FP-45"リベレーター"
性能:

全長         141mm
銃身長         54mm
重量         0.45kg
使用弾薬 11.43mm×23
初速        220m/s
装弾数        1
(グリップ内に10発収納)

左絵は
はあばあと西さんの作品です
ドイツの岡田以蔵によって(謎)
レジスタンスが生き晒しされてます
・゚・(ノД`)・゚・。
  1930年代中期といえば、ドイツではヒトラーが総統に就任して、ドイツの軍備拡張は目を見張るものがあった。ただ、表向きの軍備拡張だけではない。ドイツではスパイを各国に張り巡らせていた。アメリカもその例外ではなかったが、当のアメリカでは敵のスパイ組織をあまり重要な脅威とはみなしておらず、またアメリカ自体が大不況にあったためそれどころではなかったという一面もあった。この状態を危惧したフランクリン・ルーズベルト大統領は学生時代の親友だったドノバンという男の提案を受け入れ、OCI(後のCIA)を創設した。このOCIは大統領直属の機関だったが、OCI局員の能力が高いものではなく、大統領を失望させた。OCI局長のドノバンの諜報機関の重要性の説得も空しくOCIは解散。1942年に別組織としてOSSが設立された。OSSの局員の数もOCI時代の半分以下に減らされ、この組織は大統領の直属機関ではなくなったが、OSS局長にはドノバン自身が就任。大統領から直々に指図を受けなくなった分、また、局員数も減らされた分少数精鋭がたもたれ、ドノバン自身にしてみれば大統領の親心とでも思ったことだろう。
 歴史を少し戻して、1940年になると、前年にドイツはポーランドを制圧。その返した刀で低地諸国3国を制圧、その勢いはとまらず、陸軍大国フランスを降伏させた。翌1941年にはさらに返した刀でソビエトに侵攻した。この300万人に及ぶドイツ軍の大攻勢は、冬将軍とソビエト精鋭のシベリア軍団の投入で頓挫したものの、依然ドイツ軍はソビエト領内を侵食しており、1942年には再度攻勢の準備を伺っていた。
 1942年初めの状況といえば、西ユーロは完全にドイツの支配下にありイギリス空軍・アメリカ陸軍航空隊と空の死闘を演じていた。ただ、地上は平和そのもので、フランスは訓練場および、消耗した師団の保養地でもあった。東ではソビエトとドイツの死闘が始まろうとしていた頃だった。その東部戦線と西部戦線の空以外でもドイツ軍は戦っていた。それは占領地民との戦いで、ドイツの過酷な圧政で民衆はゲリラになるものもあった。特にイギリス・ソビエトが影で武器援助を行っていたため、ドイツ軍側もその対応には苦慮した。直接ドイツ軍と戦うには当然分が悪いので、補給線の破壊と奇襲攻撃が主だった。当時は補給線といえば鉄道で、鉄道はいうまでもなく2本のレールだけだから、1点が爆破されたらそれで終わりで、格好のゲリラの目標となった。奇襲攻撃も、主力部隊ではなく、装備があまりよくない後方部隊を夜襲で襲ったりしていた。そのためドイツ軍はゲリラ対策に兵力の1割を割いていた。また一説には占領地でドイツ兵が1人殺されると報復で住民10人が殺されたとも言われた。

 1939年から占領されていたポーランドの住民がどういう運命をたどっていたかは想像に固くはないが、そんなポーランド解放を悲願としていたポーランド亡命政府(イギリスに亡命していた)からアメリカのOSSに1つの提案がなされた。
「我々の力でポーランドを解放したい。市民にも銃を持たせて武装蜂起させたい」
OSSはその要求を聞き入れた。ただ、OSSがこの銃の生産をしてくれと頼んだのはGM(ゼネラル・モータース)社だった。GM社は言うまでもなく自動車メーカーで、銃のメーカーではなかった。本来ならばスプリングフィールド造兵廠とか、コルト社なりに頼むのが普通だろうが、時は戦争の真っ只中、ライフルやら機関銃やらの生産で手一杯で、そんな銃の生産余力などなかった。しかし、GM社はM3グリースガンというサブマシンガンを手がけていたため、全くの未知の分野とも言いきれなかったのもGM社を指定した理由でもあるだろう。余談ながら、M3グリースガンは日本のとある映画でセーラー服の少女が撃って、「快感・・・」と名言を残した銃器でもあった。ほんと余談でした(;_;)。
 ただ、OSSがGM社に要求した項目は論外だった。
”安く・簡単に・すぐに100万丁作ってほしい”
その要求にGM社は見事に応えた。部品点数はたった23点。プレス加工を多用し、刻印なんて贅沢なものはない。溶接も必要最小限にとどめ、すぐに溶接できるピポット溶接を行った。バレルなんぞはただのパイプでライフリングなどはなかった。重さはわずか450g(弾薬を除く)。これでM1911A1ガバメントと同じ弾薬.45ACPを発射するのだから反動はすさまじかったろう。
 装填方法は

1:コッキングハンドル(兼ハンマー)を後ろに引いて横に倒す
2:バレル後方の閉鎖器(閉鎖器と書くと聞こえはいいが、ただのスライドのフタ)を上げる
3:弾を装填
4:閉鎖器を戻す
5:コッキングハンドルを戻して閉鎖器の穴と合わせてセット
6:発射!
7:発射後は1と2の操作を行う。
8:薬莢は発射薬の膨張で銃を上に向けても落ちないので銃口から棒で突っついて取り出す
9:3から繰り返し

だった。ようは連発はできなかった。ちなみに予備弾薬はグリップに入っていた。10発ほど入ったという。この手順はマニュアル化されていたものの、そのマニュアルは英語圏以外の人でも操作できるように、絵で書かれていた。

 GM社は100万丁をとにかく急いで作り上げた。100万丁を作り上げるのに半年間しかかからなかった。それほど単純化されたからだといえる。工数から勘定すれば300人の人間が24時間フル稼動できたら11週間で作り上げられる計算になる。銃器メーカーではなしえない生産力であり、また、アメリカの工業力のすさまじさを見せ付ける話ではないか。
 この銃器はリベレーター(解放者)という俗称が有名だが、書類の上ではFP-45(Flare・Projector-45)と呼ばれた。これはフレア(信号拳銃)を配備していると見せかけるための措置だと言われているが、「こんなのが拳銃と呼ばれるのは恥ずかしい」という意味合いもあったのではないかと思えなくもない(ちなみに、FPとはFlaresignal Pistolの略とする資料もある)。
 当初の計画では輸送機なり爆撃機なりに積んで空中投下する手筈だったといわれているが、こうすると敵が拾って使う可能性もあったために実行には移されなかった。ただ、どう考えてもこんなおもちゃみたいな銃をまともな軍隊が使うとは思えない。俺だったらいやだ。そのためか、ポーランド・フランスへは結局1丁も届くことはなかった。ただ、折角作ったんだからか、ノルウェーとデンマークに海路で少数(856丁)が輸送されたという記録がある。ただしその輸送船が撃沈されたという説もあり実際にそこに到着したかは分からない。無論、使用記録などはない。イギリスに50万丁が送られたというが、バルカン半島に少数が送られた以外に使用された形跡がない。もっとも、フランスでもポーランドでも、イギリス製のステンガンが大量にばら撒かれていたせいもあって送ったところで使う事はなかったろう。
 ただ、この銃に注目した人がいた。極東司令官のダグラス・マッカーサーで、このFP-45を取り寄せて射撃試験が行われ、性能的に満足のいく結果だったので、太平洋の島々に何万丁かがばら撒かれたという。また、中国に10万丁ほど、インドに20万丁が送られ実戦でも使用されたといわれている。そこそこは使われたというし、活躍もしたといわれている。対日戦で使われたため、日本軍に鹵獲されたFP-45も少なからずあって、日本兵も持っていた兵士がいたといわれている。実際に、アメリカ兵が日本兵の死体からこのFP-45を見つけて、「刻印もない・安っぽい銃だから日本製だ。」という評価を下した話が伝わっている。

 上で書いたように、半分以上は使われなかった。つまり倉庫に眠っていたのだが、「ジャマだから廃棄してくれ」という補給部からの要望は相次いだといわれる。”もったいない”という理屈がなんとか通り廃棄は免れていたものの、結局は終戦になって、用なしになったFP-45は大半が廃棄処分となった。そのため現存するFP-45は数が少なく、今では高値で取引されているという。

 FP-45は上で書いたようにバレルにライフリングがなかった。滑腔といえば今の戦車は滑腔砲搭載だが、これようの砲弾には安定翼がついている。無論、FP-45は普通の銃弾を撃つので発射の際に弾は安定しなかった。普通の銃弾はライフリングで回転させて安定を得るFP-45はこれができず、発射の際は当然ながら、横弾が多発した。戦後の銃器研究者による射撃試験を行なった所、50フィート(約15mチョイ)の距離で4発撃って、グルーピングが5.25インチ(13cmチョイ)だった。無論、手馴れた人の射撃だが、このグルーピングなら人間が標的なら問題なく命中させられるだろう。
 ちなみにFP-45の値段は1丁が1ドル71セントだった。無論、当時と今では貨幣価値が違う。今でいうならば5000円ぐらいだろうか?。この当時、P-51マスタング戦闘機が54000ドルだったことを考えれば、FP-45が100万丁でP-51戦闘機を31機作れた計算になる。無論、陸上兵器と航空兵器を同じ土俵に上げるのは無茶があるだろうが、はたしてP-51戦闘機31機分の活躍ができたかといえば疑問が残る。
 FP-45は戦後しばらく、存在自体が機密扱いされてきたけども、「公表するのが恥ずかしい」というのが本音のような気もする。