FN HP(ブローニングハイパワー)
性能:

全長       200mm
銃身長      119mm
重量       0.91kg
使用弾薬   9mm×19
装弾数       13

 19世紀に産業革命が各地で起こった。蒸気機関の発明で、生産能力が飛躍的に向上し重商政策ならぬ重工政策主義ともなっていった。また、19世紀は”化学の世紀”ともいわれ、いろいろな化学物質が誕生した世紀でもあった。銃器関係に限っていえば、19世紀末にニトロセルロース(綿火薬)が発明された。これは俗に無煙火薬ともよばれ、今までの黒色と違い、急激な燃焼力ではなく徐々に燃えるものであり(といっても0.001秒の世界の徐々にというものだけど)爆発力が安定していたため銃弾の火薬としてはもってこいで、自動式銃器も無煙火薬の発明からスタートされたと言ってもいいだろう。工業力の発達と化学力の発達が銃器世界を大きく飛躍させた19世紀末はこうした社会背景があった。ある意味、銃器の急激な発達はおこるべくして起こったというべきだろう。

 19世紀はいろいろな銃器発明者が誕生した。銃好きなら誰でも知っているだろう、銃器設計者の1人に”John・Moses・Brouwning”がいる。彼はユタ州で銃工を営んでいる者の子で、親の影響で銃器に興味をもった。幼少の頃から銃器設計に関する知識はなみなみならぬものがあったといわれている。彼の開発した最高傑作にM1911A1拳銃(ガバメント)がある。名前のように1911年にアメリカ軍に制式採用された拳銃で、今では陸軍の制式装備から外されているけども、海兵隊では今でも愛用されている。1911年採用だけども原型は1900年にはすでに誕生していた。つまりもう100歳以上になる。それなのに全く古めかしさが感じられないのはやはりブローニングは天才だったと言うべきだろう。

 そんな彼は1930年代に大西洋を隔てたベルギーのFN社から拳銃設計の要請がきた。彼は設計図を起こしFN社に提出した。それをそのまま使用せず、FN社の若手設計者があれこれと改良を施し完成したのがFN HP(ハイパワー)だった。HP拳銃は1935年にベルギー軍に制式採用された。その性能の良さは他国の軍隊も認めており、デンマークやオランダの軍隊でも制式採用がなされた。
 
 1940年5月。ドイツ軍は満を持して西方へと攻撃を開始した。低地諸国三国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルグ)は瞬く間にドイツ軍に制圧され、陸軍大国フランスをも屈服せしめた。領土の全てをドイツ軍に制圧されたベルギーは当然ながら銃器工場FN社もドイツ軍の管理下に置かれた。ドイツ軍が慢性的な拳銃不足という事情もあったろうが、優秀な銃器工場を持っていたドイツでもHP拳銃の優秀性は認めており、ドイツ占領下でもFN社に対してHP拳銃の生産継続を命じた。作られたHP拳銃のほとんどは武装親衛隊に供給されていたので、もしかしたら武装親衛隊が自分たちのために作らせたのかもしれない。武装親衛隊は大戦初期の頃は装備序列が陸軍の下に位置付けられていたので、銃器などは旧式なものを装備させられていた。実際、大戦初期の武装親衛隊の装備は旧式銃器で武装された隊員がよく見うけられる。以上余談。
 下で詳しく述べるが、HP拳銃は13発という大容量の弾倉を採用していたし、野戦分解も考慮されてる設計で、ようは部品点数を少なくして多少は荒っぽく扱ってもきちんと作動するように作られたので戦場でのHP拳銃の評判は非常によかった。ワルサーP38を装備していた陸軍からは羨望の眼差しで見ていたのではないかと思える。また、ドイツ軍制式拳銃弾と同一の弾が使えたのも大きな利点だったろう。軍隊の主要装備ではないため活躍のほどはあまり出ては来ないが、拳銃はライフルを装備しない兵士(たとえば機関銃手や弾薬手とか後方要員など)には欠かせない兵器であり、特に大戦後半の負け戦になってくると後方要員でも戦わなければならず、多分に活躍したのは想像はできよう。しかし所詮拳銃は補助兵器。拳銃の活躍はもうその部隊は終焉間近という意味合いもあった。
 戦後もHP拳銃の生産は継続され、特にいい拳銃を装備していなかったイギリス軍によってL9A1として採用されて今でも使用されている。各国でもライセンス生産がなされ、一部ではデッドコピー品も作られた。それほど優れた拳銃でもあった。

 HP拳銃は外見上では至極当然といおうか、同じブローニング設計のガバメントに似ている。HP拳銃の一番の功績はダブルカーラム(千鳥式)弾倉を世界で始めて採用した点にある。原型のガバメントは.45ACP(11.43×23)弾という大型の弾を使うからどうしてもできなかったけど、9mm×19弾というやや小型めの銃弾を使ったからだろう。これがブローニングの功績かFN社技師の功績かはよく分からないが、戦後しばらくしてから各国でも真似された。ちなみに、ダブルカーラム弾倉自体は別に画期的だということでもなく、モーゼルライフルの弾倉がこの方式だった。ライフルの弾倉は銃本体につくので幅が多少増えても問題はないだろうけども、自動式拳銃の場合は弾倉がグリップに付くので持ちにくくなるという懸念があったため、敬遠されたのだろう。たしかにHP拳銃は保持すると角張っているという印象は受けるが持ちにくいという事はない。これはFN社技師の思考錯誤の結果なのだろうか?
 初期の頃のHP拳銃は上記写真のようにライフル同様のタンジェントサイトだった。当時はタンジェントサイトの軍用拳銃は極当たり前に見受けられたがさすがに実用性はなく、HP拳銃の後の生産型では固定式(当然、微調整はできる)に改められた。
 トリガーはシングルアクションで、今見ると古めかしい印象があるが、当時としては平均的といえた。戦後になって、FN社ではHPDAというダブルアクション型も製作しているがあまり評判はよくなかった。シングルアクションの利点といえば、コック&ロックでホルスターから即座に抜いて即座に安全装置を解除して即座に射撃できるという点は見逃せないだろう。また、操作性もシンプルだった。ダブルアクションだとトリガーを余計に引く必要があるため、これを嫌う人も少なくはない。やはり、HP拳銃は操作性がよく、シングルアクションでトリガーが引きやすいという点が好評な理由なのだろうか?