M26重戦車"パーシング"

全長:        7.26m
車体長:       ?.??m
全幅:        3.51m
全高:        2.78m
重量:         41.9t
装甲:  50.8〜101.6mm
乗員数:        5名
武装:50口径90mm砲×1
    12.7mm機関銃×1
    7.62mm機関銃×2
動力:フォード
    V8 500馬力
    ガソリン
走行性能:最大速度:48km/h
       航続距離:180km
総生産台数:2432両
 アメリカ重戦車の歴史は1942年6月までさかのぼれる。この時にM6重戦車が制式採用され、5500両の量産計画が立てられた。ただ、作ったはいいものの運びつらいという欠点があった(重量が57tもあった)。また、ドイツ戦車隊はその軽快さで敵軍を圧倒していたため、重戦車は不要という考えをもったと言われる。M6重戦車の最大速度は35km/hでとりたてて遅いというわけではなかったのだが。そのためか40両ほどしか生産されなかった。ところが、敵がティーガー1重戦車を戦場に投入しだすと、対抗上重戦車を作る必要が生じた。それで作られたのがこのM26パーシング重戦車だった。
 この原型はT26E1という型で1944年5月には試作車両が完成している。翌月に迫っていたノルマンディ上陸作戦以降のヨーロッパ戦に間に合わせるために急ピッチで開発を急がせたものの、結局完成したのが1944年末で1945年1月にようやくアントワープに到着した。戦局はというと、1944年12月に始まった、アルデンヌ攻勢・・・連合軍側では「バルジ(突出部)の戦い」と呼ばれたドイツ西部戦線最後の攻勢もドイツ側の敗戦が濃厚となっていた時期だった。そのためか、実戦投入はほとんどされておらず、大規模に使われた戦いといえば、1945年3月27日のレマーゲン鉄橋での戦いのみだった。大規模と書いたけども、実際の投入数は20両程度なので戦果などは不明。余談ながら、部隊配備は上で書いたように1945年1月だったけども、制式採用はなぜか後れて1945年3月だった。カタログデータで見る限り、ティーガー1重戦車やパンター戦車とは攻撃力は上だったけども、防御力は劣った。ティーガー2重戦車と比べると攻撃力・防御力ともに劣ったものの、機動性は格段に上だった。足回りにトーションバーを採用したので、機動性は格段に向上し、機動戦となった場合には有利だったろう。ともかく、出現が遅すぎたので大活躍とまではいかなかった。

 対日戦にも登場したという証言もある。これは、硫黄島の戦いで「見たこともない戦車」の報告を兵士が行っている。これがパーシングだと思われるが、一説には土嚢を積んだM4シャーマン戦車ではないかとも言われている。沖縄戦にも登場したと言われるが、実際には分かっていない。ただ、終戦直後に沖縄で対日戦勝記念が行われた時の写真にパーシングが写っているため、配備はされていた。

 当初は重戦車と定義されていたものの1946年5月からは中戦車に鞍替えとなった。理由は不明。
 1950年6月に勃発した朝鮮戦争でも使われた。当時の国連軍(実質的なアメリカ軍)の戦車はM4A3E8などが投入されていたけども、これでは敵のT-34/85に対してやや不利だったけども、同時投入されたM26パーシングおよび、このパーシングの足回りとエンジンを強化したM46はT-34/85を圧倒。第二次大戦でのコンセプトが間違いではないという証明をしたとともに、戦車ではあまり強くなかったアメリカのイメージを一新する事となった。ソビエト側でもT-34/85が破れた事実を重要視し、今後の戦車は90mm以上の大砲を積む型を開発するにいたった。ここに戦後の戦車開発競争は始まったといえる。
 M46の方は朝鮮戦争停戦後も韓国内に留まって北朝鮮軍ににらみをきかせた。第二次大戦には出現が遅すぎたものの、その役目は十分に果たした戦車ではあった。ただ、M26パーシング重戦車の成功はその後の戦車開発が、これの域を出るのにすごく時間がかかったのが惜しまれるといえば惜しまれる。


 M26パーシングの車体構造はM4シャーマンとは結構異なっている。サスペンションはトーションバーになり、エンジンも航空機用ではなく、V8エンジンを用いている。また、これが大きく変わった点だけど、駆動輪が後部式になっているので、シャフトが車体中央に通らずにすみ戦闘室が広くなった。また、シャフトがないので、全高も押さえる事に成功している。装甲は最大で100mmちょっとで、とりたてて厚いものではなかったが、避弾径始がよい、鋳造砲塔を採用していたため、それなりには防御力はあった。
 上で書いたように朝鮮戦争にも投入され、オリジナルのままだけではなく、新型戦車(M47)が開発途上で間に合うかどうかわからない状況だったので(結局、間に合わなかった)M26パーシングに改造を行い、新しいエンジンと変速機を新型にしたM46を朝鮮半島の戦場に送った。新しい変速機はクロスドライブ式と言われるもので、旋回か機敏に行われていたといわれ、馬力が上がったエンジンは重量比が向上し、起伏の多い朝鮮半島では非常に好評だった。北朝鮮軍が装備していたT-34/85に圧倒的勝利を収め、敵ソビエトも新しい戦車の開発を強いさせたのは上でも書いている通りである。


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