PK
種類:汎用機関銃

性能:

全長       1170mm
銃身長       673mm
重量        9.00kg
使用弾薬  7.62mm×54R
装弾数    100・250
          ベルト式
発射速度   650発/分

左写真はアンディさんからいただきました。
下の写真はいちのへさんからいただきました。
ほんとありがとうございます
≦(_ _)≧
 貧乏国家の宿命とでもいえるのだろうか、ソビエトは結構ものもちのいい国だったといえる。ただ、ソビエトの場合は社会主義国家の盟主国であったために、旧式兵器は東欧の衛星諸国やソビエト寄りの国家に売り払うという手段もとれたが、なにぜ当時は世界一の陸軍大国だったソビエトだから量も膨大で、全部売りさばけるわけでもなく、余剰品は後備品や訓練用にしたかタダ同然でソビエトよりの交戦陣営(ベトナムにおける北ベトナムなど)に引き渡された。ソビエトは無用な兵器損耗を防ぐために訓練用兵器と実戦兵器を使い分けた。訓練とはいえ実戦同様に使われるのだから壊れる可能性は十分にあった。そこでソビエトは新鋭兵器は格納庫に保管しておいて半年に1回、慣らしのために動かしたり整備したりしておいて旧式兵器を訓練用に使っていた。例を挙げて言うならば、1966年のチェコ動乱の際のソビエト軍の軍事介入では「即座に投入できる」という理由から訓練用に使っていた旧式のT-34/85戦車を先頭に走らせてもいた。

 第二次大戦時のソビエト軍の機関銃はマキシム型PM1910重機関銃とDP28軽機関銃の折衷装備だった。使用弾薬は同一で当然威力も同じだった。DP28軽機関銃は1人で持ち運び・操作(射撃)できるほど軽いが(軽いといっても10kgを超えるので立射は難しいけど)PM1910重機関銃は1人で撃てても運ぶのは難しかった。決定的に違ったのは連射能力で、PM1910重機関銃は水冷式で水さえあれば(雪でも代用できた)弾の続く限り撃てたが、DP28軽機関銃は銃身交換が難しかったので発射を制限しないと銃身が過熱して使えなくなる可能性があった。汎用機関銃であるMG34やMG42を使っていたドイツを除けば、重・軽機関銃を併用せざるをえなかった国がほとんどだった理由はここにあった。
↑不審船から引き上げられた北朝鮮軍のものと思われる機関銃銃弾
 戦後になると、重たい重機関銃は第一次大戦の陣地戦では使えたが、第二次大戦の機動線の戦闘に適さないことがわかり、その軽量化が各国で図られる事になった。ソビエト軍はドイツ戦に勝利しドイツの兵器を大量に押収したにもかかわらずドイツ製機関銃から参考にしたという形跡はあまりない。もっとも、ソビエトには傑作突撃ライフルのAK47があったために、それを元に機関銃開発が進められた。問題だったのは弾薬で、開発当時はAK47と同じ弾薬(7.62mm×39弾)を使用する分隊支援火器のRPD軽機関銃が採用されていたから、7.62mm×39弾は使えなかったし第一重機関銃の後継なのだからそれと同じ弾を使用するのが良かったし、威力があるほうが支援には向くという現実的な理由もあり、7.62mm×54R弾が使われた。この「R」というのはリムの事で薬莢後端のでっぱりでここが薬莢直径に比べて膨らんでいる事を指す。右の写真を参考にしてほしいが、リムレス弾薬とリム付き弾薬ではスマートさが違うし、これが自動銃器の製作を難しくしていた。特に機関銃はベルト式が主流だけども、ベルトにくるまれた銃弾をボルトで押し込んで薬室に装填する方法が一般的だけど、リムがあると押し込むという行為ができず(当然、ベルトに引っかかって前進しない)一旦引き抜く必要があった。マキシム機関銃の頃はベルトが布製でどのみち押し込む行為ができなかったために引き抜いて押し込むという動作にせざるを得なかったが、金属ベルトになるとその無駄な動作(引き抜く事)をせずに済むために開発を任された”ミハイル・ティモシェビッチ・カラシニコフ”(AK47を設計した人)も新規弾薬の制定を望んだとも言われる。ただソビエト軍側はそれを認めなかった。理由は7.62mm×54R弾の在庫が(第二次大戦中に作りまくったので)大量にあったのと、生産設備もあるしそれをいちいち大規模に変更したくないという理由があったとされる。
↑不審船から引き上げられたPK機関銃。銃身の溝からPKMではなくPKだということが
わかる。グリップが木製なために、長らく海に浸かっていたせいもあって腐食して
無くなっているのに注目。
 それでも、なんとか作り上げた。1960年頃までには作り上げ、1961年にソビエト軍によって”PK(プレメット・カラシニコバ。カラシニコフ式機関銃みたいな意味)”と命名され制式採用された。時期が時期だけにベトナム戦争に投入された可能性もなくはないが、ベトナム戦争当時の写真ではPK機関銃が写っている写真は確認できない。むしろ、マキシム型機関銃PM1910などが多数写っており、PK機関銃の採用・量産と同時に余剰になったこれら旧式機関銃類がベトナムに流れ付き、最新型のPK機関銃は供与されなかったかごく少数が供与されたかのどちらかだろう。
 本格的に投入されたのは1979年の年末から始まった、ソビエト軍のアフガニスタン侵攻からで、この戦いでアメリカ軍もPK機関銃の実物を入手し各種の試験を行ったとされる。アメリカ軍のテストレポートでは、やはりリム付きの弾薬を使用するために無駄な動作が必要だと報告しているが(動作が増えるとその分故障を起こしやすい)全体的にみれば整備性もよく、性能も並以上と高い評価を与えたらしい。
 PK機関銃はある程度成功を収めた機関銃といえ、車載機関銃型も存在する。また、より軽量にしたPKM型機関銃に発展し今でも使われている。PK機関銃とPKM機関銃は内部構造はそう大差がなく、外見上での違いは、ストック形状が違っており、PKM機関銃はチークピース(頬あて)のようなでっぱりが追加された。また、銃身の後ろ半分の溝(おそらく空冷に有利なように加工されたもの)がPK機関銃にはあったが、PKM機関銃では省略されていた。


↑PK機関銃を後方より見る。キャリングハンドルが左に曲がっており
これはフィードカバーを開けたときに干渉しないように。また、
PK機関銃の右にコッキングハンドルがあるが、これは伸ばして右に
まっすぐしてからひけるようになっている。
右にあるのは予備銃身。銃身基部の溝はボルトロック用。ここが
フィードカバーを開けた際にその前部のバレルロックと噛んで固定する。
 PK機関銃の外観は今までのソビエト機関銃の「ごっつい」から完全に逸脱して、むしろ西側機関銃と比較してもスマートな印象を受ける。特に特徴なのが、ストック(銃床)を肉抜きしたことで、これは世界でも初めての試みだった。強度面でも問題はなかったようで、軽量化に大きく貢献し、また移動時の銃を持つ部分としても大変に役立った。
 内部機構はAK47とあまり大差なく、発射ガスを使ったターンボルト式の閉鎖機構を持つ。ガスシリンダーがAK47は上にあるがPK機関銃は下にあるかの違いだと思っておけばいいかもしれない。AK47同様に射撃中に可動する部品が数個しかないために、壊れにくく、また壊れても壊れた部品を交換すれば即座に射撃ができるという利点もある。
 銃身は簡単に着脱できる。フィードカバーを開いてバレルロックを解除すれば簡単に抜き出せる。PK機関銃はキャリングハンドルが銃身に固定されているのでここを使えば耐熱手袋なしでも銃身交換ができた。2脚はガスシリンダーに付属しているので、銃身交換時にはガスシリンダーは交換しないから、銃を2脚で固定しながら交換できた。この方式はZB26などの前例があったとはいえ、各国のベルト給弾式汎用機関銃での採用は早い部類といえた。ただ、フィードカバーを開ける必要があるためにその分の手間がかかるので、その辺はささやかな欠点だったと言える。同時期に採用されたアメリカのM60機関銃は交換されるべき銃身にバイポッド(2脚)が付属していたために、交換の時に銃本体の置き場に困ることになってたし(地べたにごろ〜んでは泥が付着しやすい)M60機関銃の予備銃身はガスシリンダーと2脚とが一体型なために持ち歩くには不便だった。その点を考えればPK機関銃は画期的だったといえるだろう。
 PK機関銃に限らずソビエト製重機関銃の多くは右から銃弾を装填するようになっていた。他国の機関銃と比べて逆なのだが、理由はよくわからない。ちなみに、航空機搭載機関銃は胴体に固定武装として装備する場合、右装填と左装填とをおのおのその方向に装備していたため、ロシア(帝政ロシア)では右装填型が普通とでも判断したのだろうか?。軍隊装備品では極端な装備更新を嫌うために(機種転換訓練でやたらと金と手間がかかるため)そのままズルズルとPK機関銃まで引きずることになった。