MP3008
性能:

全長:
760mm

銃身長:
190
mm

重量:
3.10kg

使用弾薬:
9mm×19

装弾数:
32

連射速度:
450発/分

 ヒトラー政権時代、宣伝相のヨゼフ・ゲッベルスのプロパガンダはよく知られている。戦争が勃発してから顕著になるが、彼は「Volk(国民)」という言葉を多用して(それが士気高揚につながったかは別として)盛んに国民の士気を鼓舞し続けた。
 1943年2月のスターリングラード敗戦による第6軍の文字通りの全滅から、ドイツという国が危機的状況にあるというのを国民に隠すことなく強制的な協力を呼びかけ出した。「Totaler Krieg(総力戦)」という言葉もこの時期から使われ出した。
 1944年になると状況はさらに悪化した。同年6月には西部戦線で連合軍がフランスに上陸した(ノルマンディー上陸)。同じ時期にはソビエト軍が大攻勢(パクラチオン作戦)を仕掛けドイツ軍は防御する手立てがなく、ソビエト軍自身の息切れ(補給線延長による進撃不能)でようやく進撃が停止したほどだった。
 ここに至ってもはや正規軍のみでは勝利どころか戦線の維持すらできないと判断され、1944年9月25日の総統命令で国民突撃隊が創設されるにいたった。編成するはいいが、肝心の武器生産はおぼつかない状況だった。なにせ正規軍にすら定数を支給できない有様では国民突撃隊に支給することができないのは自明の理だった。
↑MP3008とよく間違われて紹介されている写真。実際にはステンMk.Uである。
写真の人物はアルトゥール・フレプス親衛隊大将(最終階級)で、彼は1944年9月に行方不明になっているため(ソビエト軍に捕まって殺されたと言われているが記録にはない)当然それ以前の撮影となる。
弾倉受け(マガジンハウジング)が下を向いているためにMP3008と誤認されていると考えられる。ステンガンは防塵と安全のため、弾倉受けをこのポジションにすることができる。
ただし、彼の持つ銃はゲラートポツダムの可能性がなくはない。

 ドイツでは簡易的に生産が可能な兵器の開発を多数行った。それら兵器は戦意高揚のため・・・もしかしたら簡易的という劣等感を隠すため・・・Volkという名前を頭にもってきて戦意高揚の意味合いで名前を付けた。
国民ライフル、国民拳銃、国民機関拳銃、国民突撃ライフル・・・挙句の果てには国民戦闘機なるものまで登場した。さすがに国民戦車はなかった。

 今回紹介するMP3008は上記の国民機関拳銃で、ほかの国民兵器と違い1からの開発ではなくイギリスのステン短機関銃を参考に作られている。
 ドイツではステン短機関銃Mk.Uを刻印も同じにしたフルコピーを生産しており(別名、ゲラートポツダムと呼ばれる)その経緯から製作の際に参考にされたと思われる。このゲラートポツダムは28000丁ほどが生産された。恐らくは連合軍陣地にドイツ兵を紛れ込ませるためだと考えられるが、実際にはなぜ作られたかは分かっていない。
 MP3008はさらに省力化されている。具体的には放熱フィンの省略、弾倉受けの下部固定である(ステンガンは射手から見て左だが、安全装置の意味とゴミが入らないように、弾倉受けを下部に移すことができる。もちろん、弾倉は差し込めないし射撃もできない)。
 軍からの発注は1944年11月15日に行われた。発注数は100万丁で1945年1月から月に25万丁ずつ納入するように要求された。
 生産は部品工場だけでも30社を超え、組み立て工場は14社におよんだという。そんな生産努力にも関わらず、軍への納品が確認できるのは3500丁程度で、実際にはもっと多く作られたと考えられるがそれを足しても生産数は5000丁程度と考えられる。
 その理由として戦争末期で、空襲で生産どころではなかったのと、資材の不足、労働力の不足と、決定的な理由は輸送経路の寸断だろう。設備があっても材料がなければ作れないし、トラックがなければ納品もできず、橋が破壊されていたら納品はより遅れたからである。
 戦争が終わって、MP3008が使用された形跡はない。ただ、21世紀になって、ドイツのHZAクルムバッハという会社がリメイク生産を行っている。この会社は他にもFG42T、UやStg44なども生産しており、その一環ともいえる。そのため、銃器大国のアメリカでは見かけることは難しくなく、映像としても(オリジナルではないにでよ)見ることは容易にできる。


 MP3008は外見上からもステンMk.Uを模倣しているのがわかる。本文でも触れているが、いくつかの相違点はある。

・放熱フィンがない
・弾倉受けが左ではなく下
・弾倉受けを回すことはできず下固定
・弾倉はMP40のものがそのまま使用できる(ステンガンの弾倉は使用できない)
・銃床(ストック)・銃把(グリップ)がMP3008独自のタイプのもある

大まかにいえばこういう相違点がある。
生産数は本文でも触れているが、5000丁に満たないと考えられている。これは推測で実際に何丁作られたかは不明で、戦後に流出しなかったことを考えても5000丁という数字は妥当ではなかろうか。
 その少ない生産数のわりには写真は比較的多く残っており、またその写真を信じる限りストック・グリップは生産数のわりには種類が多い。上記イラストはステンMk.Uのままで、これは実際に生産されている。バリエーションとしてグリップが独立しているタイプもあれば丸鋼を曲げたタイプもあるし木製もあった。これはステンガンと同じ歩みと言える。
 MP3008は(ステンガンも同じだが)ストックが取り外しが容易にするため(メンテのため)機関部とは別部品のため、生産工場で一番作りやすい型で製作したのではないかと考えられる。たとえば、プレス工場ではステンMk.Uのようなストックを製作し、ライフル工場では木製ストックにしたのだろうと考えられる。ただ、その努力は結局は報われなかった。


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