U.S.M1911A1(コルト・ガバメント)
性能:

全長      216mm
銃身長     127mm
重量      1.10kg
使用弾薬 11.43mm×23
装弾数        7発








左は自分が所有している
ウエスタンアームズ製の
ガスガンです。
グリップは木製に変えて
あります。
結構触りごこちいいっす(^^)
 俗に「コルト・ガバメント」と呼ばれる。「ガバメント」は「官給品」という意味がある。この名前がついたのは軍用として採用されたM1911A1を民間販売する際に「Goverment Model」という名称で販売されたために「ガバメント」という名称が俗称になった。略してGMと言われる場合もある。余談ながら米兵を俗にG.I.と呼ぶがこれは、「Govrement Issle」の略である。

 ガバメントを語るには設計者”John・Moses・Brouwning”を語ることが必要だろう。彼はユタ州で銃工を営んでいる者の子で、親の影響で銃器に興味をもち、幼少の頃から、その銃器に関する天分を発揮していたという。彼が活躍した19世紀末といえば、まだ軍用拳銃はコルトSAAに代表されるようなリボルバー式が主だった。しかし同時期にニトロセルロースを基剤とした無煙火薬が発明されると、銃器の形態も大改革を迎えた。ガス圧が高く、また、燃焼が安定しているため、銃器にも自動化がなされていったのである。よくクローズアップされるのは機関銃だが、拳銃も自動化(ここでいう自動化とは機関銃のように連続で弾丸を発射できるしくみではなく、自動的に銃弾の装填や排莢を行うしくみを指す)されていく事となった。1890年代になってくると、ステアー社やモーゼル社などの欧州の銃器メーカーやアメリカ国内でもウィンチェスター社のボルチャルトなどが自動拳銃を開発しだしたのに衝撃を受けたブローニングはいずれは自動拳銃の全盛時代が来る事を予感して(確信したと言える)自動拳銃の開発に乗り出した。

 1889年にはコルト社の.38口径のM1889ダブルアクション拳銃がアメリカ陸軍と海軍に採用されていた。これはシングルアクションのコルトSAAよりも速射性があるという事で採用されたのだが、実戦で使ってみると威力不足が露呈したという。1899年のフィリピンの(当時、アメリカはスペインとの米西戦争でフィリピンを獲得したばかりだった)モロ族の反乱で鎮圧のために使用していたが、狂信的なモロ族はこの拳銃弾を食らっても平気で突進してきたという。中でもM1889の.38口径を6発すべて食らわせても突進してきてアメリカ兵を槍で刺し殺した事件があって、軍はこのM1889の発注を止めてしまった。どう考えても、慌てた兵士が狙いを外したとしか思えない。なぜならそんな危急な際に6発全て食らわせる技量があるなら、初めっから頭を狙うに決まっているから。ただ、この結果を重大に受け止めた軍はインディアン討伐で威力が実証されていた.45口径の拳銃が軍は欲したのである。そのため.45口径のコルトSAAが暫定的に使用されていたものの、一発一発ごとにハンマーを起こしてやらないといけないし、排莢や銃弾の装填が非常に手間がかかるため、拳銃の自動化は愁眉の的となった。この事がブローニングの自動拳銃開発に大きな拍車をかけたと言える。
 ブローニングは1898年の試作型を改良した.38口径のM1900をアメリカ陸軍と海軍に200丁ほど提出した。このM1900は基本的にガバメントと形は当然ながら似ているが、フレームがバレル先端まできており(ガバメントはフレームはバレル中ほどしかない)また、セフティやスライドストップやマガジンキャッチががないため(マガジンキャッチはグリップ下にあったためだが)、のっぺりとした印象を受ける。しかし、この時にはガバメントの最大の特徴である閉鎖機構”ショート・リコイル”を備えていた。試験されたM1900はいくつかの改修を受けてM1902となった。M1902は外見上での改修点は、ランヤードリング(紐を通す輪)が追加され、スライドストップが付けられた。また内部的には撃針を短くした。これは暴発事故が起こったためだが、慣性打撃を行って発火を確実にするという働きもあるのだろうと思う。余談ながらM1902は”ミリタリーモデル”と呼称された。コルト社内の呼称で、ようは軍にテストを受けた型なのだという意味合いがあるが、軍には制式採用はされていない。
 各種の試験を受けたM1902はついに.45口径バージョンのM1905に発展した。このM1905はコルト社では大量生産を行い(6000丁ほど)軍へ採用を促したものの、軍は200丁しか購入しなかった。コルト社としては不満であったがこれはアメリカ軍次期制式拳銃への採用の第一歩であったとも言える。購入した200丁はその証といえた。実際、1906年の第1次審査ではコルト社の他にルガーやS&W社(スミス&ウェッソン)やサベージなどがあった。余談ながらコルト社は自動式のこのM1905の他にリボルバー式拳銃も提出していた。第一次審査を通ったのはコルト社のM1905とサベージM1906の2種類だった。購入した200丁はこの2種類の最終審査用だった。余談ながらこの時、ルガーM1906は第一次審査で落ちたけど、ドイツ帝国(当時の国名)でルガーP08で採用されて今でも名銃と名高いのは歴史の皮肉か?銃器の宿命か?
 さて、第二次審査に挑んだ両者だったけど、M1905は軍の指示で、マニュアルセフティーが付けられた。ただし銃後方から見て右側に配置していた。親指で操作するのだが、なぜ右利き用にと左側面に装備しなかったのかは不明である。さすがに使い勝手が悪かったのかM1911ガバメントは左側面に改められている。また、銃身結合器を前後2個所から後ろのみに改められた。これは生産性の問題からである。また排莢口が銃の上面に設けられた。マガジンキャッチが銃底面からトリガー後ろに改められた。これはM1909とコルト社内で呼称された。一方サベージも改良を行いM1910と呼称し両者で、試験が行われた。結果はコルト社のM1909が勝ち、軍に採用される事となった。M1909をマニュアルセフティーを銃左側面にあらため、排莢口を従来どおり右にした。こうして1911年3月、M1911と命名され、アメリカ軍制式拳銃となった。

 M1911が採用された時代はまだ世界は平和だったので、大量生産される事はなかった。第一次世界大戦が勃発しても需要はなかった。当時アメリカは中立だったからである。しかし1917年にアメリカ客船撃沈事件が起こるとアメリカはドイツに宣戦布告し、M1911ガバメントの需要も急激に増加した。コルト社だけでは供給が需要にとても追いつかなかったため、生産はアメリカ陸軍造兵廠(スプリングフィールド造兵廠)でも生産が決定しようとしたもののスプリングフィールド造兵廠ではM1903A1ライフルの生産で手いっぱいでとても拳銃までは手が回らなかった。そこで民間で10社ほどで生産が決定したものの、レミントン社を除いて生産が開始する前に戦争は終わってしまった。恐らく拳銃の供給は需要に追いつかず、M1911が完全に装備されたとはいかなかったと思われるが、戦地でのM1911は大好評であった。信頼性が高く、多少荒っぽく扱っても作動した。また威力は文句のつけようがなかった。
 第一次大戦後、このM1911は小改良を受けた。照門(フロントサイト)を肉圧にして、トリガーの位置を後退させ、グリップ後部をアーチ型にして、トリガー後方をリリーフカットを行って、トリガーを引きやすくした。またハンマー後方を若干長くして指でコックしやすくした。また、グリップのチェッカリングを全面に施した(M1911はネジの部分はチェッカリングが施されていなかった)。こうした小改良は1923年までに終了して1926年6月15日に(7月とする資料もある)M1911A1として採用された。3年のタイムラグがあるのはそれだけ世の中が平和だったという事なのだろうか?。
 1939年9月1日に第二次世界大戦が始まったが、アメリカは中立だった。明らかに連合国寄りだったとはいえ自国が交戦しているわけではないので、拳銃の需要も当然ながらなかった。1941年には武器貸与法が成立しイギリスに莫大な武器が供与されたものの、それでも拳銃の発注はそうはなかった。しかしその年の12月7日に日本軍が真珠湾を奇襲攻撃し、同時に宣戦布告を行い、その4日後にはドイツ・イタリアの枢軸国側がアメリカに宣戦布告した事で事態は一変した。M1911A1ガバメントの大量発注・生産が始まったのである。コルト社だけでは手がおえず、別のメーカーでも生産される事となった。銃器とは全く関係のない、鉄道用信号を生産していた、ユニオンスイッチアンドシグナル社でM1911A1ガバメントの生産を行っていた。

 発注は第二次大戦が終わった1945年には止まった。また、新規の発注はこれ以降は永遠にされる事はなかった。その後にも朝鮮戦争やベトナム戦争など大きな戦いがあったにも関わらず新規注文はせず、古くなったらメーカーに返して完全分解(オーバーホール)でまた納入させていた。それほどアメリカ軍は第二次大戦に大量に注文しまくったのだろうか?。しかし部品だけはどうしても消耗するので部品の手配は今でも行われている。
 第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争でも活躍したのは無論ながら、さすがに現代戦には.45口径の拳銃は時代錯誤となっていたのは明らかだった。1985年1月14日。9mm口径のベレッタM92FSがM9という名称で採用され、ガバメントと急速に交代されていった。しかし.45口径の威力は文句がないし、また.45口径の拳銃としてはコンパクトなため、アメリカ軍内部でも一部の部隊は今でも継続使用されている。

 マッカーサーの名言「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」というのがあるが、ガバメントにピッタリな言葉だろう。いや「ただ消え去るのみ」ではない。決して消え去らないだろう。たとえ消える日がこようとも銃器の歴史には残るだろう。永遠に。


 前置きがとてつもなくなりましたが(笑)、このガバメントの銃の特徴としてはそんなにない。オーソドックスな拳銃と言える。しかし今でも全く古さを感じさせない拳銃が1911年にできてたなんて(日本ではまだ明治時代)これがすごいと思う。まぁ、安全装置が手動のはともかく、グリップにもセフティがあり、ようはグリップを握らないと撃てない。また、ハーフコックもできる。ハーフコックはハンマー(撃鉄)を起こしきれないうちに誤って指を滑らせて撃発しないようにする安全装置である。おそらく開発段階でこうやって暴発させた事故があったのだろう。
 色は鉄の黒色ではなく、パーカーライジング(防錆処理)が施されているため、グレーっぽい色になっている。ガバメントは銃口が大きいワリにバレルの肉が薄いので、連射するとバレルが加熱して膨張して、25m以上の射撃では弾道がやや上にズレるという欠点があった。しかし拳銃は基本的に遠距離射撃では使わないし、第一、拳銃を連射で撃たなければいけない状況になってしまったらもう終わりである。だから問題にはされなかった。軍用はもとより、民間用としても多種販売されている。また自分で改造を施して射撃精度をあげている個人シューターも多い。これはガバメントが単純な構造でなおかつ堅固だから多少の改造には耐えられるという実証でもあろう。


 歴史ある拳銃なので映画などで使用される例はきわめて多い。説明不要だろうが、テレビ番組の「COMBAT!」でもサンダース軍曹が使用していたのは良く知られている。また、日本アニメでも、「ルパン3世」で銭形のとっつぁんが使用している。