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全長 1280mm
銃身長 797mm
重量 3.96kg
使用弾薬 6.5mm×50
装弾数 5発
初速 762m/s
左写真上が38式歩兵銃で下が38式騎銃(騎兵銃ともいう)です。アンディさん。写真提供ありがとうございます≦(_ _)≧ |
本銃の制式名は”三八式小銃”である。38式歩兵銃(さんぱちしきほへいじゅう)というのは俗称である。小銃から歩兵銃に俗称が変わったのはこのライフルを切りつめた38式騎銃(部隊内では機銃(機関銃)と混同するため騎兵銃と呼んでいたが)と区別するためだろう。ともあれ、小銃ではなく「歩兵」銃と呼び分ける必要があるほどに歩兵にとっては重要なライフルだった。 少なくとも「38式小銃と書かれているのもあるが38式歩兵銃が本当の名称であり・・・」とか堂々という軍隊経験者もいるがこれは誤りである。 38式歩兵銃の前身三十年式小銃は日露戦争で活躍した。この三十年式小銃の最大の特徴は、他国が8mm弱の口径の弾を使用していたものの、この三十年式小銃では6.5mm弾という1まわり小さい弾薬を使っていた。開発された頃には無煙火薬が発明され、以前の二十二年式小銃(村田連発銃)の8mmよりも小さくしても威力は変わらないという事から採用されたとか、小柄な日本人には1まわり小さい弾薬がちょうどいいとかいろいろな説があるけども、なぜ1まわり小さくしたのかは実際の所分からない。とある書籍にあるように「弾薬口径選定ミス」の可能性もあるだろう。 さて、三十年式小銃は日露戦争でも使われたライフルでその優秀性はかなりのものだったが、38式歩兵銃はその時の戦訓から遊底(ボルト)の単純化が行われた。三十年式小銃は8点の部品からなっていたが、38式歩兵銃では5点に減らしている。中国戦線では砂塵が舞い、ボルト操作に支障があったのでダストカバーが付けられた。明治38年(1905年)に制式採用されたのでこの名前がある。本格的な量産は翌年からで生産が中止される昭和16年(1941年)までに約340万丁が生産されている(昭和20年まで作られていたという資料もある)。また同時期に採用された38式実包(実弾)を使用した38式歩兵銃は諸外国のライフルと同等かそれ以上の命中精度を誇り、また低進性も非常に良かった(ようは山なり弾道にならない) 38式実包(6.5mm×50弾)のデータとしては ・実弾全長 76.5mm 弾丸全長 32.5mm ・実弾重量 21.0g 弾丸重量 9.0g 装薬(火薬の量)2.15g であった。この38式実包は技術審査部(当時の名称。後に技術研究所と改名)が当時のドイツのS弾、フランスのD弾を 研究して作り上げた実包で弾尾の金属部が弾性があり、発射時に広がってライフリングに食い込みやすくなっている。 話は戻して、38式歩兵銃は仕上げも一級品で、ごく初期のものは漆仕上げとなっていた。さすがに軍用銃としては贅沢と判断されたのか漆仕上げにはしなくなった。それでも1つ1つ丹精込めて作られていた。職人芸的なライフルなのだが、そのためか微調整を1丁ごとにやっているので壊れた38式歩兵銃の使える所を集めて組み合わせてもかみ合わない事があった。そのためか細かい部品にまでシリアルナンバーが刻印されている上で書いたように遊底の部品5点にそれぞれ”イロハニホ”と名前をつけてその次にシリアルナンバーがうたれていた。そのため戦場での不評もさぞ多かろうと思われるのだが、兵士の手記にはそういった記載がほとんどないので、壊れにくかったのだろうと思えるのだが、どうなんでしょうか? それと38式歩兵銃にはバリエーションの銃が多い。騎兵や砲兵用に作られたショートタイプの38式騎兵銃や精度の良い銃を選びスコープを装着して遊底に小改良を加えた(ボルトハンドルがスコープと干渉するため下の方に曲げている)タイプであった。ショートタイプの38式は弾薬の性能とあいまって、銃自体を29センチも縮小する事ができた。これは快挙ともいえる。なぜなら7.92mm口径のモーゼルM1898ではショートライフルタイプ(属にカービン銃(騎兵銃)と呼ばれる)は全長を12センチしか縮められなかったからである。理由は口径が大きいと銃身を短くした際に反動が大きくなるから、極端に短くできなかった。大抵のカービンライフルは短くした弊害で命中精度が劣ったものの、38式騎兵銃は元の38式歩兵銃と比較しても500mでの射撃精度はほとんど大差なく、1000mで15%ほどばらついただけだったという。この当時の歩兵戦闘は300m程度だったので問題はさほどなかった。97式狙撃銃は2.5倍のスコープが装着されていた。狙撃銃用の弾薬は火薬の量を少し落としていた。これは発射火を目立たせないために取られた措置だった。それでも有効射程は1000mを誇った。余談ながら、ドイツ軍狙撃銃は少しでも威力を高めるためと射程を伸ばすために一般のライフルよりも火薬の量を増やしていたのは対照的である。 また38式歩兵銃は輸出も行われていた。フィンランドやタイや中国などで、特に日中戦争では中国軍兵士の一部が38式歩兵銃を装備していたため、日本軍兵士からはとても敵と思えず撃てなかったという兵士もいた。 38式歩兵銃は昭和14年(1939年)の99式小銃の採用に伴い、適宜99式小銃に装備更新されていったものの、38式歩兵銃は太平洋戦争の終戦まで使われつづけた。99式小銃の生産が需要に追いつかなかったのが理由だけど、38式歩兵銃の性能が良かったからとも言える。 38式歩兵銃は中国戦線で、または東南アジア戦線で、そして太平洋の島嶼(とうしょ)戦で、兵士たちかと戦い、あるいは持っている兵士と運命を共にした。戦後、大量に米軍に捕獲されて、廃棄処分になったのも数多いが現存しているのも少なくない。一部はアメリカから無可動状態にした本物の38式歩兵銃が日本に輸入されて相当に売れている。これは日本における無可動実銃ブームのはしりとなった。中国の射撃場では今でも38式歩兵銃を民間人でも撃てる。ただし、銃身が削れまくったのもありそういうのは弾着がうんとそれてしまうのだが・・・。 38式歩兵銃の欠点としては、小口径のため、ライフルグレネード(ライフルの銃口に手榴弾の親分みたいなのをくっつけて空砲で飛ばす)の発射が難しかった。特に冶金技術が諸外国に劣っていた日本ではなおさらグレネード射撃時に高圧になり銃身が耐えられなかった。 他の欠点としては、38式歩兵銃(99式小銃もそうだけど)の撃針はボルトを起こした時には引っ込まず押し込むときにシアに引っかかって引っ込むようになっている。モーゼル式はボルトを上げたときに引っ込むようになっているけども、38式歩兵銃方式の利点は部品が単純になるというだけで、欠点も多かった。モーゼル式なら弾の不発のときでもボルトを上げてまた下げればまた射撃できるものの、38式歩兵銃では不発弾を排出しなければ次が撃てなかった。一番の欠点は掃除の時で、普通はボルトを外して銃身を掃除するけども38式歩兵銃ではボルトを外したときに当然、撃針は引っ込まないので、うっかり落としてしまうと、撃針が折れてしまうことがあった。これは銃を扱う兵隊には大問題で、ようは通常は古兵の銃も初年兵が掃除させていただくので、古兵の銃の撃針を折ってしまい、ビンタの嵐を食らったとか隣の中隊からパクってきたとかいう話は枚挙にいとまがない。しかし、兵隊内の問題であったのでこの方式は改善される事はなかった。 また38式歩兵銃は歴史が長いのでエピソードも多い。ごく1部を紹介すると、海軍の歩哨で、ウトウトして銃を誤ってタラップから海に落としてしまい、軍法会議で海軍刑務所行きになった兵隊や銃口のカバーである銃口蓋は細かい部品なので紛失しやすく、中隊を超えての盗みあいが耐えなかったとかいう話や銃床のネジ部分に埃が少しついていただけで殴られまくったり、「38式歩兵銃殿お詫びもうしあげます。自分は・・・」といいながら銃支え(捧げ銃)を何十分もさせられたとか、数え上げたらキリがない。 少なくとも日本陸軍史を語る上では欠かせないライフルである事には変わりないだろう。 |