種類:重機関銃 性能: 全長 1635mm 銃身長 1143mm 重量 38.2kg 使用弾薬 12.7mm×99 装弾 ベルト式 発射速度 450〜550発/分 初速 894m/s |
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.50口径機関銃なので「キャリバー50(フィフティー)」とも呼ばれる。 この機関銃は恐らく軍用機関銃としては一番の最高傑作と言える。なぜなら、この機関銃は制式採用が1933年と古めかしいにも関らず、今なお現役であるし、古めかしさも感じられないからである。 元々は、観測気球や軽装甲車輌を撃破するために開発されている。観測気球という名前には少しばかり説明がいるだろう。今なら観測気球といえば気象観測を思い浮かべるかもしれない。しかし軍用の観測気球というのはたしかに気象観測もあったのだが、一番の目的は長距離砲の着弾観測だった。無線機があまり発達していなかった時期は比較的盛んに用いられていた。ただし、無線機や有線電話の発達で不要になってきたばかりか、対空兵器の発達で、気球自体が単純な的となっていった。現にノモンハン紛争では日本軍の観測気球は殆どが撃ち落されている。軽装甲車用としても、当時は戦車でも正面装甲が25mm程度で、軽戦車程度なら十分に貫通できた。極端な話だが日本の軽戦車は中国軍のモーゼルライフル弾で側面装甲を撃ちぬかれる事もしばしあった。上で述べたように1933年(1935年とする資料もある)に採用された。一般には歩兵用ながら、威力があるので、車輌用や航空機用にも採用されていった。
また、当時のアメリカ機関銃としては珍しく銃身交換が簡単にできた。方法はハンドルを1インチくらい引いて(銃身止め指示が銃器本体に描かれているのでそこまで引っ張る)付属品の銃身キャリングハンドルを銃身に装着して銃身を回せば簡単に外れる。ただし、いうまでもないけどもこの作業には最低2人は必要になってくる。同じ要領で銃身装着も行う。ただし、ヘッドスペースなどの調整が必要で、これをサボると壊れる可能性がある。 また3脚(トライポット)も合わせた合計は60キロの重さとなるが、3脚を1人ずつで持って3人で簡単に運べる。と文献に書いてあるのだが、4人で運ぶ92式重機関銃と同じ重さの機関銃を1人減の3人で運ぶのだから、さぞ大変だったろう。射撃は上に書いてあるように、押し鉄方式である。押す力も結構必要で5キロ程度の押す力がいるそうだけども、この程度なら子供でも押せるだろう。重量が結構あるので、反動は殆どこない。しかし振動が凄い。本気で目標に当てる気なら、両腕をピンと伸ばして気合を入れて撃たなければいけない。軽く保持しているとあらぬ方向ばっかりに射撃してしまうからである。しかしその程度で振動が収まるはずもない。 「あれ(M2重機関銃)は絶対に中(あた)らん。ほんな(本当に)脅し用の機関銃だけんねぇ」 と元自衛官は語る。 歩兵用機関銃としては第二次大戦までは使われていたものの、必要以上に威力があるという事で今はM60機関銃がその任務(重機関銃としての)を受け継ぐ事になり、だいいち重いので歩兵用の機動戦力としてはあまりつかわれていない。もっとも防衛任務には使われているけども。
対空兵器としてのM2重機関銃はこのT77E1が最後でそれ以降のアメリカ軍対空機銃兵器は20mmか40mmとなる。戦車用としては最初に搭載が確認されるのが1936年に騎兵部隊用に採用された「M1コンバットカー」である。コンバットカーというのは軽戦車(ライトタンク)の事なのだが、なぜわざわざ「コンバットカー」なんて名前をつけたかというと、単純に領分(ナワバリ)争いの結果で、「タンク」と名前をつけてしまうと機甲兵科の兵器であり騎兵用の兵器ではないではないかとアホみたいな論争の結果なのである。ただし1940年には制式に「ライトタンク」の名称が与えられた。領分争いの結果というよりは単純に騎兵科がもう必要なくなったからというのが理由だろう。これはドイツの「突撃砲」と「駆逐戦車」。日本の「軽戦車」と「軽装甲車」のような関係と同じである。さて、1942年に採用されたM22軽戦車にも搭載されている。主力戦車としてはM4シャーマン戦車が最初の搭載であるが、当時の写真を見る限りでは未搭載の車輌も多い。M4シャーマンの最終型であるM4A3E8(イーズイエイト)には多くが搭載されているものの、それでも未搭載車輌も見受けられる。しかしそれ以降のアメリカ軍主力戦車には全て搭載されている。一番最新なのはM1エイブラムズ(現在ではM1A2まで改修が進んでいる)だが、この戦車には同軸機銃を除けば2丁の機関銃がある。1丁は戦車長用でもう1丁は装填手用である。装填手用と同軸機銃は.30口径で、この.30口径は性能がいいという理由で、今まではブローニング製なのをベルギーのFN社製に変えている。戦車長用の機関銃は.50口径でもちろんM2重機関銃である。余談ながら主砲の120mm砲はドイツ製である。ここまで外国製に押されながらも、M2重機関銃は現役でその地位を立派に守っている。それだけ優秀な機関銃なのである。 戦闘機用M2重機関銃はAN-M3と呼ばれていた。ここではM2重機関銃で統一したい。何時頃から搭載されていたかが分からないものの、少なくとも第二次大戦にアメリカが参戦した頃には殆ど全ての戦闘用航空機(戦闘機や攻撃機や爆撃機)に搭載されていた。戦闘機用としては4門から6門が配備されていた。アメリカ戦闘機は命中精度のよくなるプロペラ圏内の搭載をしない傾向にあり、P-40ウォーホークなどの例外はあるものの、中盤以降の戦闘機は全てが主翼に搭載されてた。P-51マスタングやF6Fヘルキャットなどは翼に3門づつ計6門。P-47サンダーボルトは4門づつ8門が搭載された。無論いくつかの例外はある。しかしプロペラ圏外搭載が基本であったには違いない。ベルリン上空に飛んできて「もう負けた」とゲーリング空軍元帥をして言わしめたP-51マスタングを例にとると、搭載銃弾数は内側のみ400発ずつで中央と外側の銃の弾数は270発だった。航空用ということもあり、地上用よりは火薬の量をふやしており、片翼3門が発射不良に陥った場合、もう片方のM2機関銃3門の射撃を行うとスキッド(射撃を行っている翼の部分が反動で後方に下がるためバランスが崩れる)を起こすのでその場合は短く射撃を行っていた。1門だけの故障でも軽いヨーイングを起こしたといわれるが特に飛行に支障はなかったようだ。あと、連続射撃は200発までに制限されていた。M2重機関銃保護として出撃時には銃口プラグをつけていた。敵に遭遇しないなら、そのまま帰投で済むから保護には役だったろう(銃口は常に前を向いているから異物が進入しやすい)。無論敵との遭遇で射撃するときは一撃目でプラグは外れる。 爆撃機もドイツ敗北を決定的にした爆撃を行ったB-17を例にとると、最終型のB-17GはM2重機関銃を13門搭載していた。たしかにこれは適切だった。配備部署によっては手動での操作が必要になってくるから、20mmでは重すぎ、かといって軽い7.62mmなら威力がない。12.7mmのM2重機関銃は適切であったのである。B-17は特に機体が頑丈であり、日本やドイツ戦闘機でB-17を攻撃してB-17に銃撃を浴びせても容易には撃墜できず、返り討ちにあった例も多い。M2重機関銃の有効射程は日本・ドイツの銃器よりも長かったからでもある。当時のB-17内部の写真を見ると弾頭が5発ごとに弾頭の色が異なっているのがある。どれかは曳光弾(発射後光って弾道を見えるようにする)なのだろうけど、普通は何発かに1発の割合なので変な配分だなぁと思う。実際のところは分からないけども。 また、こんな話もある。 日本のある零戦搭乗員は単機で、偵察任務のB-17(向こうも1機だった)と遭遇。あっちの有効射程が長いのは知っているから、無理な攻撃はせず、敵射程外でふらつき、ときおり機首を敵爆撃機に向けて、ビビった相手はM2重機関銃を乱射する。有効射程外だからあたらない。弾が切れると、M2重機関銃は装填のために銃口が上を向く(後ろの方が当然重いから)。その時を狙って接近してエンジンに機銃弾を浴びせ、敵が装填完了したらまた離れる・・・。この繰り返しで4発のエンジンを全て撃ちぬいて撃墜した例もあった。時間にして20分であった。しかし、優秀な銃器には違いはない。 戦後、戦闘機用としてはF-86Fセイバーまで搭載されていたものの、それ以降は20mmとなった。爆撃機ではB-52が最後となったものの後方にM2重機関銃を4門搭載していた。しかし、手動操作ではなく、レーダーと連動しており、射手は離れた位置からこのレーダーからの情報を元に銃を操作する。つまり直接動かす事はない。B-52はベトナム戦争に投入されたものの、この4門のM2重機関銃で北ベトナム軍のMig-21フィッシュベット戦闘機を2機撃墜している。まさにM2重機関銃の有終の美を飾るとともに、決して劣ってはいないと古参銃器の最後の意地でもあったろう。 上記にあるように、戦闘機搭載としてはもう使われなくなったものの、陸上兵器としてはまだ現役である。ずっとずっと、銃器が火薬を使用する限り撃たれつづけることだろう。 |