと呼ばれる40mmグレネードの開発をはじめた。この40mmグレネード弾はハイ・ロー・プレッシャーという構造で、初速がトロいという欠点があるものの、反動が小さく、歩兵用支援火器にはもってこいのグレネード弾だった。この弾の開発の成功がM79グレネードランチャーの成功であったと言える。
 そして完成されたM79グレネードランチャーは1960年12月にアメリカ軍に制式採用された。当然の事ながらベトナム戦争に投入されている。ベトナム戦争に投入されたM79は歓迎をもって迎えられた。威力の点は申し分なかったからである。特に偵察部隊のポイントマン(先頭の兵士)には愛用された。不意に敵と遭遇した場合に一撃で敵をなぎ倒せるからである。そのためかチャーリーキラーなどと呼ばれた。
 (チャーリーとはベトコンの事。名の由来は、ベトコン(ベトナム・コミュニストの略)を更に略してVCと呼んだけど、合調音でVはビクター、Cはチャーリーとアメリカ軍は言っていたため、チャーリーという蔑称がつけられた)
 兵器としては弾を込めても約3キロと軽いため、ベトナム戦争では、敵の機関銃銃座や密集している所にまた待ち伏せ攻撃でも活躍した。
 前線の兵士からは歓迎されたM79だったが欠点がなかったわけではない。まずはエジェクターがないため射撃したら薬莢を手で取出す必要があった。当然、薬莢は加熱するため射撃直後は熱い。そのため発射速度がどうしても遅くなるのが否めなかった。また、射手はM79グレネードランチャーの他にライフルは装備していなかったため(当時は重いM14ライフルが制式だったためいっしょに持たせるのは難があった)、護衛の兵をつけるか拳銃を携帯していた。あまり欠点とは思えないのだが、前線ではやはりいろいろ問題があったのだろうか?
 M79は1971年には生産をやめてM203にバトンタッチする事となったものの、グリンベレーなどの特殊部隊では今でも使用されているらしい。また他の国でも現役で使用されている所もある。このグレネードは低い圧力で発射される。反動を抑えるのに効果があるもののいかんせん初速が遅いためライフリングを入れ弾を回転させて弾道を安定させるとともに、弾道が大きな弧を描くため、長い照準器をバレル上部に取りつけて照準する事になっている。またストックも水平撃ちを考慮していないので、上の方に曲がった形となっている。グレネードランチャー本体を傾けてもちゃんと肩付けして撃てるようにである。また、弾が大きいため持ち歩くのには普通のライフル用弾薬入れでは不可能なので、ジャケットにグレープフルーツみたいにたわわにこのグレネード弾を入れる小物入れを装着して少しでも多く運べるようにしている。またクレイモア地雷入れはポシェット式になっていて、地雷を使ってしまうと後は用なしになるけども、その入れ物には40mmグレネード弾が30発も入れる事ができたのでベトナム戦争中はこれを使用していた兵士も多かった。
 弾は20mほど飛ばないと信管が作動しないようになっている。これは発射の衝撃で爆発してしまわないようにとの安全装置である。実際榴弾砲も一定の距離を飛ばないと信管が作動しないようになっている。これは着地を除けば発射時が一番G(重力)がかかるからでもある。40mmグレネード弾も榴弾砲も一定回数の回転によって信管が作動する。しかし、初期型は1mほど飛んでも爆発するようになっていた。それが信管作動範囲が20mに広げた理由は、暴発させてケガした兵士が多かったのだろう。だから、敵兵が10mの距離に現れたらもうおしまいである。