南部十四年式自動拳銃
性能:

全長      211mm
銃身長     120mm
重量      0.85kg
使用弾薬  8mm南部
装弾数       8
 19世紀末頃は自動拳銃開発の盛りな時期であった。無煙火薬の発明で燃焼力が高くなおかつ燃焼速度が安定しているこのニトロセルロースを基剤としたこの無煙火薬の発明で銃器も一気に自動化の波が押し寄せた。アメリカではブローニングやボルチャルトなどが、ドイツでもモーゼル社などが積極的に開発を行っていた。それぞれ、ガバメントやルガーP08やモーゼルC96が作られている。
 日本でも銃器設計界では有名だった南部麒次郎(最終的には陸軍中将にまで上りつめている)が1900年頃から各国の自動拳銃を取り寄せていろいろと研究を重ねて明治36年(1903年)には試作品が完成した。外見的にはボルチャルトのルガー拳銃に似ているので外見はこれを参考にしたと思えるが、作動方式はモーゼルC96を参考にしたようである。また内部構造はイタリアのグリセンティ自動拳銃を参考にしたといわれる。外観や作動方式はともかく内部構造にまでなってくると外見では分からないのでほとんどマニアの領域といえるかもしれない。
 当時の南部麒次郎は陸軍に所属しており、東京砲兵工廠で設計と製作を行っていた。しかし同年に日露戦争が勃発し、拳銃どころではなくなってしまい、軍制式採用の拳銃でもなかったのでさほどは生産されなかった。それでもなんとか資材を調達して、日露戦争終結までに約2400丁を生産した。明治38年(1905年)からは民間に販売するために(将校用の拳銃は自腹購入だったのでそれようと思われる)生産された。
 話は戻して、日露戦争前にはモーゼルC96のようにストックが付けられるタイプがあり、これはグリップ後方に金具(溝?)があった。これは甲型と呼ばれ、この金具がないタイプは乙型と呼ばれるが、現在では両方とも南部自動拳銃と同一名で呼ばれる。しかも後にでてきた南部小型拳銃が乙型と呼称される例もあるようで名称はそこんところややこしいくなっている(;_;)。
 さて、南部自動拳銃は大正4年(1915年)に海軍が南部4年式自動拳銃として採用した。制式名が左の呼称だけど、海軍内からは「陸用拳銃」と呼ばれた。10年後に陸軍に採用されるとこの呼称は「海軍拳銃」と呼ばれていたらしい。陸海軍のいがみ合いはすでに始まっていたのだろうか?。さて、この4年式拳銃は後の14年式拳銃との相違点は、安全装置がなかったのと、その代わりかは知らないけど、握り込まないと発射できないようにグリップセフティがあった。また照準もライフルのようなタンジェント式の可動式となっていた。細かい点をいえば、グリップのチェッカリング(シマシマの滑りどめ)が全体にあったという点だろう。だいたい1万丁が海軍に納入されたといわれる(数量には諸説ある)。
 大正14年(1925年)には陸軍が採用し、ここで南部14年式自動拳銃の呼称は誕生した。海軍の拳銃との相違点は上で述べたように、安全装置がグリップセフティを廃止して銃後方から見て左側面に手動の安全装置が付けられた。また照準が固定式となった。拳銃の有効射程を考えればこれで充分だったろう。南部拳銃は日本特有の8mm南部弾というモーゼルミリタリー弾と酷似した形状となっている。口径はモーゼルミリタリー弾が7.65mmに対して8mmなので威力は上かとおもわれがちだけど、実際には装薬を落としていたのだろうか8mm南部弾の方が威力は弱かったという。その分反動も少なく非常に撃ちやすい拳銃であったという。撃ちやすい分反比例しての威力低下は致し方ないだろう。
 それ以降もぼちぼちと改良されていき、昭和9年(1934年)以降の14年式拳銃にはマガジンが入っていない時には撃発しないようにとマガジンセフティが追加された。これは弾が入っていない時に撃発させると、撃針のスプリングを傷めてしまうからであろう。昭和14年(1939年)には寒冷地用に手袋をしてても楽に発射できるようにトリガーガードを膨らませたタイプが作られて、以降はこれが標準となった。この型は使う場所から俗に「北満型」と呼ばれている。
(北満=言うまでもなく、日本の傀儡国家の満州国の事。しかし、満州国は国際的には認められていない国家だった)
 翌年の昭和15年には射撃中にマガジンが脱落しないように弾倉押えバネが追加された。生産は太平洋戦争終結まで行われ総生産量は約28万丁に及んだといわれる。戦後は多くが廃棄処分されたものの、それゆえに価値が高く、外国のコレクターからはプレミアがついた値段で取り引きされているという。欠点は弾が特殊なので、作っているメーカーがほとんどなく(ないわけではないようだ)当然弾も高いので、1発の射撃に金がかかってしまうという事だろう。
 この拳銃の設計者、南部麒次郎は回想録で、「この拳銃に関しては特筆すべき点はなにもない」と言っている。たしかにそうかもしれないが、それだけ堅実な作りであったといえるだろう。

 南部14年式拳銃の特徴としては外見はルガーに似ているという点でしょうか?グリップは意外と細く、とても握りやすい。日本人に合わせた拳銃とも言える。またセフティも漢字で"火"と"安"と刻印されているのですごくわかりやすい。関係ないけど自分は"安"を"受"と読んでおりました(;_;)。"受"ってなんだろな〜と長らく疑問に思っておりました(;_;)。
 射撃中にマガジンが脱落するという事件があったため、昭和15年には弾倉押えバネが付けられたもののこのバネがクセモノで、マガジンキャッチを押しても脱落しないため、マガジンチェンジの時にはスライドを引きながら、マガジンキャッチを押しながら手で弾倉を引き抜く必要があった。手が3本欲しくなる(笑)。当然このままでは2本の腕では弾倉替えができないので、スライドを引ききった所で固定する金具が付けられた。んでも、弾倉替えに余計な時間がかかってしまった。