MG34

種類:多用途機関銃

性能:

全長      1219mm
銃身長      627mm
重量        11.0kg
使用弾薬 7.92mm×57
装弾数    50発ドラム
       250発ベルト
発射速度  900発/分
初速      760m/s


左上の写真はアンディー氏協力による写真です(^^;)ちなみに、本物です(^^;)

下の写真は源三郎さんからいただきましたどうもありがとうございます
≦(_ _)≧
 何度も何十度も書いたが、第一次大戦は機関銃の戦いだった。機関銃と鉄条網と塹壕を張り巡らせた防御陣地は西部戦線を4年も膠着させた原因となったし、戦死傷者がケタ違いに増えたのも、上記機関銃陣地の防御力が圧倒的に攻撃力に勝ったからだった。
 1918年ドイツ敗戦。ドイツ皇帝カイゼルは亡命し帝政ドイツは終わった。同時に敗戦国ドイツには膨大な賠償金と軍備制限が課せられた。飛行機・戦車・潜水艦の開発・所有は禁止され、兵力も10万人まで。細かい点をいえば銃器類の開発も制限された。機関銃の開発が極端に制限されたのは言うまでもないだろう。第一次大戦でドイツ軍が使用していたマキシム式水冷機関銃は賠償代代わりに各国に分捕られて国内保有数もそうなかったから、ドイツ軍にすれば新型機関銃の開発は愁眉の的といえた。
 スイスにゾロータンという会社があった。これは資本をドイツ側が支配しているようはドイツのダミー会社で、ここで各種の銃器の開発が行われた。特にベルサイユ条約で制限されていた機関銃と対戦車ライフルなどが開発された。
 
↑MG34右側面写真
 ワイマール憲法下のドイツの1930年には既にここゾロータン社で新型機関銃が開発されていた。後にMG30として採用される機関銃であるが、これは従来の水冷式をあたらめて放熱式ジャケットを取りつけて空冷式として重量を軽くした。当然冷却性は劣るが、これは銃身を即座に交換できるようにして解決するようにした。外見上ではMG34に似ている。ただ、2脚がそのまま折りたたむ方式(MG34は一旦内側に畳んで後ろに仕舞う)なので放熱ジャケットに2脚固定具がなく、スマートな印象を受ける。銃身・機関部・銃床が一直線なせいでスマートに見えるのだろう。作動方式はショートリコイル式で、今でこそガス圧作動式が主流であるが当時としてはそう珍しくはなかった。ショートリコイル式は閉鎖解除の際に重たいボルトとあいまってその閉鎖解除で反動が軽減されるので反動を相当押さえられると当時は思われていた。また、閉鎖解除して後退するボルトが軽いので発射速度が大きくなるという点もあった。風変わりなのは引き金で、上下2つのくぼみがあった。上を引くとセミオート、下を引くとフルオート射撃となった。たしかに、セレクター操作なしに連・単射ができるのは便利ではあるが、機関銃に果たして必要なものなのかは疑問が残る。
 このMG30は一応は採用されたものの、ドイツ軍には広く使われなかった。確実に作動したものの、箱弾倉だったので、連射能力に劣ったからである。このMG30をラインメタル社が手直しを行って(モーゼル社とする資料もある)ドイツ軍に制式採用されたのがMG34だった

 MG30とMG34を比較した場合、外見上での違いはあまりない。2脚が変わったのと、あとこまごました部品が追加されている。決定的に違ったのは給弾だった。箱式弾倉をベルト弾式に改めてより連射を可能にしたのだった。1936年から量産が開始され急速にドイツ軍内に配備されていった。大規模に使用されたのはポーランド戦からで、MG34は信頼性の高さと連射能力の高さ(毎分900発)でドイツ軍兵士からは頼もしい存在となった。特にドイツ軍では1個分隊に1丁が配備されていたので、その火力の高さは他国よりも群を抜いていた。

 MG34の最大の特徴としては分隊支援火器としての軽機関銃と使えたし、また3脚をつけて射撃すれば重機関銃としても使えた汎用性があった。軽機関銃としては大抵は2人1組で行動していた。1人は射手で1人は弾薬手である。ただMG34の弾薬消費量は膨大で弾薬手が2人3人つく場合もあった。この弾薬手の1人は同時にベルトを持つ係になっていた。1人で射撃するとベルトが踊るために給弾不良を起こしやすく、介添えの兵士は絶対に必要ではないにせよ、いれば頼もしい。重機関銃チームは5人以上でチームを組む。3脚が装備されているため余計に人員がいるし射撃弾量も多いため弾薬搬送手もそれ相応に必要だった。ちなみに3脚搬送は背負う状態なので当然両手が開くから弾薬搬送もやらされていた。こういう重労働は新兵あたりがやらされたのだろうか?

 MG34は精巧な作りのために生産にやや手間がかかり当然単価も多少高かった。機関銃の供給量が絶対的に不足していたためこれは結構な問題となり、戦争中期にはセミオートトリガーを廃止したMG34/42が完成するが、同時期にMG42が完成たため、MG34/42が大規模に生産されることはなかった。MG42は部隊に配備されていったが、それでも足りなかったためにMG34の生産は続行された。生産設備を切りかえるのは思ったよりも手間で、連日爆撃に晒されていたドイツではその切り替えの手間も惜しんだか切り替えができる状況ではなかったのだろうか?。結局、MG34の生産は1945年まで行われた。
 MG34は非常に優れた機関銃であったために戦車や装甲車両などの車載機関銃としても採用されており、これも終戦の年まで使われていた。車載機関銃として使う場合は、車体に基部が接続されている場合が多いために、そこで反動が吸収されるためストックは外して使われる事が多かった。戦車などでMG34を使う際は単発射撃も重宝がられたのかもしれない。ただ、ストックは車内に予備品として収納されており、戦車を遺棄する場合はMG34を取り外して車外でもつかえるようになっていた。車載型としてのMG34は結構後年(1944年以降)でも頻繁に見うけられるから、こうした互換性の問題があったから1945年まで生産されたのだろうか?

 MG34は多くの書籍で「GPMG(汎用機関銃)の先駆」と書かれる。間違ってはいないが、突撃時の射撃は困難を極めた。当時のドイツ軍のMG34マニュアルには、立射の際はスリングを肩にかけて2脚を左手でもって射撃するようにされていた。この射撃方法では脅し程度の効果でしかなかった。当然、この状態では2脚は折りたたむ事になっている。実際の所は突撃時に歩兵と一緒に走って、射撃の際は伏せて2脚で地べたに固定して撃つほうがいいに決まっているので2脚は開脚して走ったことだろう。アメリカ軍のテストレポートでは重機関銃(3脚を使っての射撃)としての性能はすばらしいと評価されているが、軽機関銃(2脚を使っての射撃)としての性能は安定性に欠けるとしている。後に、従来の弾を用いた重機関銃と小口径弾を用いた軽機関銃に分化していったように、やはり1つで兼ねるというのは難しいものがあったというべきなのだろうか?



 MG34が従来の機関銃と比べてかなりスマートな出来映えとなっている。これは水冷式から空冷式にかえたせいもあるだろうが、それにしてもスマートである。ずんぐり重くまたデカくただし信頼性は抜群だった従来の重機関銃からすれば華奢な感じを受けるが、それでも全面採用に踏み切ったドイツ軍首脳部の慧眼には高く評価していいだろう。ただスマートといっても重量はかなりのもので10kgを超えている。

 操作は、まず弾を装填する所から始めるがMG34の弾にも少し触れておく必要があるだろう。MG34はベルト給弾式というのは上でも書いたが、アメリカ軍のそれと違って、ドイツ軍のベルトリンク金具は射撃時に分離しない。分離しない方式は射撃後にそのまま残るので射撃が続くと邪魔になるために、あまり多くリンクできない欠点(後で述べるけども通常は250発リンクが限度)があった。ただ、次に使う際に楽だという利点はある。「弾はあるのにベルトリンクがない」では撃てないのだから補給事情を馬車に頼っていたドイツ軍にとっては合理的だったといえる。弾薬の補給は常にベルトリンクに弾付きの状態でくるとは限らないから、ヒマがあれば兵士たちはセッセと弾込めを手動で行っていた。ちなみに手回し式の弾装填機械はあるにはあったがどこまで普及していたかは良くわからない。なお、MG34にはドラム弾倉もあったが、これは50発ベルト弾を入れておくだけの、ようは入れ物でしかなく、バネで弾を押し上げるような装置ではなかった。しかしベルト弾が踊らない利点もあったため、突撃支援時は重宝がられたことだろう。
 装填はフィードカバーを開けても開けなくても装填は可能だった。開けずに装填する場合は、ベルトリンクを銃左側面の給弾口から入れてカートリッジストップ金具に当たるまでベルトリンクを右に引いてその状態でコッキングハンドルを引けば装填完了となる。無論、開けて操作したほうがやりやすいが状況によっては開けずに装填する場合もあっただろう。
 そうして引き金(トリガー)を引くのだが、上で書いたようにMG34の引き金は2つのくぼみがあり上を引くと単発射撃(セミオ−ト)、下を引くと連発射撃(フルオート)ができた。引き金にも上の方にはE(Einzelfeuer・・・単数みたいな意味)と刻印されており、下部にはD(Dauerfeuer・・・複数みたいな意味)と刻印されていた。ただ、車載用MG34ならともかく、歩兵部隊の機関銃でどれほど単発射撃が有効だったかは疑問が残る。現実的には連射モードでしか使われなかったのだろう。安全装置(セフティ)は左側面の引き金の上にある。ただ、グリップを持ち替えずに右手親指で操作するには苦しい位置にある。このセフティは上がS(Sicher・・・安全)と、下がF(feuer・・・発射)と刻印されている。

 銃身(バレル)の交換は3脚(ドライバイン)に乗せたままでも、2脚(バイポット)で銃を置いている状況でもそのままの状態で容易にできる。銃身交換方法は、銃身部分と機関部と銃床(レシーバーグループ)を結合しているロッキングラッチを解放して(照門の左側面に押す部分がある。さすがに簡単には押せないようにはなっている)、機関部と銃床部分を半時計周りに150°ほど回転させれば銃身は取り出せる。慣れれば10秒以内でできたという。ショートリコイル方式の特徴として、ヘッドスペースの調整を行う必要があるという欠点があるのだが、MG34は初めから銃身結合部に出っ張りと切りかきで調整レスとなっており、銃身交換して弾を装填したら即座に射撃ができた。銃身交換は250発(ベルトリンク1セット分)撃ったら交換するようになっていた。無論250発で銃身が寿命になるというわけではなく、交換して冷却するようにしていた。加熱された状態で射撃すると銃身磨耗が極端に進むからである。機関銃チームは分隊用と重機用で予備銃身数が変わってくるものの、分隊用の場合は1本ないし2本を予備として携帯していたらしい。ちなみに、銃身交換はそのほかにも、戦闘中に吹き割れ(薬莢が途中でちぎれて前半分が薬室内に残ること)が起こったさいにも、即座に交換され戦闘を継続していた。銃身交換が簡単に出来るといったが、当然ながら銃身は加熱された状態での交換となる。温度にして300℃にも500℃にもなった。そのために石綿(アスベスト)パッドは必需品だった。ただ、即応性を要求される戦場では、自分の帽子や脱いでいるコートなど、断熱で使えそうなものはなんでも使ったことだろう。

 照準は分隊用ではオープンサイトしかなかった。照星(フロントサイト)は折りたたみ式で、移動の際は余計なでっぱりをなくすことができた。照門(リアサイト)も同じく折りたたみ式で、特に細いでっぱり部分は戦場の過酷な運動で曲がったり壊れたりしやすいのでこれは大きな利点といえた。照門はライフルのタンジェント式ではなく、リーフを上下するような仕組みだった。アメリカのブローニングM2重機関銃の照門のように中をがっぽり開けてそこから照準するのではなく、左にオフセットされている照門から右に(銃の中心部。厳密にいえば多少右にズレている)ズレているリーフで照準をするようになっていた。2000mまで100m単位で調整可能だったが、左右調整はできなかった。この照準器は結構生産に手間取るのではなかったろうか?。
 重機関銃部隊用としては他にも光学照準器(望遠照準器)と対空照尺が配備されていた。光学照準器を使えば3000m以上銃弾を叩きこめたし、MG34の精巧な作りとあいまってその距離においても格段に良かったという。対空照準器は当然ながら専用の対空3脚とセットで使用された。対空機関銃として使用する際は、50発収納のドラム弾倉を使用した場合が多かった。理由は、対空射撃時は敵機が雷撃でもしてこない限りは地上スレスレではこないために、仰角かけて撃つ必要がある。そのときにベルトリンクのままでは重力の関係で弾薬が銃本体に対して斜めになるので給弾不良を起こしやすい。ドラムに収納すればその問題は解決するからである。あとドラム弾倉に収めた弾薬は対空3脚に1つずつ括り付けて3脚安定の重しとしても使っていたようで、当時の写真からも確認できる。

 MG34は工具なしである程度まで分解は可能になっている。銃身交換は上で書いたように簡単にできる。ボルトの交換もストックを外せば容易に交換ができた。やりかたは、まずはコッキングハンドルを引ききって固定してストック固定ラッチを解放してストックを回転させればストックが外れる。そうすればボルトは簡単に抜き出せる。コッキングハンドルを引く理由は銃身とボルトの閉鎖を解除するためだが、当然ながらボルトスプリングは圧縮状態にあるためストックを外す際は注意しないとスプリングが遠くの後方に飛んでいったり、スプリングの顔面パンチを食らう恐れがあった。この辺がMG34のささやかな欠点ではあった。
 銃口のマズルも分離が可能だった。ここは分解できなくてもさほど不自由しないと思われがちだが、銃口部分にブースターカップという部品があった。これは銃弾が銃口付近に来た際に発射ガスがこのブースターカップに当たり銃身を押し下げる働きがある。ショートリコイル閉鎖解除のアシストをする役目があった。そのためにマズルをバラしてここを丁寧に掃除する必要があったから外せるようになっていた。
 分解してのお掃除はMG34を快調に作動させるには絶対必要だった。MG34に限らずどの銃器だって掃除は必需であるが特にMG34は精巧な作りであるために、機関銃手は無いヒマを捻出しては掃除に勤しんだことだろう。MG34の弁護のためにいうが、ボルト周りが精巧とはいえ、この仕組みは今の自動式銃器とそう大差はない仕組みである。前進時にボルトを回転させて閉鎖する仕組みは大半の機関銃および自動式ライフルで採用されている。ただ、今と当時で違うのは機械加工精度で、当時では精密に作るのがやはり手間がかかったためそのへんが「精巧に作られた」と今で語られる所以でもあるのだろう。

 MG34は他にもいろいろな付属品があった。MG34操作マニュアルは何種類かあった。俺はドイツ語がさっぱり読めないので詳細は不明っす(;_;)
 クリーニングキットは基本的にライフル用と同一形状だった。チェーン式で先っぽにブラシを装着して油を付けて銃身を通して掃除していた。チェーン・ブラシ(何種類かあった)・油缶はセットで同一の容器に入っていて機関銃手が装備していた。ちなみにチェーン式とさく杖式と比べた場合、チェーン式は嵩張らないので便利なのだが、実際に戦闘中に薬莢が抜けない状態になるとどうしようもなかった。さく杖なら銃口から突っつけばいい。そのせいかドイツ以外ではさく杖式を使っている場合が多い。
 他に機関銃手が装備していたのは、予備ボルト・レンチ・薬莢抜き・銃口カバー・給弾ベルトタブ・アスベルトパッド・対空照準器があった。これらは工具入れに納められ(アスベストパッドは工具入れの外側にベルトで固定されていた)機関銃手のベルトにつけられていた。なお、銃口カバーは初期のはキャップ式だったが、後々になってくると袋式(防水処理済み)となっていった。対空照準器はライフル分隊で使う分には不要品であるが(2脚のみでは対空射撃は実施できない)装備だけはされていた。
 予備銃身は当時の写真から確認できる限りではライフル分隊では通常は2本ほどが装備されていたらしい。重機関銃部隊となるとより多くが支給されていただろうと考えられるが具体的に何本が使われていたかはわからない。
 ライフル分隊には装備されていなかったが、専用3脚を装備していた重機関銃部隊用の付属品として光学照準器(スコープみたいなもの)が装備されていた。34型光学照準器と呼ばれるもので、これは機関銃指揮官が遂行していた。ライフル分隊に装備されていない理由として、高価な事もあるが、MG34の2脚射撃では射撃時に安定しないので光学照準器を使ってもあまり意味がない事と、この光学照準器自体、3脚に装着するようになっていたためという事もあったろう。倍率はわからないが、装着したら極めてシャープな照準ができたという。最大射程も3500mまで拡大した。また、この34型光学照準器はバッテリーも搭載可能で夜間の射撃も可能だった。ただ、今の暗視スコープと違って、照準線を照らすだけなので、実際には敵を視認しない状態での射撃となる。これではあまり意味をなさないと思う人もいるかもしれないが、機関銃陣地では昼間に敵の出現しそうな場所および敵が隠れそうな場所をあらかじめ確認しておき、そこに撃ち込むために機関銃位置から白線を引いたり杭を立てたりして夜間でもその位置に銃口を向けられるようにしておく。そうして夜襲を受けた際にはその白線なり杭なりに銃口を向けてあらかじめ距離もわかっているのでその距離に応じて仰角をかけて射撃するようになっていたためこの装置の意義は大きかったといえる。無論、正確な射撃は期待できなかったのだが。