カルカノM1938

性能:

全長       1020mm
銃身長       530mm
重量        2.95kg
使用弾薬  7.35mm×51
装弾数         6
初速       755m/s
左写真上はケネディ大統領暗殺事件で使われたとされるカルカノM1938。
左写真下はカルカノM1938の前のタイプのライフルです(口径6.5mm)

アンディさん。写真提供ありがとうございます≦(_ _)≧
 昭和17年。第二次世界大戦、太平洋戦線、ソロモン海域。日本とアメリカと凄まじいまでに離れた距離で両軍が戦っていた。日本側はオーストラリアとアメリカを遮断しオーストラリアを軍事的に日干しにすべく、またアメリカはそれを阻止してオーストラリアを脱落させまいとしていたのだった。ちょうど間に位置していたガダルカナル島、ヘンダーソン飛行場(日本名ルンガ飛行場)を巡って、小さな島のたった1つの飛行場を巡って死闘を繰り広げていたのだった。ただ、結局のところ、ガダルカナル島奪還は「不可能」と判定され、放棄を決定。日本軍は撤収した。
 ガダルカナル島を放棄したとはいえソロモン海域全体を放棄したわけではなく、ガダルカナル島攻防戦以降もソロモン海域は戦場だった。ただ、昭和17年10月の南太平洋海戦、翌月の第三次ソロモン海戦で日米両軍の空母戦力は疲弊しており、昭和18年は両軍にとって空母部隊再建の時間となり、大規模な海戦は発生していない。そのため必然的に航空艦隊(地上航空部隊)の戦闘や駆逐艦などの小規模艦隊同士の戦いが多い年となった。

 昭和18年8月2日。日本海軍駆逐艦”天霧”はアメリカ魚雷艇を体当たりで撃沈した。体当たりされた艇長であるアメリカ海軍中尉は3日間、ソロモン海域を漂流しなんとか九死に一生を得た。
 その中尉は20年後の1963年11月22日、テキサス州ダラスにいた。アメリカ大統領となって…。この日はパレードが行われ、日米間で初めて衛星中継が放送されたのもこのパレード中継だった。しかしこのパレードは悲劇へと変わった。3発の銃声が響き、その元海軍中尉はその銃弾に倒れた。彼の名を「ジョン・F・ケネディ」と言う。


 第二次大戦において枢軸国軍での主要国といえば、ドイツ・イタリア・日本があるが、イタリアといえばどうしても「弱い」というイメージしかない。真っ先に降伏したという事もあるが、戦績もパッとしないからだろう。アビシニア(エチオピア)以外は侵攻した先々でことごとく撃退されているし、後世の評価は戦績で見るしかないのだから致し方ないだろう。
 銃器性能の良しあしで軍隊の強さを測るのはマニアの間の問題であると言える。ただ、イタリア製兵器といえば「デザインがいい」以外はさしていい評価はされていない。案外性能が悪くて兵士の強さに影響したのではないかと思えなくはない一面もあるといえる。これから紹介するカルカノM1938ライフルはその典型とも言えるかもしれない。


 7.35mm口径のカルカノM1938ライフルは名前のように第二次大戦直前に開発された。それまでは6.5mm口径のライフルがイタリア軍によって使用されていたが、ボアアップした理由としては、1936年のアビシニア侵略戦争で6.5mm弾の威力不足が指摘されたからだとされる。実際、エチオピア軍兵士は6.5mm弾を食らっても死ななかったとか、ライフルに装填されている5発全部食らわせても突進してきたとかいう報告がされている。しかし、5発食らわせても倒れないというのは、射手が狙いを外したからだとしか思えないのだが、イタリア軍上層部はそれを聞き入れた。
 開発に当たっては、機関部の強度を上げる手間を惜しんだのかは知らないが、6.5mm弾と同じ圧力で撃つように計画された。7.35mm弾を作るにあたっては、この点も考慮された。弾は直径が大きくなれば重くなるのは当然で同じ圧力で撃つならば初速は下がり当然弾道はよりドロップ(沈下)する。考え出されたのが、弾の先っぽにアルミを詰めこんで重量を6.5mm弾と同じにするという方式だった。こうすると命中した時に弾の先がつぶれて真っ直ぐ飛ばなくなるが、人間相手なら問題なしとされた。逆に銃弾回転によって人間の体内をめちゃくちゃにする効果が期待できた。ただし、装甲目標相手には貫通力は劣った。当時はライフル弾にせよある程度は装甲目標をも射撃する必要があったので(ライフルはともかく、機関銃弾としても使うためにトラックや航空機を相手にする必要があった)その点はマイナスだったろう。ただし、第二次大戦後、ライフル弾の口径は5.45mmまで下がることになったために、その点では時代を先取りしていたとも言えるだろう。

 採用年度は分からない。名前からして1938年が採用時期とも考えられるが、本銃が計画されたのが1938年だからこの名前がついたという説もある。ともあれ、6.5mm弾使用のカルカノM1891ライフルを大量に装備していたこともあったし、1939年9月には第二次大戦が始まったこともあり(いくら参戦していないとはいえ)カルカノM1938ライフルの量産は遅々として進まなかった。逆にカルカノM1891ライフルをボアアップしようという計画もあったが、これも果たせず、1940年6月のイタリア参戦では6.5mm弾で戦うことになった。理由としてはイタリア政府としては第二次大戦に参加する気などはなかったが、当時のイタリアのドゥーチェ(統領)であったムッソリーニが強引に参戦を強行したという。理由は「(勝ち馬に乗っての)交渉のテーブルにつくには血を流す事が必要」だったといわれる。フランス降伏直前にイタリアはドイツに呼応するようにフランスに対して宣戦布告した。イタリア軍上層部は準備不足を理由に宣戦布告およびフランス領土侵攻には反対したが決定は覆らなかった。結局、フランス降伏までにイタリア軍は3000人近い死傷者を出したが、フランス軍の死傷者は100人にも満たなかった。このことからわかるように、イタリア側に戦争準備はできておらず、また予算も割り振られなかったので、新型ライフルなど、また新型弾薬の量産などは全く手をつけていなかったのだろう。
 第二次大戦当時の写真を見る限りでは配備はされているようなので、そこそこは生産されたと考えられるが生産数はよくわからない。ただ、あまり歩兵部隊には配備されなかった。生産数が多くなかったのと、既存のライフルが数多くあった事。また、7.35mm口径の機関銃が作られなかったというのも原因だろう。

 1943年9月。イタリアは連合軍に降伏。同時にドイツ軍がイタリア本国大半を押さえ、南部に逃れたイタリア王国とドイツが傀儡化したイタリア共和国(いわゆるサロ政権)が誕生。イタリアはかつてなかった国家分断・同民族同士の戦いという悲劇の時代を迎えた。このカルカノM1938ライフルは特にサロ政権ではよく使われたと考えられるが、実際にどの程度使われたかはわからない。

 戦後になって、カルカノM1938ライフルはそれなりの数が倉庫に眠っていたとされる。ただ、イタリア軍で使用されることもなく、残った大半は各地に散らばり、特に銃マニアが多いアメリカに輸出されていった。軍用ライフルとしてはもはや生存が許されないというのと同意義で、7.35mm弾と同時に軍用銃器史の中に消えていった。……筈だった。
 カルカノM1938ライフルが唯一と言って良いだろう、有名になりまた歴史の脚光を浴びた事件があった。1963年11月22日。ケネディ大統領暗殺事件で狙撃地点とされる場所からこのカルカノM1938ライフルが見つかったのだった。この暗殺にはいろいろな説があるものの、ともあれカルカノM1938ライフルは決して命中精度の悪いライフルではい、決して操作性が悪いわけではない(1秒に1発撃っていた)ライフルであったと証明ができた事件でもあったろう。

 20年以上もたって、しかも本国とは全く違う場所の、本国とは全く関係ない事件で、本来の目的とは全く違う用途で使われたというのは、運命のいたずらなのだろうか?。いや、それが軍用ライフルの宿命なのだろう。



 第二次大戦当時のイタリアを除く各国のボルトアクションライフルの性能はこまごまとした点では利点・欠点の差はあったものの、各国ともにそう大差はなかった。ただし、カルカノM1938ライフルは明らかに欠点が多かった。
 まず、これは信じられない欠点なのだが、照門(リアサイト)が固定されていた。普通は距離に応じて調整が可能なのだが、昔の火縄銃のように完全固定だった。つまりは相手の距離が100mだろうと1000mだろうと同じ照準で狙わなければいけない。遠距離目標では空中を狙う必要があるから、まず命中精度は期待できなかったと言える。あと、製造工程での誤差の補正のために、大半のライフルは左右にも若干動かせるがそれもできなかった。これは生産の単純化のためだと思えるが、実際には致命的な欠点だったとも言えるだろう。
 銃身のライフリングが銃口に近くなるにつれてツイストがきつくなっているのもカルカノM1938ライフルの特徴で、これは、銃身内部で加速する際に、先っぽのほうがより加速するため、ここでツイストをきつくするのが効果的と思われたために実装されたのだが、、実際には製造の手間がかかるし、そもそも、効果がなかった。
 カルカノM1938ライフルはライフルグレネードを取りつけることができた。口径はわからないが30mm程度と想像される。これも欠点の1つだった。普通は銃口につけるようになっているが、これは銃本体右側面に取りつけるようになっていた。つまりは、装着すると重心が右に移動して非常に撃ち辛かった。発射は空砲を使ってそのガス圧で行うが、撃発はライフルのボルトを取り外してからグレネードに装着してから発射する必要があった。つまりライフルグレネードを使う際は銃弾を発射できなかった。少しでも軽くしたかったという気持ちはわからんでもないが、とっさに敵が現れて銃弾を撃つ必要がある時に撃てないという状況にもなったろう。このグレネードはどこまで使われたかは分からない。

 利点もあった。ボルトハンドルは比較的大型で下に曲げられているので操作はしやすい。また、銃本体は2.95kgと各国のライフルに比べて相当軽いというのも利点の1つと言えるだろう。7.35mm口径だが、装薬を落としてあるので反動は6.5mm弾とほぼ同一で、銃本体が軽いから反動が強いということもなく、撃つだけならすばらしいライフルだと言えるかもしれない。だからこそケネディ大統領暗殺事件で使われたのだろうかとも思えなくはない。この事件では2秒ほどで3発撃っているが、普通だったらできっこないが、操作性がいい軽いライフルなのでそれが可能だったのだろう。ソビエトが独自にこの事件を調査した際に、ライフルの射撃実験を行ったら「不可能ではない」という調査結果がでている。無論「撃つだけなら」であり「当てられる・当てられない」というのとは別の次元なのだろう。軍用ライフルとしては失格だが一般射撃には向いていたのだろうか?。

 カルカノM1938ライフルにはショートカービン型のバリエーションがある。銃身の半分くらいから先の木ストを削除して代わりにその場所に折りたたみ式スパイク銃剣を装着したもので、これは成功作だったようで、イタリア軍の写真でもよく見受けられる。サロ政権側でも結構つかわれていたらしい。たしかに、イタリアは日本のように山岳地域が多くこのような軽いライフルが好まれたのだろう。