Mle1936
写真ないっす(;_;)
性能:

全長       1020mm
銃身長       575mm
重量        3.75kg
使用弾薬  7.5mm×54
装弾数        5
初速       823m/s
 昔の薬莢はリムが出っ張っていた。リムとは薬莢の最後端部の事で、ここが薬莢の直径よりも大きかった。今ではリムレス(薬莢の直径とリムの大きさがほぼ同じ事)が主流だが、リム付き薬莢にしていた理由はちゃんとあった。
 昔はライフルでもリボルバーのような弾倉で、リムがないと薬莢を固定させることが難しかった。実際、今のリボルバー拳銃でも薬莢にはリムがある。ボルトアクションライフルになってもその名残りでリム付き弾薬が使用されていた。第一次大戦時、ドイツ・日本・アメリカはリムレス弾薬を使っていたが、イギリス・ロシア・フランスなどはまだまだリム付き弾薬だった。
 どこの国でも主力ライフルの弾薬を交換するのはあまり好かれない。理由は普通に金がかかるからだった。第一次大戦以前から第二次大戦過ぎたあたりまでは、ライフル弾と機関銃弾は同一だったから、戦争になったら使用されるライフル弾(と機関銃弾)は膨大なものになる。銃自体は町工場でも作れたが、弾薬は安価に大量に作るとなるとそれなりの設備が必要だった。特にライフル弾はボトルネックという薬莢先端をくびらせる工程が必要で、この設備は他に使用用途がないために町工場では期待できなかった。また、銃自体は危険なものではなく、たとえ乱暴に扱った所で上司に怒られる程度で済むが、弾薬は装薬という危険物を扱うために、保安上それなりの設備が必要だった。銃弾の装薬は爆発の危険はあまりないが火災の危険は常にあった。また雷管も扱うために、こればかりは衝撃で爆発するために装薬と連動して大火災にもなりかねなかった。

 第一次大戦後のフランスは各国同様、厭戦ムードが漂っていた。とはいえ、イギリス・ドイツと違って実際に自国領土を敵兵士の軍靴で蹂躙されており、国防の大事さは理解していた。上で書いているように、弾薬変更は国家に多大な負担をかけると分かってはいたが、8mm×50R弾というリム付き弾薬からリムレス弾薬へと更新を決定した。リム付き弾薬はボルトアクションライフルで使う際、クリップが棒状ではなくコの字鉄板で作る必要があり製造も手間だった。コの字鉄板で作らなければいけない理由は、リム付き弾薬は薬莢の縁をキッチリ合わせて装填しないと上手く弾倉に収まらないからで、クリップごと装填していたライフルも多かった。また、機関銃弾として使うにしても、当時主流になりつつあった軽機関銃の弾倉にはライフル弾のクリップを利用してジャラジャラと押しこんで装填する方式が好まれた(弾倉は使い捨てではない)。当時のフランスのライフルはクリップごと弾倉に押しこむ方式でこれでは軽機関銃には使えなかった。第一次大戦中、マシな軽機関銃を開発できず、苦汁を飲みつづけたフランスにとっては軽機関銃の開発は愁眉であり、やはりリムレス弾薬の開発は重要であったろう。
 あとは、第一次大戦後から実用化されていた金属ベルトを使用した場合、リム付き弾薬では押しこむ際に引っかかるために都合が悪かった。布ベルトを使用していた際はリムレスだろうがどうせ押しこむだけの動作ではボルトとベルトが引っかかるので銃弾を布ベルトから引きぬく動作が必要だったけど、金属ベルトになると機関銃設計の大きな枷となった。なお、フランス軍は第二次大戦後まで歩兵陸戦用のベルト式機関銃を開発しなかったためこの欠点は表面化しなかった。

 1924年に7.5mm×54弾が完成。時を同じくしてMle1924軽機関銃も完成した。この弾薬は1990年代ぐらいまでフランス軍で使われていた優秀なライフル弾でもあった。あとはこの弾薬を利用できる歩兵用ライフルの開発だった。ただ、このライフルの開発はなかなか進まなかった。理由はわからないが、予算の問題だったのだろう。また、当時のフランス陸軍にはベルチェーM1907-15ライフルが大量にあったし(第一次大戦で量産しまくったから)それ用の銃弾もまたしかりだった。
「使えるライフルがあるのになぜ新規で作る必要があるのか?」
 そう考えないほうが不思議だろう。新弾薬とはいえ格段に威力に差があるというわけでもなかった。むしろほとんど変わらなかったのだから、新規ライフル設計に予算をつぎ込みたくないのは当然の理だったのかもしれない。
 それでも1932年にはMAS Mle1932ライフルが完成。これをベースに1936年に完成させたのがMle1936ライフルだった。

 Mle1936ライフルは、同じ年(1936年)に、アメリカでM1ガーランドライフルという自動ライフルが採用された事もあり「時代錯誤」とけなす向きもあるが、第二次大戦で第一線の兵士全てに自動ライフルを装備させた国はアメリカしかなかったからその主張は正しくないと言える。
 1936年当時の情勢といえば、フランスの南を見ればちょうどスペイン内戦が始まった頃で、東を見ればドイツ軍が露骨に軍拡および領土拡張を行っていた時期であり、フランスにおいても軍備の拡充は行ってしかるべきだった。たしかにマジノ線という大要塞群を作っており、ドイツとの備えは万全だと思われていたからか、軍の装備にはなかなか手が回らなかったろうし、また、軍の編制が第一次大戦の頃とほぼ同じという点でも、軍備の拡充が完全に行われたとは言い難かった。それをフランス首脳は知っていたのか、ドイツに対しては矛先を東に向けるように外交努力を行った。結果はある程度成功を収めてはいたが、フランスの同盟国ポーランドに手を出すとまでは思ってはいなかったのだろう。さすがに見捨てるわけにもいかず、フランスはドイツに対して宣戦布告。ドイツは大多数の戦力を東に向けていたのだから、西からフランスが攻めこめばドイツの負けは確実だったが、フランスはついに攻め込むことはなかった。攻めこまなかったのではなく攻めこめなかったというのが正解なのだろう。
 1940年5月。ドイツはポーランドを征服した刀を返しフランスに攻めこんだ。装備面、特に戦車や航空機はドイツ軍に一歩も引けを取らなかったのだが、やはり編制面や戦術が完全に第一次大戦のそれと同じだったために、革新的なドイツ軍になすすべもなかった。頼みのマジノ要塞群には精兵を配備していたが、ドイツ軍は当然だろうが正面切って攻撃してこず、中立国ベルギーから侵入してきたために、全く役に立たなかった。逆に精兵をコンクリートの中に閉じ込めておくという皮肉な結果となった。
 わずか1ヶ月でフランスの首都「パリ」は陥落した。

 Mle1936ライフルはドイツとの本格的戦闘となった1940年5月から大量使用がされたが、上で書いたように本格的な戦闘経験がわずか1ヶ月ではその性能の良し悪しを汲むことはできないだろう。ちなみに、フランスがドイツに占領された後でも生産自体は継続されて、後方部隊に配備させていた。連合軍によってフランスが解放された後でも、また第二次大戦が終わっても生産自体は続行された。恐らくは1940年代終わりまでに生産が終了されたと思われるが、フランス陸軍では1949年までは制式ライフルとしてその座を守った。1940年代末のフランス領インドシナ戦争でも使われているし、インドシナ(掻い摘んでいえばベトナム)駐留軍を屈服させたベトミンにも大量に鹵獲されて、元の持ち主であるフランス軍など相手に銃口を向けたこともあった。
 1968年のフランス首都パリでの暴動で警察部隊がこのMle1936を持って暴徒を鎮圧している。それなりに息が長かったライフルであったと言えようし、それなりに使えたライフルであったとも言えるだろう。逆にいうならば「それなりに」のそれ以上でも以下でもなかったライフルとも言えなくはない。



 Mle1936ライフルの大きな特徴としては全長が短い事にある。さすがに1mは切れなかったが、1020mmという全長は制式化された歩兵用ボルトアクションライフルとしては最小の部類に入る。カービン型が作られたかはわからないが、この長さなら敢えて作る必要もなかったろう。ちなみに当時の各国の主力ライフルを列記すると下表のようになる。
国名
銃器名称
全長(mm)
銃身長(mm)
フランス
Mle1936
1020
575
アメリカ
M1ガーランド
1100
600
日本
99式短小銃
1118
655
ドイツ
Kar98k
1105
600
ソビエト
M1891/30
1303
803

 このように、フランスは列強に比べても結構短い部類に入っていたと言える。
 全長が短いと照準線が長く取れないという欠点がある。銃というのは例外なく照星(フロントサイト。銃口付近にある照準)と照門(リアサイト。銃手から見て手前にある照準)があるが、ボルトアクションライフルの場合はボルト操作の関係上、照門が銃弾装填口の前にあった。射手から見れば目との間が離れるが、それは致し方なかった。全長を短くすると照準線が短くなるので、結果的にオープンサイトでの照準では命中率が悪くなる恐れがあった。ただし、このMle1936ライフルでは照門が引き金上のボルト覆いにあるために照準線が長くとれておりその問題はなかった。恐らく全長を短くしたためにこの点を配慮したのだろう。ただし大きいボルト覆いを設けるとボルト操作ができなくなる事を意味する。そのためにMle1936ライフルはイギリスのSMLEライフルと同じくボルトハンドルがボルトの後端にあった。そのままでは操作しにくいという配慮からかボルトハンドルが前方に曲げられていた。これは実際に操作しやすいが華奢(きゃしゃ)に見えるために「折れはしないだろうか?」と思ってしまう。実際には折れにくかったとは思うけど。
 また、ボルト閉鎖ブロック(閂子)がSMLEライフルと同様にボルトの後ろの方にあった。これはボルト操作の時に後退長が短くなるという利点がある。ただし、ボルト前方がガタつきやすいために命中精度が劣る点も指摘されている。しかしながらこのMle1936ライフルを原型にした狙撃ライフルがずっと後にフランス陸軍で制式採用されている点を考えれば、物理上だけの問題なのだろうと思える。

 その他外見上の特徴といえば、銃床の木の部分が機関部を挟んで2つにわかれているという点もある。普通のライフルは床尾板から銃口下あたりまで一体成形の木で作られている。たしかに、木材はいちいち削り出す必要があるのでその製造工程を短縮できる利点があった。ただし、他国のライフルではこのように2分割されているものがないのを考えると、Mle1936ライフルでは何らかの潜在的欠点を抱えてしまっていたのかもしれない。

 それはともかく、Mle1936ライフルの欠点に、安全装置がないというものがあった。ボルト部分が従来のボルトアクションライフルと違っているためにつけられなかったのかもしれないが、これでは危険きわまりなかった。戦闘行動時ならともかく、後方地域では、弾部分を押しこみながらボルト操作をして薬室に装填しない状態で移動させていたのだろうか?。また歩哨任務の時などはどのようにしていたのかを個人的には知りたいものである。