U.S.M3 SMG(グリースガン)
性能:

全長        579mm
銃身長       203mm
重量        3.70kg
使用弾薬 11.43mm×23
(.45ACP)
装弾数        30
連射速度    350発/分

左はM3A1
  第一次大戦後に急速に発展して、第二次大戦後に急速に廃れた兵器というのはいくつかある。たとえば爆撃機・航空魚雷・短機関銃がそれだった。共通して言えるのは、ドクトリン(教義)が変化していらなくなったと言うわけではなく、それに代わるものが発達していったからだと言えた。

 爆撃機による戦略爆撃は日本・ドイツの戦争遂行能力を直接的に奪ったと言ってもいい。ただし、第二次大戦後は核弾道ミサイルにその座を奪われた。また敵基地などへの爆撃も、戦闘機のジェット機化で搭載能力が増し、誘導爆弾の発達で敢えて大型な爆撃機を使う必要もなくなった。第二次大戦の居住区の爆撃も、人道的な問題と、現代戦では無駄に爆弾を使うことにしかならないのでしなくなったこともあるだろう。
 航空魚雷は第二次大戦の、特に太平洋戦域で活躍した。不沈艦とまで言わしめた日本海軍の戦艦「大和」「武蔵」に引導を渡したのも航空魚雷だった。ただし、戦後は対艦ミサイルにその座を奪われた。その理由として、対空兵器の発達で、艦隊を組んだ敵艦隊に航空機で挑むのは自殺行為になっていった。そもそも、有効射程が数kmしかない航空魚雷よりも、100km以上も飛ぶ対艦ミサイルがいいに決まっている。
 短機関銃は第二次大戦では大活躍をしている。第二次大戦の戦争映画の主人公が所有している銃は大抵が短機関銃で、これはやはり連射できたからだろう。敵陣を駆け抜けながら短機関銃を撃ち敵兵をバッタバッタとなぎ倒すのはボルトアクションライフルではいくら嘘でも映像化はできないだろう。実際、連射できないボルトアクションライフルが主力だった時の短機関銃の存在意義はかなりあったと言える。ただし、戦後は突撃ライフルの発達で、短機関銃は軍用としては戦車兵用の自衛兵器などでしか使われなくなった。

 短機関銃の開発経緯には、拳銃の発達型か機関銃の妥協型かで諸説ある。ドイツでは前者といえ、アメリカでは後者と言えた。実際、ドイツでは「マシーネンピストーレ(機関拳銃)」と呼ばれ、アメリカでは「サブマシンガン(補助機関銃)」と呼ばれている。アメリカでは第一次大戦直後にトンプソン短機関銃が完成している。後にアメリカ陸軍に採用されているが、実際に目立った採用を行ったのはFBI(アメリカ連邦警察)だった。1920年代中頃から1930年代前半はギャングが横行し、利益で武装強化を行っていたため対抗上短機関銃を配備せざるを得なかった。
 まとまった数を必要としたのは第二次大戦が始まってからだった。1941年12月7日(アメリカ時間)。日本が真珠湾に奇襲攻撃をしかけ宣戦布告を行い、その4日後にはドイツ・イタリアがアメリカに対して宣戦布告を行ったために、急速に需要が出てきたのだった。ここにきてトンプソンM1928短機関銃の生産性の悪さが露呈した。FBIに採用されて数がさばけたとはいっても、警察で必要な数量などたかが知れていた。トンプソンM1928短機関銃はM1型やM1A1型と戦時省力生産型が出てきたものの、基本設計を変えずにコストや生産の手間を省くのはおのずと限界があった。

 当時のアメリカ陸軍は短機関銃をギャングの銃としか見なしていなかった。また、トンプソンM1928短機関銃の値段はM1ガーランドライフルよりも高かったせいもあって、大量配備には二の足を踏んだのは想像に固くはなかった。とはいえ短機関銃は前線からの配備要請は相次いだから作らないわけにもいかない。1942年初めには戦争中にもかかわらず新しい短機関銃を求めた。アメリカは自国用だけではなく、イギリスやソビエトや自由フランス軍にも武器を供給する必要があった以上、兵器工場はフル稼動でそれでも足りなかったので、民間工場にも兵器を作らせていた。鉄道信号メーカーにでさえ拳銃を作らせていた。そんな状況で、スプリングフィールド造兵廠に新規短機関銃を開発させるのは到底不可能だというのは当然の理で、新しい短機関銃設計は自動車大手のGM社(ジェネラル・モータース)に依頼した。GM社も戦争遂行に協力し、製造に高度な技術が必要な航空機エンジンや魚雷を作っていたのだから実績や信頼は十分にあるが、新規に作らせるとなると別の技術が必要なわけなのだが、GM社はその期待に答えた。車内にガンマニアがいたのだろうか?
 出来あがった短機関銃はMP40の影響を受けていると見受けられる外見だがおおよそスマートとはいえず、ちょうどグリス注入器のような形状をしているために、誰が言うでもなく「グリースガン」と呼ばれるようになり、これが俗称となって後々までついて回った。
 自動車メーカーが得意とするプレス加工を多用し、金属部品のみで仕上げられたこの短機関銃はトライアルでテストされることになった。他にもいくつかがテストされたがこの銃が性能的にも問題なしとされ「U.S.M3 Submachine Gun」として1942年12月に制式採用された。

M3A1の針金ストックは上図のように装填器にもなった。
ただ、どこまで使い勝手がよかったかは分からない。
 即座に大量生産が始まったが、配備状況はといえば、当時の写真を見る限りだとあまり配備しているようには見えない。いくら生産性が悪いとはいえ既に100万丁以上も作られていたトミーガン(トンプソン短機関銃の通称。M1928型とM1型とM1A1型があった)があったし、グリースガンの方が格段に性能が良かったというわけでもなかったからだろう。決定的な理由としてはグリースガンに愛着が持てなかったからだろうとしか思えない。実際、たとえ生産性が悪かろうとそんなのは使う兵士には知ったことではない。ともあれ格好がよく性能もよかったトミーガンを好んだということだろうし実際に歴戦の勇士はトミーガンの方を好んだ。
 ただ、トミーガンの方は固定ストックのためにコンパクトとはいえず、その点はスライドストックのグリースガンの方がコンパクトで良かったために、戦闘車両兵用の自衛火器として使われたと想像される。

 グリースガンは戦争中の1944年により簡略化されたM3A1が制式化された。この詳細は後述したい。さらに量産されたが戦争の終結によって一旦は生産が止まった。
 しかし、第二次大戦終戦の5年後に朝鮮戦争が勃発。グリースガンは生産が再開されることになり、当然ながら朝鮮の戦場へと送られた。また、さらに後のベトナム戦争でも使われた。

 グリースガンはアメリカの同盟国でも大量に使われ、日本も例外ではなく自衛隊に配備されている。今でも(2004年4月現在)配備されているという。

 いくつもの戦場に投入されたわけだが、戦場でグリースガンが写っている写真はあまり見かけない。ベトナム戦争期なら「突撃ライフルの発達でその有効性がなくなった」からだと理由がわかるが、特に第二次大戦期には大量に使われたのは確実なのにあまり見かけないのは、やはり「トミーガンに比べるとみすぼらしい」といった理由なのだろうか?。そのせいか戦争映画で見かけることはほとんどない。
 ただし、日本の映画ではいくつかに登場している。「戦国自衛隊」で伊庭三尉がヘリに吊るされて撃っていたのはこのグリースガンだったし、「セーラー服と機関銃」では封切り当時の流行語にもなった「快感・・・」と射撃後に言った名台詞を残したのもこのグリースガンだった。そういう意味では日本では馴染みのある短機関銃だと言える。

 結論をいえば、グリースガンは平凡だと言える。ただ、それは堅実な設計だったとも言える。その耐久性の良さは戦場では絶大の信頼を得たと想像できるし、多くの国で長らく使われた理由はその耐久性にあったと言えるだろう。
 「戦時急造の成功作」だと言えるだろう。

 

 グリースガンの外見的特徴は、やはりそのずんぐりとした点にあるだろう。弾倉受け(マガジンハウジング)がフォアグリップを兼ねている点はMP38の影響とも思えるが、オール金属という点を考えればステンガンの影響が多大なのだろうか?

 このグリースガンはボルトがやたらと大きく重たいために発射速度が350発/分と日本の92式重機関銃なみのトロさだった。ただボルトが重たいために確実に雷管を激発させるので信頼性は良かったし発射速度の遅さは命中精度向上にもつながった。

 安全装置は特徴的で、排莢口覆い(イジェクションポートカバー)を閉じれば安全装置が働き、開くと解除となる。とっさに射撃するときは大変だったろうが、実に合理的だと言える。ただ、この仕組みを真似した銃は他にはないので何らかの欠点があるのだろうか。ちなみにグリースガンはフルオートオンリーなのでセレクターはない。

 特徴の1つである丸棒銃床(ロッドストック)はスライドによる伸縮式で、後のMP5シリーズの伸縮ストックもこの発展型と言えるが、当時としては他に例がなく画期的なストックといえた。これを収納している際にグリップが握りにくいという欠点があるため収納時にストック展開のヒマがなくとっさの射撃の際にグリップが持ちにくいという欠点があったがストックなしでの命中は期待できないだろうからそれでも良かったのだろう。この丸棒ストックは汎用性があって、外すと銃身を外す際の工具としてつかえたし、銃床尾が弾倉へ銃弾を装填する際の装填器としても使えた。やったことがある人なら分かると思うが、最初の10発ぐらいは指でも楽に装填できるが、実銃の弾倉バネは固いから20発を越えたあたりから装填するのが大変になる。力でも押しこめるが、指が痛くなるし、弾倉口の部分で指を切る可能性も十分にあった。また寒冷地では手袋をするけども、手袋着用時の装填は結構大変なのでそういう意味でも意義があった。

 グリースガンには初期型のM3型とM3A1型がある。両者の外見上の違いはコッキングハンドルにあった。M3型は銃右側面についていた。引いてコッキングするには違いがないが、グリースガンは機関部下に支点があり、そこから90℃回転させるというような感じのコッキングを行っていた。M3A1になると生産簡略化のためにこのハンドルがなくなり、コッキングは自分の指を直接ボルトに空けられた穴につっこんで引く方式に変わった。たしかに合理的といえばそうなのだろうが射撃の後なんかボルトが結構熱せられていると思うので火傷などは大丈夫だったのだろうか?また不発と思って排莢するために指を入れたら遅発が発生して動いたらどうなるのだろうか?と思えてならない。


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