M1エイブラムズ

全長:        9.83m
車体長:       7.92m
全幅:        3.65m
全高:        2.88m
重量:         57.2t
装甲:       ???mm
乗員数:        4名


(上記データはM1A1のものです)
武装:44口径
    120mm滑腔砲×1
    (40発搭載)
    12.7mm機関銃×1
     (1000発搭載)
    7.62mm機関銃×2
     (計12400発搭載)
動力:AGT-1500
    1500馬力
    ガスタービン機関
走行性能:最大速度:67km/h
       航続距離:465km
総生産台数:8322両
 第二次大戦中は、ドイツ・ソビエト両国は文字通り血みどろの戦車戦を展開していた。敵よりも少しでもアドバンテージを確保しようと、戦車開発者は不眠不休の努力を重ね新しい戦車を、ないし新しく改良を重ねた戦車を開発し生産し続々と戦場に送っていた。それに対して、アメリカでは主力戦車はM4シャーマン一本だった。この車両は、世界一の自動車大国で生産されただけあって、稼働率が非常に高かった。ただし、利点はそれだけで、ドイツ・ソビエトの戦車と比較した場合、能力的には劣っていた。後継のM26パーシングも終戦直前に間に合ったに過ぎなかった。ただ、このM26パーシング自体は優秀な戦車で、朝鮮戦争ではT-34/85戦車と撃ち合い勝利している。衝撃的だったのはソビエト側で、朝鮮戦争以降、敵(アメリカ)よりも大口径のそしてローシルエットの戦車を続々と送り出した。アメリカ側も負けじと続々と新しい戦車を送り出したものの、基本的にM26パーシングの改良型の域を出る事はなかった。アメリカ側も新型戦車を開発はしているのだが、MBT70など、ことごとく失敗しているので、改良につぐ改良を重ねるしかなかった。アメリカ・ソビエトの代理戦争とも言える中東戦争ではアメリカ製戦車とソビエト製戦車が撃ち合いアメリカ製戦車が勝利していたので、改良する選択も間違いではなかったといえるが、いずれは劣勢に追い込まれるのは目に見えていた。
 後にエイブラムズと命名される、この戦車の開発開始は1972年頃とされる。この当時はソビエト側は125mm滑腔砲搭載のT-64戦車を送りだし、このエンジン信頼性をアップさせたT-72戦車の採用がなされたという情報が流れ出した(T-72戦車の量産開始は1974年になってから)。ここにきてアメリカ軍は新しいMBT(MBT=Main Battle Tank。主力戦車)の開発に乗り出した。開発時の名称は「XM1」と言われた。Xは試作という意味だがM1という名前は1番目という意味だが、これまでもM48やM60などがあったにもかかわらず、1番目という意味の「M1」と呼ばれた。これは「アメリカ軍が戦後で初めて1から開発戦車である!」という意気込みを語るものと信じられているが、実際には分からない。
 開発にはGM(ジェネラル・モータース)社とクライスラー社の2社で競作を指示した。無論、両者とも不眠不休といえば大げさだろうが、それだけの意気込みで時期主力戦車の開発にいそしんだ。アメリカ陸軍が大いなる期待をかけたのもあったけども、開発費用だけでも2億ドルをを超える大プロジェクトだったので、両者とも負けるわけにはいかないという裏事情もあった。1976年までには開発は終了。アメリカ陸軍が採用決定したのはクライスラー社の案だった。下馬評ではGM社案が有利とされていたにもかかわらずの決定だった。GM社案では大馬力のディーゼルエンジンが搭載されており、クライスラー社のガスタービンエンジンよりも燃費がよかったのが理由の1つだった。しかしGM社が敗れた理由としては、当時はアメリカには1500馬力相当の強力なエンジンがなく、GM社のエンジンもトラブルが見込まれ、その対策に莫大な予算が必要とされたからといわれている。また、開発費用もGM社では2億3200万ドルだったのに対して、クライスラー社の開発費用は2億ドルを切った1億9700万ドルだったという。実際、私はGM社案の車両を写真で確認したことがないので、設計上の問題点の有無が確認できない。ただ、1970年前後といえば、ベトナム戦争とアポロ計画で膨大な金が飛んだのだからコスト問題がクライスラー社に軍配を上げた理由だとしか結論が出せない。MBT70の時の莫大な予算の浪費も影響していたかもしれない。
 当初、装備されていた大砲はM60A3と同じ、51口径105mmライフル砲だった。イギリス・ドイツはすでに120mm砲を搭載していたにもかかわらず(ただ、イギリスのチーフテン・チャレンジャーは55口径120mmライフル砲で、ドイツのレオパルド2は44口径120mm砲という違いはあるけど)105mm砲を採用した理由として、自国開発が間に合わなかったという理由がある。ここで「アメリカは自国の意地でドイツのラインメタル社からの輸入に頼るのを嫌い、どうしても自国開発にこだわった」というのをよく聞く。これは間違いとは言いきれないが、はたしてそうだろうか?。M1エイブラムズの機関銃は3丁あるけども、7.62mm機関銃はM60戦車まではブローニング社製を使っていたけども、威力があるという理由で、M1エイブラムズからはベルギーのFN社製のを使っている。意地でも自国開発にこだわったとも言いきれないだろう。実際の理由として、消耗品である砲身を自国で生産できないとなるとこれは大問題となる。ようは砲身寿命がきた大砲をそのまま使うわけにもいかず、やはり、自分の国で生産・供給できないと困るからである。7.62mm機関銃なんぞなくても戦車は戦えるけども、大砲がない戦車はもはや戦車ではない。動く装甲板付き銃塔にすぎないからである。ちなみに、日本の90式戦車の120mm滑腔砲は輸入品で、有事の際は困るんではないかと思える。ある意味「実戦で使うのが前提」な国と「実戦には使わないのが前提」な国の違いがあるのかもしれない。ただ、120mm滑腔砲の開発が遅れていたのは事実で、すぐにでも実戦配備(当時はまだワルシャワ条約機構軍が健在で西ドイツに一刻も早く配備したかったという思惑もあったのだろう。結局は105mmライフル砲を搭載した型を誕生させた。ただし、後に120mm滑腔砲を搭載できるように砲塔は大きめに作られてはいた。1982年のレバノン紛争でイスラエル軍のM60戦車(105mm砲搭載)はシリア軍のT-72戦車を撃破しているのだから、105mm砲もソビエト戦車に十分通用するのは実証できたけども、ソビエト側も105mm砲に対抗した装甲強化を図ってくるのは間違いなかったから、とにかく、120mm滑腔砲の開発は愁眉の的といえた。
 1980年2月に105mm砲搭載のM1エイブラムズが初めてアメリカ陸軍に引き渡された。120mm滑腔砲搭載のM1A1エイブラムズの生産が始まったのは5年もずれ込んだ1985年の事だった。
 ただ、M1エイブラムズ(M1A1も)の評判はソビエトのT-72戦車やT-80戦車と比べても、あまりいいものではなかった。ソビエト戦車はアメリカ戦車に比べて車高が低く、これは戦術上での大きなメリットとされた。また、ソビエト戦車は自動装填機構搭載の大砲を備えていた。これは手動装填に比べると発射速度で大きな違いがでてくる。これも戦術面では大きな利点と言われていた。M1エイブラムズのエンジンはガスタービンエンジンだけども、これはソビエト戦車のディーゼルエンジンに比べて燃費が格段に悪かった。燃費はソビエト戦車の半分でしかなかった。大砲の威力は口径の2乗(3乗?)に比例するといわれ、125mm砲の方が威力は格段に勝っているといわれたし、特にM1エイブラムズが劣っていたと言われる点は、防御面で、M1エイブラムズは砲塔と車体の隙間、いわゆるショットストラップがあった。ここに砲弾が命中した場合、装甲の薄い砲塔リングに当たる事になり、また、貫通はしなくても、砲塔の旋回が不可能になる恐れがあった。ドイツとの大戦車戦を展開してきたソビエト軍は重々承知していたので、このショットストラップがない戦車を作りつづけてきたのだった。M1エイブラムズはと言えば、各方面からこの指摘はなされていたものの、特に改善される事はなかった。アメリカ陸軍も設計者もこれには自信を持っていたのかは分からない。ともかく、これが本当に致命的な欠点となり得るかは実戦を経験するしか証明する術はなかった。不幸にしてその証明する時期はやってきた。
 1990年8月2日。イラク軍は突如としてクウェート領内に侵攻。瞬く間に占領し、後に18番目の州にすると発表した。世界の警察を名乗るアメリカは黙ってはいない。サウジアラビアに承諾を求め、可能な限りの船と大型輸送機を投入し、アメリカ陸軍の誇るM1A1エイブラムズを大量に投入した。実にその数3211両とも言われる。うち2000両前後が前線部隊に配備されたという。対峙するイラク軍はアメリカ軍情報部によれば4280両もの戦車を配備しているというものだった。ただし、新型のT-72戦車は1000両ほどで、残りはT-55戦車などの、骨董品クラスの戦車だったというから、この時点で勝負はあったと言える。ただ、数の優劣は戦場の兵士にとってはあまり関係ない。ようは戦場の戦車兵にとっては自分の乗る戦車は本当に自分の命を託せるに値するものなのか?というもので、ようは敵よりも強い戦車なのかが重要だった。これまで戦場を経験していないM1エイブラムズの乗員はそれが心配事だったのは想像にかたくはないが、その心配は杞憂に終わる事になった。
 1991年1月17日。最後通牒をつっぱねたイラク軍に対してアメリカ軍を中心とした多国籍軍は空爆を開始。3月に入って地上戦となった。イラク軍の敷いた強力ば防御陣地は工兵部隊が除去した(対戦車壕は工作車両で埋め、地雷原はムカデのような爆薬で爆破したり、空軍の空爆で誘爆させて無力化した)。M1エイブラムズ自体も、農機具の鋤のようなものを車体前に取り付けて地雷除去に活躍している。ただ、本番はその後だった。防御陣地を突破したM1エイブラムズはイラク軍戦車と真正面から交戦した。アメリカ陸軍の当初の発表では撃破されたイラク軍車両1708両でこちらの損害はゼロだった。しかし、後の発表では18両のM1A1エイブラムズがやられたと訂正した。どっちにせよ、一方的な戦いだった。M1エイブラムズの砲弾は夜間だろうが、悪天候だろうがイラク軍戦車に正確に命中した。これはエレクトロニクスの差が大きく車両性能の格差とはいえないが、真正面から撃ち合っても、M1エイブラムズは遠距離では実に3500mの距離でもT-72戦車を撃破したという。T-72戦車の有効射程は2000mだから反撃しようにもできなかった。また、T-72戦車の有効射程から125mm砲弾を食らってもほとんどを弾き返した。実際に、やられた18両のうちイラク軍戦車に撃破されたのは4両にすぎず、これも近距離(1000m以内)で側面から撃ちこまれたからだという。ちなみに5両は地雷を踏んで行動不能になったけど、残りの9両は同士撃ちでやられた。ただ、遠距離では味方の砲弾でも弾き返したし、安全性が確保されていたため、死者は1名もでなかった。ここまでくれば「命をたくせる頼もしい兵器」ではなく「命の恩人」とも言えるだろう。一方、ソビエト軍は、イラクの首都"バグダッド"に軍事顧問団を派遣して、自国兵器性能をチェックしていたのだが、いくら輸出用のモンキーモデル(ソビエトは機密漏洩防止の意味で輸出用の兵器はグレードを落としたものを輸出しているが、通常兵器を人間にみたてて、輸出用は1段劣るサルのモデルだとしてモンキーモデルと呼ばれる)とはいえ、この一方的な敗戦にはショックだった。しかし対策を講じる間もなくソビエトという国家自体がなくなってしまった。戦車性能が国家の存亡を左右したといえば過言であろうが。
 ここに、M1エイブラムズの設計が間違っていなかったのが証明された。特に無敵ともとれるM1エイブラムズ戦車の活躍に各国は注目した。特に中東諸国ではソビエト製戦車に完全に太刀打ちできるどころか優位に立てるのが証明されただけあって、クウェート・サウジアラビア・エジプトなどから注文が来て輸出された。ただし、そのままの形ではなく、劣化ウラン装甲は、通常装甲に変えてあると想像されるし、燃費の悪いガスタービンエンジンもドイツ製ディーゼルエンジンに換えられているらしい。
 湾岸戦争で活躍したにもかかわらず、M1エイブラムズの生産自体は1992年までに終了している。M1からM1A2まで8322両が生産されている。理由は、ソビエトの崩壊でこれ以上の生産は意味がないし、もはや局地戦以外で戦車戦が起こるとは考えられない世界情勢になってきた事と、M1エイブラムズの性能自体は非常に優れているので、改良で十分戦力アップになると考えたからだろう。ただし、輸出型は1997年まで生産されている。
 今の所、M1エイブラムズの後継機種の開発は積極的にはなされていない。140mm砲搭載の戦車やレールガン装備の戦車を開発しているという話もきくが、即座に戦力化されるとは考えにくい。一説には2030年までは現役に踏みとどまるといわれている。冷戦が終わり世界の戦争も小規模化かつ多様化した事も新型の戦車が積極的に開発されない理由でもあろう。

 M1エイブラムズのウリはなんと言ってもその重厚な装甲と強力ば弾薬にある。これらには劣化ウランが用いられている。劣化ウランとは手っ取り早くいえば、ウランの燃えカスで、ウラン自体は原子の数が多く(236個)その分密度が集中しているので強度は高い。一説には通常装甲の3倍はあるとされている。M1エイブラムズは実に30インチ(762mm)もの正面装甲があるという。ただ、HEAT弾対策で中は劣化ウランだけでなく、中空にしたりセラミックなどが混ざっていると推定されている。砲弾も同じ材質でできていて、貫通力もなかなかだった。上記で書いたように3500mの距離で最大装甲280mmのT-72戦車を撃ちぬいた(ただし、どこに当たったかがわからないので、側面かもしれない)。劣化ウランは言うまでもなく放射性物質で、砲弾命中せず、速度を失って地面に刺さっているこの劣化ウラン弾を触った場合は当然ながら被爆する。イラク南部ではこれが大問題で、子供などもそれと知らずに触って被爆した例も多い。そのためか、アメリカでは弾を通常の材質に戻す考えもあるという。実質的には戦車兵に対するものだろうとも思えなくはない。
 防御対策としては他には弾薬庫と戦闘室を分厚い隔壁で隔離していて、装填手は隔壁のドアをあけて弾を取り出すようになっている。弾庫に砲弾が命中して誘爆した場合、天井のパネルが瞬時に吹っ飛んで爆発力を上空に逃がすようになっている。戦車は戦闘能力を失うけども、後方に持っていって修理すればいいし、乗員は助かる確率は高くなる。このパネルは「ブローオフ・パネル」と呼ばれている。余談ながら、戦場用語で「ブローオフ」とは「吹っ飛ぶ」と「フェラチオ」の2つの意味がある。本当に余談です(笑)。また、火災が発生した場合でも、自動的に検知して強力なハロン自動消火システムが巻かれて消火するようになっている。この消火剤は現地での充填はできないと考えられる。
 搭載するコンピューターは開発当時の最新鋭の技術を投入したのは無論だけども、湾岸戦争で実戦を経験すると意外と欠点が露呈した。戦車だろうが戦闘機だろうが、動く機械は必ず熱を出すけどもこれを捕らえる熱源映像装置(サーマル・サイト)は夜間でも悪天候でも確実に敵を見つける事ができたけども、敵か味方かの識別が難しかった。やられた18両中半分が同士討ちという事を考えてもこれは問題だった。識別困難の理由として、映像がクリアーではなかった点があげられる。まぁ、10倍の照準器で覗いたって3キロも離れていたら点にしか見えないんだからしょうがないといえばしょうがない・・・で済まされる筈もない。また、M1A1までの熱源照準装置は砲塔正面に固定されていた。ようは横を見たい場合は砲塔を旋回させるしかなかった。警戒行動ならまだいいけど、戦闘行動で敵を照準している場合は当然、砲塔は動かせないから、索敵ができなかった。敵が正面にしかいなければいいけども、側面にもいた場合は大問題になる。砲手用の照準はそのまま戦車長のディスプレイに表示されるものの、戦車長はそれだけの情報では不完全なので、戦車長用の熱源照準装置付きペリスコープが取り付けられた。また、視界関係もかなり改善され、これで敵味方の識別はある程度はできるようになったという。余談ながら、艦船や軍用機はIFF(=敵味方識別装置・・・こっちから対象物体に一定の周波数の電波を送信して味方ならIFFが自動的に一定の周波数の電波を送り返す。つまり電波が帰ってこなければ敵となる)が付いているのに、戦車にはなんでつけないのかは分からない。戦闘機や軍艦みたいに何10キロも離れずに、目視が原則だからだろうか?
 M1エイブラムズの心臓部であるエンジンはガスタービンエンジンが採用されている。ガスタービンエンジンはタービンを回しておいてその力で駆動するもので、ピストン式のディーゼルエンジンに比べればパワーロスは少ないとされる。ただ、低速だろうが高速だろうが高速回転させるために燃費は悪い。ディーゼルエンジンの倍以上は燃費が悪い。常に回転させるため、急速発進などのレスポンス性はかなりいいけども、その犠牲でアイドリング状態でも1時間で33リットルも燃料を食う。そのため湾岸戦争では補給担当がすごく困ったという話も伝えられている。補給体制が万全なアメリカだからこそ採用されたとも言えなくはない。ただ、ガスタービンエンジンはディーゼルエンジン以上に燃料を選ばず、艦船などの燃料も使えるので、それらと共通化するためにガスタービンエンジンを採用したとされるが実際には理由はわからない。


  M1エイブラムズのバリエーション

 M1エイブラムズ:
 初期生産型。105mmライフル砲を搭載した。詳細は上文参照の事。ただ、防御に関してはNBC(核兵器・生物兵器・化学兵器)防御能力がなかったとされる。3268両が生産された。

 M1A1エイブラムズ:
 M1エイブラムズの主砲を120mm滑腔砲にした。NBC防御能力を追加され、砲塔装甲も強化された。そのため重量が約5トンほど重くなった。湾岸戦争で活躍したのはこの型で、湾岸戦争の頃で”M1エイブラムズ”といえばこれを指す。4992両が生産された。

 M1A2エイブラムズ:
 M1A1エイブラムズのエレクトロニクスを強化した型。フランスのルクレールまでいかないにしても、10年前のジェット戦闘機なみに電子機器が搭載された。特に同士討ちを避けるために、戦車間での情報のやりとりのシステムが大幅に強化されている。最新型(2001年10月現在)のM1A2SEP(SEP=システム拡張プロジェクト)では戦車長専用の熱源映像装置付きペリスコープが追加された。これは独立して動かせるので、砲手に射撃目標を指示しつつも、自分は360°警戒が可能になっている。あと、細かい点ではいくつかの改修がありますが、今回は割愛させていただきます。M1A2の生産台数は62両で生産を終えているけども、これは既存のM1やM1A1を改修してM1A2にするために、生産数が少なくなっている。本文でも触れたように、もはや戦車を生産しまくっても需要がなくなってきたからとも言える。


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