Kar98k
性能:

全長      1105mm
銃身長     600mm
重量      4.09kg
使用弾薬 7.92mm×57
装弾数      5
初速      780m/s




左は自分の描いたCGです(^^;)
口に銃弾をくわえていますが
理由はあります。
下記参照

下の写真はTOMOさんからいただきました。
ほんとありがとうございます
≦(_ _)≧
 「Mauser」。もはやボルトアクションライフルの代名詞ともいえるこの名前はドイツ人の「パウル・モーゼル」の名前からきている。モーゼルは1870年の普仏戦争ではプロイセン軍の1兵士として参加している。当時のプロイセン軍の主力ライフルといえばドライゼM1862ライフルだった。このライフルは後込め式ライフルの黎明期に開発されたもので、当時列強の後込め式ライフルと比較した場合、重量や操作性等を比べると決して優れたものでもなかった。ただ、プロイセン軍は伝統的に陸軍は強かったせいもあり普仏戦争ではプロイセン軍が勝利を収め、アルザス・ロレーヌ地方の獲得と50億フランの賠償金、また悲願であったドイツ帝国の成立も成りドライゼライフルの功労は大きかったといえる。

↑Kar98kとM36野戦服。
自分にしては比較的正確に描いております(^^;)
 当時は飛行機・戦車などあろうはずもなく、役に立つ機関銃も存在しなかった(あるにはあった)。大砲も原始的なもので、そのためにライフル火力の大小は戦局に大きく影響し、当然ながら、ライフルの性能が戦術面のみならず戦略面に影響する部分もあった。
 ドライゼライフルが敵国フランスの同時期のライフルのシャスポーM1866ライフルと比較した場合、ライフル重量も1kg重く、また、口径も17mmと(シャスポーは11mm)大きく、これでは携行できる弾薬の数の面でも不利だった。最大の欠点はドライゼライフルは閉鎖が不完全で射撃時に発射ガスが後方に噴き出すことだった。当時の薬包(薬莢に相当するもの)が紙でできていたせいもあるが、閉鎖機構に決定打がなかったという点も大きかったといえる。モーゼルが目をつけたのが金属式薬莢だった。もはや今では当たり前であるが、当時は一般的ではなかった。すでに南北戦争(1860〜1865)でも使用はなされていたが、この戦争では雑多な銃が使われており、前込め式の銃や滑腔銃(火打石式銃)も使われており、全軍が使用するにはいたらなかった。
 モーゼルが注目したのはイギリスのボクサー少佐が発明したボクサー弾薬といわれるものだった。これは今の薬莢とそう大差ないもので、この発明がより爆発力に耐えられる銃弾の開発に成功し、ひいては機関銃等の発明の試金石ともなったともいえる。しかし、より爆発力が強くできるということは反動も大きくなることになる。閉鎖機構はより堅固にする必要があった。発射ガスが顔面にくるのは「あち!」で済むが、ボルトが顔面にくるのは「痛い!」では済まない。モーゼルは遊底(ボルトと機関部)を90度回転させて無理ない力で閉鎖するという方式を考え付き、モーゼルM71ライフルで一応の完成を見て、後の5連発ライフル、モーゼルGew98で完璧な完成を見た。「完璧」といいきれる理由は、今のボルトアクションライフルもこれとそう大差がないからである。

 Gew98は19世紀末にドイツ軍主力ライフルとして採用された。もはやボルトアクションライフルとして完成の域に達していたこのライフルはもう改良する必要などなく、残された改良といえば弾薬と照準器などの他の部分だった。20世紀初頭に低進性がよくなった7.92mm S弾が制式化され、1904年にこのS弾が撃てるGew98aが本生産に入った。このGew98aは第一次大戦のドイツ軍主力ライフルとなり終戦まで戦いつづけた。このライフルには全長を120mm切り詰めた騎兵用もあった
 第一次大戦後の1924年、さらにsS弾と呼ばれる弾が制式化され、このsS弾が撃てるKar98bが制式化された。Karとは「Karabiner(カラビナー)」の略で騎兵銃という意味でようは短いライフルということなのだが、全長はGew98aと同一だった。なぜ騎兵銃という命名なのかの理由は良くわからない。ちなみに、この銃から、ボルトハンドルが下に曲がっている。騎兵なんかが背負った際にボルトハンドルが当たらないようにとの配慮で、ここいらが騎兵ライフルという意味合いがあるのかもしれない。

 このKar98bをさらに切り詰めたのがKar98kだった。1935年のドイツ再軍備宣言と時を同じくしてドイツ国防軍に制式採用された。末尾のkとは「Kurz」の頭文字で「短い」という意味がある。全長1107mmとたしかにKar98bよりは短くなった。これは、もはや白兵戦はあまり起こり得ずとにかく扱いやすく短くするのが妥当だからという用兵的な考えがあったからとされる。ただ、同時期採用のライフルと比べてみた場合、フランスのMle1936の全長が1020mm、アメリカのM1ガーランドが1100mmという事を考えた場合(両方とも1936年制式採用)Kurzといえるほど短いとも言いきれない一面はある。もっとも、世界最強のライフル弾の7.92mm×57弾を使用したため、銃身を極端に切り詰めることができなかったというのもあったのだろう。
 生産は1945年まで行なわれており、1939年のポーランド侵攻から1945年のベルリン陥落まで全てを見届けたライフルだった。戦争中頃から突撃ライフルという新ジャンルのライフルが誕生したにもかかわらず、その生産力の限界からKar98kは作られ続けた。伝統に固執したとも言えるが、ある意味ドイツ工業力の限界がそこにあったとも言えるだろう。
 Kar98kはだいたい、オリジナルとおりに生産がされていたが、戦局の悪化で、とにかく数を揃える必要性があったために簡略化がなされていた。戦時生産型には着剣装置がないものがあった。これは白兵戦はもはや起こり得ないという事情もあったろうが、とにかく1丁でも多く速く戦場に送りたいという気持ちもあったろう。また、鉄部品は鋳造&熱処理で大量に作れるけども、木はそうはいかなかった。1本木からわざわざ削りだしで加工するために手間がかかった。その為、合板をストック等の形状に切って接着剤で貼り合わせて作られたものもあった。合板製は強度的に強いために、かえって合理的になったとも言われている。ただ、合板製ライフルを持たされた兵士は萎えたのではなかろうか?

↑ZF41装着型のKar98k。1944年、モーゼル社製。
着剣装置がなく、銃床のメインスプリング交換用の円形部品がないのが戦争末期型を思わせる。
また、上帯(木製銃床先端部の金具)がH型ではなく3つのネジ止めでつけてあるのも特徴。
 Kar98kは全生産数の6%にZF41(ZFはZielFernohrの略)という1.5倍のスコープを付けて生産されたとされる。6%なので1個分隊に1人ぐらいの割合であり、分隊内の射撃が上手な人に支給されたとも言われる。しかし装着場所が照門の上であったために、目とスコープの間が離れすぎてあまり実用性はなかった。ボルトアクションライフルは上から弾を込めるので、目に近づけると弾込めが大変になるからだけども、あまり意味をなさなかった。戦場における写真でZF41を装着したKar98kを見かけることは殆どなく(あるにはあるが本当にごく少数)、現地で取り外されたか、生産段階でレールのみ付けておいてスコープ自体は装着されなかったかのどちらかだろう。計画倒れに終わった可能性もある。

 狙撃兵用として本格的だったのは、4倍スコープを設けたKar98kだろう。マウントはサイド装着型とレシーバーの上に装着された型がある。サイド装着型は装着は楽だが、調整が大変だったという。レシーバーの上に装着した型は、レシーバーにタップ加工をほどこし、そこにネジ止めして固定している。と思う(笑)。写真を見ての判定なので詳しくはわからないです(涙)。溶接されているという話も聞いた事があるけども、実際の所はどうなのだろうか?。ともあれ、上装着型は調整も楽で、Kar98k自体の命中精度のよさもあいまってドイツ軍狙撃兵の恐ろしさを連合軍にしらしめたものでもあった。スコープ自体は種類が雑多で、タチの悪い事に、いくつかの光学メーカーで作らせていたので、同じ規格品でも寸法や性能が微妙に違っていた。戦場における写真でも種類が多い。倍率も4倍や6倍などがあったが、4倍のものが多用された。肝心の命中精度は400m以内であればほぼ確実に人体目標に命中させられたといわれている。それを超えた場合には命中精度は急落する。だいたいの目安としては、400m以内であれば頭を、600mほどなら体の中心部を、800mを超えた場合は立った人間以外は狙わなかった。弾も普通の弾以外に、狙撃兵専用の弾もあった。発射薬を4.5gほどに増やして、初速を1112m/sまで増大させたもので、とにかく有効射程を増大させようという狙いがあった。
 狙撃兵用Kar98kは命中精度が非常によく、狙撃兵からの評判や信頼も確固たるものがあったが欠点もあった。スコープが弾込め場所の真上にあるので弾を装填する際に5発1組のクリップを使用することができず、1発1発込める必要があった。狙撃ライフルは速射するものではなく、基本的に遠くから使うものなのであまり欠点とも思えない人も多いだろう。これは実銃を扱わないとわからないものだが、たとえ5発でも射撃すると結構熱をもつので、1発1発込めると親指が熱い。ただ、些細な欠点ではあったようで、狙撃兵のKar98kに対する信頼は絶大だった。

 バリエーションには短縮型のGew33/40というのがある。銃身長480mmの短いもので、これはチェコスロバキア軍用だったものの、ドイツ軍によるチェコ併合でドイツ軍山岳部隊用に装備された。ただ、発射炎と反動が凄まじく評判は芳しいものではなかった。また、いくらk(クルツ)とはいえ1107mmの全長は空挺部隊用には長かった。世界で初めて空挺部隊による攻撃を敢行し成功させたドイツ軍であったから、このKar98kを分割式にしたり、折りたたみストックにしたりと試作がなされたが、強度を確保することができず、試作のみに終わった。1942年のクレタ島侵攻での空挺部隊の大損害以降は空挺作戦が実施されることはなかったために、この種類のライフルの研究は行なわれなくなった。

↑上から
1945年、チェコのWaffenwerke Bruenn(ブルーノ)のBystrica工場製。不完全なKriegsmodell。

1937年、Mauser WerkeのOberndorf工場製。銃口には初期型のフロントサイトガードを兼ねるマズルカバー付き。
このタイプは生産に手間取るのと、日照りの時に射撃時に影を作って照準しにくいことから、
照星を覆うタイプになっていきました。

第20軍管区(トールン)の兵站部で組上げられたもので、Gewehr98の部品が複数組み込まれているそうです。

 Kar98kは戦前当時ドイツから大量に輸入していた中国(当時は中華民国)が気に入り、自国で生産ラインを立ち上げて1934年から生産を開始した。当然ながら1937年(昭和12年)から始まった日中戦争では中華民国軍の主力ライフルとして使われた。その威力は文句がなく、6.5mm×50弾を使用していた日本軍の度肝を抜き、7.7mm×58弾を使用した99式小銃および99式軽機関銃を開発する契機となったとされる。中国で大量に生産され、対日戦を勝利に導いた後にも、中国内戦で使用された。また、1940年代後半当時、政治的に不安定だったベトナムのベトミン(ベトナム共産党。ベトコンの前身)掃討にも中華民国軍が投入されたが、国内に敵(中国共産党)を抱えていた中華民国軍に掃討の熱意はなく、むしろベトミン軍に自国のKar98kを売り払って堅実な商売をしていたという。そのせいもあって、インドシナ戦争(ベトミン軍vsフランス軍)でもベトミン軍が大量に使用している。ただ、それ以降は武器援助先の関係上、共産圏銃器に統一されていったのと、正規軍の武器を捕獲して使っていたせいもあり、双方とも弾薬が違っているKar98kはじょじょに使われなくなっていった。
 Kar98kは今ではどこの国でも使われてはいないが、アフリカなどの途上国では後備兵器として倉庫に眠っているといわれている。


 Kar98kは形状的にきわだった特徴はない。それほど一般化したライフルだったと言える。5発を纏めたクリップをボルトオープンにして一気に押し込む方法はGew88(上で説明しているGew98の前身)からなんら変わりはなく、他国のライフルも変わらない。いや、他国がこのモーゼル式を真似たと言っていいだろう。弾を込めたらクリップを外してボルトを前身させて、ボルトハンドルを下にさげれば即発射スタンバイOKとなる。発射したら次はボルトを90°上げて引いて押せば次弾装填となる。連発で撃てる自動式に比べたら手間だが、閉鎖の関係上仕方がない。弾が切れた場合は、弾倉にある底板がボルトと干渉して前進不能になって射手に知らせるようになっている。このボルト操作は照準をつけながらでもできないことはない。ただ、実際にやるとわかるが、ボルト後尾が眼前にまでくるので結構威圧感がある。そのために実際の戦場では照準から顔面を外して操作していたのだろう。当時の記録フィルムで射撃シーンはよくみかけるがボルト操作している所はあまり見かけないので実際の所はどうだったのだろうか?
↑リムで引っ掛けて引っ張ります。結構、力がいります
 Kar98kだけではなく、モーゼル式ボルトアクションでは撃針はボルトを90°上げる際にコックされる。ちなみに38式歩兵銃ではボルトを引いて押し込む際に撃針にシアが引っかかってコックさせるようになっている。そのためにモーゼルアクションは38式(アリサカアクション)と比べた場合ボルトハンドルを上げる際に多少は力がいる。ただ、本当に多少で、差異はほとんどないと言っていいレベルではある。このモーゼルアクションの利点はたとえば、銃身掃除や撃針交換なんかでこのボルトを取った際に、撃針が引っ込んでいるのでうっかり落とした場合でも壊れる危険性は少ない。また、押し込む際にあまり力がいらないし、ボルト押し込みを仕損じることも少ない。日本の38式ではそうなかったが、大戦末期製造の99式小銃の際はボルトを押し込んだ際にシアと引っかからず、押し込んだ途端に暴発したという事故もあったといわれている。
 そのために、不発が発生した場合も、モーゼル式はボルトハンドルを上げて下げればまた発射可能になるという利点はある。しかし上げた際に遅発が起こらないとも限らないから実際にはボルト後端に露出している撃針部の部品にヘコみがあってここを薬莢のリムと引っ掛けて引くことができるようになっている(右写真参照)。上のイラストで銃弾を口にくわえているのはそれが即行なえるようにという考えである。
 安全装置は当然ついている。右写真でいうリムで引っ掛けている部品の前にあるのがそれで、この状態では左に畳まれているがこれは激発可能な状態。これを上にすると安全装置で引きがねを引いてもシアは外れない。また、上にすると照準不能になるので射手にもわかりやすい。右に畳むと、発射不能になる&ボルト操作ができなくなる。
 ボルトハンドルは曲がっているが、これは上で書いたように背負った際にジャマにならないようにという措置だけども、実際に操作すると38式歩兵銃のように真っ直ぐよりは操作しやすい。また、スコープを付けた際に曲がったボルトハンドルはジャマにならないために、極めて合理的だったと言える。
 銃床に丸い鉄が埋め込まれているけども、これはボルト内の撃針交換に使用する際にスプリングによって手を負傷しないようにする部品。ようは万力のようなもの。
 Kar98kは一応は軍用ライフルなので着剣はできるけども、上で書いたように戦時生産型では着剣装置がないものもあった。着剣時にはさく杖(銃身掃除をする棒)が銃剣のグリップ部に入る構造なので、銃剣を作る際もその穴をあけなけれないけず大変だったろう。