M113装甲兵員輸送車

全長:        4.86m
車体長:       4.86m
全幅:        2.69m
全高:        2.54m
重量:         11.6t
装甲:       ???mm
乗員数:        2名
搭乗兵士数:    11名
武装:12.7mm機関銃×1
動力:デトロイト6V53
    V6 215馬力
    水冷ディーゼル
走行性能:最大速度:68km/h
       水上走行:5.8km/h
       航続距離:483km
総生産台数:70000両以上

(上記データはM113A1のものです)
 戦車運用において、戦車単体での行動は危険を伴った。第一、戦車の視界はすごく悪いので、歩兵の接近を許すと、撃破されてしまう事もあった。第二次世界大戦では歩兵用の対戦車兵器は、戦車に吸着させる地雷などの接近戦用の兵器しかなかったため、歩兵相手には接近を許してしまうと戦車側が危なかった。ドイツではパンツァーファウストという対戦車ロケット兵器があり、これは当たってしまうと一撃で戦車がやられてしまう兵器で、射程が30m(80mタイプもあった)という短い射程がネックだったものの、戦車部隊側では非常に恐縮し、歩兵を随伴させない限りは積極的な行動をとらなくなった。逆にいえば、歩兵がいれば戦車も積極的に働けるという事だった。ただ、歩兵は進撃速度が遅いという欠点があった。それに比べて戦車は速い。戦車が10km/hの速度で走っても歩兵は追いつけないのだから。それに歩兵は防御力が低いというどうしようもできない欠点もあった。ようは歩兵・戦車連合部隊が進撃した場合、大砲で砲撃して、歩兵と戦車を分断して撃退するという戦術も取られた。では、どうすればいいか?答えは装甲車両に歩兵を乗せて戦車と一緒に走ればいいという結論にいたった。

 M113装甲車は上記の理由で誕生したものの、それだけではなく、当時は核戦争を想定しており、その際に完全に防御できるようにとの配慮もあった。M113装甲車は開発時期は不明。制式採用は1960年だった。この当時はベトナムでの緊張があったため、南ベトナム軍に供給されていた。アメリカ軍が本格介入すると、アメリカ軍でも大量に使用された。ベトナム戦争の写真ではこのM113装甲車が映っているのが大量にある。ベトナムは地形が複雑で、山あり谷あり川ありと非常に大変だった。そのため、このM113装甲車は大活躍をしている。本来は機甲師団に追従するための車両ではあったけども、使用用途は兵員輸送と兵員支援だった。また、使い勝手がよく、いろいろなバリエーションがあるがこれは後述したい。
 欠点もいろいろあり、M113装甲車はアルミ合金製の装甲で、ライフル弾なら防げたけども、12.7mm以上の重機関銃弾は防げなかった。また、浮上走行も要求されたため、装甲板の厚さが妥協された部分があり、それは車体下面で、そのために地雷に弱いという欠点もあった。それとベトナムは暑いこともあって、歩兵はM113装甲車の上に乗って移動していた。戦闘が始まってから中にもぐり込んでいたという。また、銃眼がなく、乗っている歩兵が射撃する場合は車体上のハッチをあけて身を乗り出す必要があった。M113装甲車は12.7mm機関銃が装備されていたけども、車内からの射撃ができず、射手は身を乗り出して射撃していたけども、この機関銃に防盾がなく、敵の銃撃による死傷が多発した。そのため、現地で、廃棄車両から装甲板を切りとって防盾を作って装備していた。現地改造のため、統一性がなく、一般的なのは前面のみの防盾だけども、当時の写真を見ると側面と後面にも取りつけている車両も見受けられる。
 ともあれ、活躍した有能な車両には違いがなく、ベトナム戦争ではUH-1イロコイスと共になくてはならない兵器だったといえる。「核兵器防衛用」「機甲師団随伴用」な兵器だったけども、この用途で使用はされなかったが、ゲリラ戦でのこの手の兵器の有効性を実証した。「局地戦ではこの手の兵員輸送装甲車が有効である」という概念を植えつけたのもこのM113装甲車だった。

 M113装甲車は当初はガソリンエンジンを搭載していたものの、火災などの考慮からディーゼルエンジンに変えられた。これはM113A1と呼ばれる。ただし、上記説明では「M113装甲車」で統一しているので注意されたい。
 M113装甲車の構造としては、車体後部に兵員を乗せる関係上、エンジンが前(右前)にある。操縦手は左前方に配置して、車長はエンジンの後ろ(車体中央のやや前より)にいる。兵員は半分から後ろの左右に5名づつ、車長の後ろに1名の計11名が乗せられる。文献には「完全武装の兵士11名が乗車可能」とあるけども、11名全て乗せるとすごく窮屈なので、実際のところ、完全武装させた兵士を乗車させるには少しばかり数を減らす必要があったんじゃないかなぁと思えなくはない。エンジンは前にあるのは既に書いたけども、整備性を上げるために、車体前面に大きなドアを設けている。ただ、車体前面にドアをもってくるのはあまり好ましくはなく、そのために、開閉可能な装甲板をさらに取りつけている。これは水上航行用の波きりも兼ねている。避弾径始のいい車両は水上走行させると、車体が水に潜ってしまうため、それを防ぐためだけども、実に合理的な考えだと言える。兵員の乗降は車体上のハッチと車体後部のハッチからできた。多用されたのは、無論車体後部ハッチでこれは上から下に開く方式で開閉は油圧でおこなった。このハッチは兵士降りる際の踏み板にも使われた。

 M113のバリエーションとしては、その車内の広さから、無線機器類を大量に搭載できたため、車体後部上面テントを張って、無線機器類を搭載したM577指揮通信車や、20mmバルカン砲を搭載した、M163対空自走砲がある。このM163の詳細は別項に譲りたい。また、機動性の悪い107mm迫撃砲をこのM113装甲車に搭載したM106自走迫撃砲もあった。車内発射が可能だったけども、実際には車外に下ろしてから射撃する事が多かったといわれる。制式名のない現地改造型としては、40mmグレネードを搭載した型や7.62mmミニガンを搭載した型、上面ハッチの左右に防盾付きのM60機関銃を搭載した型など、まさに「動く要塞」みたいな改造を施しているのが当時の写真から伺える。これらの車両は大活躍すると同時に極めて汎用性のある優れた車両であるという証明でもあった。


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