U.S.M60機関銃
種類:多用途機関銃

性能:

全長     1105mm
銃身長     560mm
重量       11.0kg
使用弾薬 7.62mm×51
装弾数       
(ベルト給弾式)
発射速度  550発/分


左の写真は小僧さん撮影です。無論エアガンですが、う〜んダンディ〜(謎)
 銃に限った事ではないが、兵器は「使われなかったら幸せだった」というのと「使われたからこそ幸せだった」と言える兵器もある。今から紹介するU.S.M60機関銃は後者の代表格だと言えるだろう。

 第二次大戦当時の列強で分隊火器としてベルト給弾式の機関銃を装備していたのはドイツ軍のみだった。アメリカ軍は歩兵全員に自動ライフルを配備していたものの、分隊支援火器としてはBAR軽機関銃が配備されていたのみだった。これは自動ライフルとして見た場合はすばらしい性能だったが、軽機関銃として見た場合は役不足だった。銃身交換ができないので連射できる回数はおのずと決まってきたからで、その点では諸外国には劣っていたといえるだろう。アメリカ軍にはジープ&機関銃のコンビが戦場を駆け巡ったから問題はなかったのだろうか。

 さすがのアメリカ軍も自軍の軽機関銃の限界を悟り、ドイツ軍のような汎用機関銃を求めた。ドイツ軍からMG42を鹵獲し本国に送ってからコピー生産をしようとした。ただし、設計の際にセンチとインチを間違えたために試作銃は1000発ほど撃ってから壊れたと伝えられている。当時、ドイツではメートル法を採用しており、アメリカではヤードポンド法を採用していた。図面があればその寸法を変換すれば中途半端な数字にはなるがきちんと寸法がだせるものの、現物の寸法を計ってから図面をおこすのは難しいものがあった。たとえばセンチで作られた部品をインチで計りなおす場合、0.1センチぐらいまでならなんとか測定できるが、それ以下では厳密に計り直すのは難しいものがあった。具体的に例をあげれば、たとえば部品寸法が75mmの場合、インチにすれば2.95275インチとなるが、物差しなりノギスなりで測っても3インチとしか測定できなかったのは容易に想像がつく。つまりは75mmの部品が76.2mmで製造される可能性があった。MG42のように反動利用式の銃器は0.1センチ以下の精度が必要だった。

 この失敗で一時期、新機関銃開発は中断して、既存の機関銃(M1919A4)をストックと2脚を付けてなんとか間に合わせな汎用機関銃を作った。ただ、間に合わせなのは承知の上で、今度はドイツ軍のFG42に注目したという。たしかにFG42はフルオート時はオープンボルトで、横から給弾するので機関銃への技術転用は容易と考えたのだろうか。たしかに、ガス作動式で、オペレーティングロッドや緩衝器など参考にしたと思われる場所はいくつかあるし、形状的にも、銃身の前に2脚を設けて、ハンドガードを銃身の真ん中から後ろの方にあるのはFG42と同一である。

 後にU.S.M60 Machine Gunと命名されるこの機関銃は、開発時のコードネームはT-161E3と呼ばれていた。この数字の意味は良く分からない。初めは.30-06(7.62mm×63弾)で開発が行われていたものの、開発途中で.308ウィンチェスター(7.62mm×51弾。俗にいうNATO弾)に歩兵用銃器の弾薬を変更したためこのT-161E3も.308Win用に変更された。弾が小さくなるので変更はスムーズにできたと想像される。同時期に歩兵用ライフルもトライアルされていたが、この機関銃の方が先に制式採用の運びとなった。1957年2月にM60機関銃はアメリカ軍によって制式化された(M14ライフルの制式採用は1957年5月だった)。

 採用当時の1950年代後半のアメリカの若者といえば、恐らくアメリカの歴史の中で一番輝いていた頃ではなかったろうか?朝鮮戦争の傷も癒えて、まだベトナムという単語も知らなかった当時の若者は、働いて貯めた金で車やバイクを買って乗りまわし、男女ともに愛を語り、青春を謳歌していた。無論、この頃でも共産主義との確執はあったが、それは雲の上の話であり、一般の若者にはどうでもいいことだった。まさかこの若者たちはM60機関銃を担いでジャングルを走り回ろうとは夢にも思っていなかったろう。

 1960年代になると資本主義諸国と共産主義諸国が一触即発の状態となった。キューバ危機では両者が妥協して核戦争の危機は去ったわけだが、アジア地域に目を向けると共産主義が拡大していた。ベトナムではベトミン軍が(いくら第二次大戦でドイツに占領されたとはいえ)陸軍大国のフランス軍をベトナムから自力で追い出し、共産主義国家を作りつつあった。アメリカでもベトナムが赤化するのはどうしても容認できなかった。第二次大戦後、2大国(アメリカ・ソビエト)のエゴで分断された国家はドイツ、朝鮮、ベトナムがあるが、全てがどちらの陣営で統一されるかは両国にとっては死活問題とも言えた。アメリカが朝鮮戦争の時のように大々的にベトナム国(南ベトナム)を支援したのは当然だったのかもしれない。

 1960年からベトナムから撤退したフランスに代わってアメリカが露骨に干渉を行った。軍事顧問団という名目で派兵を行っていた。派兵といっても数百人のレベルだった。ただ、ベトコン(南ベトナムゲリラ)が思いの他手強いことや彼らを支援するベトナム民主共和国(北ベトナム)が他の共産諸国の援助で確実に強くなっている点から、当時のアメリカ大統領、ジョン・F・ケネディは軍事顧問団を1万数千人のレベルまで上げた。露骨な軍事干渉に、アメリカべったりだった南ベトナム大統領もさすがに「ベトナムはアメリカの属国になりたくはない」と漏らした。ケネディ大統領は暗殺をもってその声明に答えたのだった(実際にはクーデターだが、CIAが裏で糸を引いていたという)。

 1964年初めにアメリカは数千人の兵隊を送った。少ない数だが、ただしこれは軍事顧問団としてでなく戦闘部隊として送られた兵員で、この後ベトナムに派兵されるアメリカ軍の数は増加の一途を辿った。北ベトナムもこれに対抗して兵を南へと向けた。ただ、形式上では南ベトナムには北ベトナム兵はいないことになってたし、堂々と南北ベトナム国境を越境できなかったために、兵力・物資移動はラオス・カンボジアを経由していた。1965年には南ベトナムゲリラを直接的に支援しているとしてアメリカ空軍・海軍航空隊は北ベトナムに対して空爆を開始。宣戦布告は両国とも行わなかったが、文字通りの「戦争」が始まったと言えるだろう。

 当時のアメリカ陸軍はM14ライフルとM60機関銃のコンビで編制されていた。M14ライフルの方は後にM16突撃ライフルにとって代わられるのだが、M60機関銃の方はアメリカがベトナムから撤退した後もずっと使われつづけた。その理由としては性能が格段に良かったからというわけでもなく、

「他に代わる機関銃がなかったから」

に他ならないだろう。とはいえ、当時としては他国の機関銃と比べても極端に劣っているわけでもなかったし極端に壊れやすかったわけでもなかったのだから、敢えて大枚はたいて新規機関銃を開発するメリットはなかったのだろう。

 さて、当のベトナム戦争ではM60機関銃は分隊に1丁は無論の事、陣地防衛用やヘリに積まれて、ベトナムのジャングルで動くもの全てに対してM60機関銃が火を吹いた。「動くもの全て」というのは決して揶揄ではなく、実際にベトナム戦争でのアメリカ軍の死傷者の2割弱は同士討ちによるものだと言われている。
 後で詳しく述べるがM60機関銃には他国の機関銃と比べて欠点が多く、兵士からの評判もいいものではなかったが、これしか機関銃がなかったせいもあってずっと使われつづけていった。実際に撃ち合いになればM60機関銃は活躍したのは言うまでもなく、特に弾薬供給は怠りなかったから、ともかく撃ちに撃ちに撃ちまくった。ベトナム戦争はライブでテレビ中継された最初の戦争であり、また記録写真も数多く残っているが、その中でアメリカ兵が機関銃弾帯を体に巻いたシーンが多くあるが、まさにそれだけ撃ちまくったしそれだけ供給していた証でもある。

 上でも書いたようにベトナム戦争では分隊レベルに至るまでM60機関銃は配備されていた。一般歩兵がM14ライフルを使っていた頃ならばそのメリットはあったろうが(使う弾が同じなので)1967年以降は5.56mm弾使用のM16ライフルに切り替わると、さすがに不都合が生じた。自分のライフル弾が尽きても、自分の体に巻いている機関銃弾は使うことができなかった。また、ベトナム戦域において分隊レベルでの戦闘では戦闘距離が200mを超えることがほとんどなかった。M60機関銃は不必要に重たく不必要に威力があった。無論威力があるに越したことはないのは無論だが、さすがに同じ分隊、同じ小隊ではおんなじ弾を使えたほうが融通が利いたに補給面でも混乱は起きないだろう。ただ、ベトナム戦争では結局はM60機関銃は最後まで使われつづけた。「それしか機関銃がなかった」からというのが真の理由と言えるが、やはりそれなりに信頼できた機関銃でもあったとも言えるだろう。

 ただ、1991年の湾岸戦争ではM60機関銃は故障が続発しこれで愛想がつかされたのかFN社製の機関銃が新しく採用される運びにありM60機関銃は退役の一途をたどりつつある(2004年4月現在)。

 特に映画の影響が強いと言えるが、M60機関銃は優れた機関銃というイメージがあり人気も高い方だと言える。映画「ランボー」のように片手で撃つなど余興以外のなにものでもない撃ち方をしているのもあって、M60機関銃=無敵の機関銃というイメージもあるだろう。そういう意味では広く知られた優れた機関銃であると言える。




 M60機関銃は映画でもよく登場する機関銃のため銃に無知な人でも外見は知っている人は多いのではないだろうか?「名前は知らないけど見た事はある」という機関銃ではブローニングM2重機関銃と共に知れ渡った機関銃と言えるだろう。外見的な特徴というのは特にはない。それだけスタンダートであり知られた機関銃であったと言える。

 内部はといえば、前のM1919機関銃と違って、オープンホールド方式を採用している点にある。M1919機関銃と同じくベルト給弾式を採用しているが、装填方法で違っているのは、M1919機関銃やブローニングM2重機関銃ではベルトから一旦弾薬を引きぬいてから薬室に弾薬を装填するが、M60機関銃は普通にベルトリンクされた銃弾を押しこむ形をとっている。たしかに引きぬく工程がいらないからその分信頼性は上がったと思えるが、現実的にはM1919機関銃は無故障機関銃と絶賛されたのにM60機関銃はそういう話は聞かない。ただし、撃ちまくってもコックオフ(薬室に蓄積された熱が銃弾に伝播して勝手に発射される現象)が物理的には起こらないので(発射スタイバイの時に銃弾は薬室にはないから)その点の安心感はあったと言える。だが、ベトナム戦争ではM60機関銃はコックオフが起こった事例がいくつもあり、勝手に発射されるからベルトリンク銃弾を捩(よじ)らせてわざと給弾不良を起こさせてようやく止めたという話も伝わっている。恐らくシアがイカれたのだろうが、そのへんの部品の信頼性も疑問があったのだろう。

 M60機関銃はフルオートオンリーでセレクターは無論無い。連射速度は600発/分でアメリカ製にしては珍しく発射速度が遅い。そのため、慣れれば単発射撃も可能だという。
 弾の装填方法は、まずはコッキングハンドルを1回引いて安全装置をかけたのを確認してから、銃本体の銃床(ストック)の右にあるラッチを解放してフィードカバー(機関部覆い)を開けて真ん中に初弾がくるように弾をセットしてからフィードカバーを閉じて安全装置を解除すれば即座に撃てる。ベルト弾帯は分離式で、弾を結合する金具は使い捨てだと考えていい。結合する金具を拾い集めてまた使うこともできるが、アメリカ軍の場合は機関銃弾はリンクされた状態で専用の弾薬箱に入ってくるのでそうする兵士はほとんどいなかったろう。ちなみに、弾薬箱自体も使い捨てなので戦場では使い切ったらその場で放棄となるし、ミリタリーショップなどに転売して小遣い稼ぎする輩もいただろう。

 作動方式はガス圧作動式を採用している。ちなみにM60機関銃はアメリカ軍が使う機関銃の中では初めてガス圧作動式が採用された機関銃であった(芋掘り機とアダ名された機関銃はガス圧を利用していたが、あれはガス圧作動機関銃に収めるには無理があろう)。銃身途中に穴をあけてガス圧をシリンダーに導いて閉鎖を解除してボルトを押し下げる。引き金が引かれていないならば、ボルトが後退状態で止まって引き金が引かれていたらボルトがまた前進して発射する。ちなみに閉鎖機はちゃんとあって、撃発直前にボルトが回転して閉鎖するようになっている。

 M60機関銃にはいくつかの欠点があった。兵士からの不満は、給弾不良が起きやすかったのと銃自体が重い点だった。
 重機関銃として支援目的で使うならともかく、軽機関銃(分隊支援火器)として使う場合は1人で操作するのが常だったから、射撃時にベルトが踊ってしまって給弾不良を起こすものだった。もっともこれは他国の機関銃も介添者がいないと同様になるのだから、M60機関銃単体の欠点とは言えない。しかし使う兵士にしてみれば死活問題だから、Cレーション(缶詰食料)のカラ缶を銃左に設置して銃弾ベルトのガイドとして使った例もある。
 重量は、M60機関銃の重量は他国の機関銃と比べても決して重い方ではない。しかし分隊の機関銃手は1人で運搬する必要があり、しかもベトナムのジャングルを歩きまわり、しかも緊急行動時(突撃や撤退など)には歩兵と一緒に走る必要があるのでその苦労は大変だったろう。ベトナム戦当時、M60機関銃はPig(豚)とアダ名されていた。
 この戦訓は後にM249軽機関銃(ミニミ)が採用される契機になったとも言える。
 M60機関銃の欠点は他にもあって、中でも大きな欠点は銃身交換が大変だった点にある。M60機関銃は銃身交換自体は簡単にできたものの、予備銃身はガスシリンダーと2脚とが一緒になっていたために、携行が大変だった。銃身交換時には安全に持つ場所がなく、アスベストパッドは必需品だったが上で書いたように銃身セットがやたらと重たいので小さいアスベストパッドのほかにも濡らした厚手の布やら自分の着替えの服など使えるものは何でもつかって交換していたことだろう。2脚が一緒になっているために銃身を外してしまった銃本体は戦場などの野外では地べたに直置きせざるを得ず泥などが付き易い欠点もあった。同様の理由で伏せてからの銃身交換は不可能ではないにせよ多大な苦労が伴った。
 その欠点を是正すべく、銃身のみを交換できるように銃身自体にキャリングハンドルを設けて交換時にはここを握れば素手でも銃身交換が可能なようにして、軽量化して、フォアグリップを付けてより操作しやすくしたM60E3機関銃が作られるが結局はアメリカ陸軍に本採用されることはなかった。