M2歩兵戦闘車"ブラッドレー"

全長:        6.45m
車体長:       6.45m
全幅:        3.20m
全高:        2.50m
重量:         22.6t
装甲:       ???mm
乗員数:        3名
搭乗兵士数:     6名
武装:TOWミサイル
        発射装置×1
    25.4mm機関砲×1
    7.62mm機関銃×1
動力:506馬力
    水冷ディーゼル
走行性能:最大速度:66km/h
       航続距離:483km
総生産台数:約4500両

(上記データはM2のものです)
 冷戦期のソビエト軍の情報というのは西側諸国ではあまり流れなかった。正確なものもあったが不正確なものもあった。とにかく”憶測”以上の情報があまりなかったからだといえばそれまでだったろう。そんなソビエト軍の情報、特に最新情報が一般の我々でも見ることができる事があった。それは5月1日に行なわれている、モスクワ軍事パレードだった。特にこのメーデーのパレードにはソビエト内外にソビエト軍の力を見せつけるデモンストレーションな意味合いもあったために、配備されたばかりの真新しい兵器が行進する事もよくあった。
 1967年のモスクワ軍事パレードでは時節柄(ベトナム戦争がたけなわだった)もあってかいろいろと新型兵器がパレードに登場した年でもあった。後にイスラエル軍に大損害を与えることとなるSA-6"ゲインフル"もこの年の軍事パレードに登場していた。もう1つ、西側諸国に影響を与えた兵器があった。それはBMP-1歩兵戦闘車だった。この歩兵戦闘車は銃眼を備えて、搭乗歩兵は下車しなくても戦闘が行なえるようになっていた。無論これは核戦争下の核汚染された戦場でも戦える事を意味する。また、搭載する兵器も、対戦車ミサイル"サガー"や73mm滑腔砲、機関銃をそなえており、まさに動く要塞だった。また翌年からは西ドイツでもマルダー歩兵戦闘車を就役させるなど、従来のAPC(兵員輸送車)からIFV(歩兵戦闘車)への脱却、一種のアラモードとしてIFVが各国で開発されていった。
 アメリカという国は先見の明というのはあるが、他国の流行には弱い一面がある。実際、アメリカでのIFV開発は1967年には国内のFMC社にアメリカ陸軍が開発指示をしているのだが、結局採用がなされなかった。この車両をXM765と呼ばれているが、これはM113兵員輸送車に25mm機関砲砲塔を乗せて装甲強化された程度でアメリカ陸軍も新鮮味がないと判断したのかもしれない。予断ながら、この車両自体はオランダ軍やベルギー軍が採用している。さて、アメリカ軍はベトナム戦争以降もM113兵員輸送車を使っていたけども、これは必要にして十分な能力を備えていたからだった。速度もこの時点での戦車と一緒に行動するという点では問題なかった。ただ、乗車戦闘という面では劣っていた。銃眼がない上に、M113兵員輸送車に搭載されていたM2重機関銃(12.7mm機関銃)も車長が身を乗り出さないと撃てなかった。つまり、放射能や毒ガス汚染下の戦場では一切の攻撃ができなかった。ベトナム戦争ではそういった状況が発生しなかったため問題とはならなかったけども、ソビエトと戦闘状態に入った場合、こういう状況下に置かれることも想定されたので、そのままでは不味かったのとIFVの流行があったとも思える。
 開発開始時期はわからない。1970年代中頃と考えられる。1978年には完成した。特徴なのは乗車できる兵員を減らした事だけど、これは各国でも同じだった。ようは純粋な兵員輸送車ではなく、車両自身が戦闘力があり、しかもその戦闘力が強力なので、搭載兵員を減らしても問題ないと考えられたのだろう。アメリカ陸軍の歩兵分隊は今では10名だけども、この歩兵戦闘車は乗員を足しても9名になっている。1人分の戦闘力は歩兵戦闘車で十分補える。歩兵戦闘車の悲願だった銃眼は搭乗歩兵6名分すべてに搭載され、これで搭乗歩兵は乗車戦闘が可能になった。この歩兵戦闘車の肝心の武装は25mm機関砲をメインに同軸機銃として7.62mm機関銃と対戦車用にTOWミサイルを搭載している。特にメインで用いられる25mm機関砲の威力は強力で、大抵の他国歩兵戦闘車なら貫通はできる。マルダーの前面装甲は無理かもしれないが。乗車総数は上でも書いたように9名で、操縦手は車体左前に乗車し砲塔に砲手と車長の2名が乗る。下車戦闘員は後部に5名と、操縦手の真後ろに1名が乗る。操縦手の真後ろに1名が乗る理由として、通常なら後部兵員室に6名がのるのが通常だけども、乗車兵員全員が乗車戦闘可能なように、兵員を外側へ外側へと配置した結果といえる。ただ、操縦手の真後ろの兵員は下車が大変そうに思える。後述するけども、ガンポートを廃止した結果、操縦手真後ろの兵員席は砲塔の真後ろに変更された。乗車射撃ができなくなったからだろう。
 1979年に採用されて制式に「M2 IFV"Bradley"」と命名された。1983年頃から部隊配備がなされて、M113兵員輸送車と適宜交代されていった。採用されてからも改良が加えられた。特に中東などでの戦闘で対戦車ミサイルや対戦車ロケットなどのいわゆる熱エネルギー対戦車兵器の被害が少なからずあったのと、あとテロなんかでもRPG-7が用いられるようになりこの種の兵器が普通の歩兵ならずゲリラでも使われ出したせいもあって主な改良点は装甲、特に対戦車ロケットに対する防御が徹底された。1インチ(2.54mm)の装甲板がボルト止めで追加され、リアクティブアーマーが装着可能になった。この結果、ガンポートが使えなくなった。もっとも演習などでガンポートからの射撃はあまり効果的でないと結論つけられたので、使えなくても問題はなくなった。ようは平坦な道を走りながらの射撃ならいいけども、戦場は小さな丘ありくぼみありの所を高速で走るから、振動がすごく走行中の射撃は現実的ではない。はっきりいえばムダ弾である。よって、後部以外の全てのガンポートが廃止された。この改造型はM2A2と呼ばれる。
 1991年の湾岸戦争が初陣で活躍しているものの、どうしてもM1エイブラムズのあの大戦果から比べれば地味といえる。この戦訓からM2A3への改良がなされている。装甲強化もなされているけども、一番の改良は暗視装置やFCSなどの近代的な改良だった。1998年から配備されている。

 M2ブラッドレーは上でも書いたように乗車総数は9名でこれで1個機械化歩兵分隊形成する。うち6名が下車戦闘を行なう。残りの3名は上で書いたように操縦手と砲手と車長が乗る。ただ、車長といっても乗員9名の中で一番エラいというわけではない。9名で一番偉い分隊長は下車の6名の中に含まれる。車長は副分隊長という立場にある。これは下車戦闘員を指揮するのが重要だからだけども、乗車の場合の指揮はどうなるのだろうかと思えてしまうが、副分隊長たる車長が指揮するのだろう。下車部隊の構成は上で書いているように分隊長のほか、対戦車ミサイル兵・これの護衛兵・40mmグレネード兵・分隊支援火器(軽機関銃)銃手・通信兵の6名構成。対戦車ミサイル兵はドラゴンATMを装備し、40mmグレネード兵はM16A2+M203グレネードの兵器を所有、分隊支援火器銃手はM249ミニミ機関銃(5.56mm機関銃)を装備している。ちなみに、分隊支援火器銃手以外は全てM16A2突撃ライフルをを所有している。この装備で下車戦闘を行なう。また、対戦車兵器護衛兵ではなくM60機関銃手(7.62mm機関銃)であるとする資料もある。実際のところ、M2ブラッドレーにたくさん弾が乗っているのだから、ありえる話だけども、突撃ライフルと使用弾薬が違うので実際の下車戦闘では使われないだろう。ただし、M60機関銃は実際にM2ブラッドレーに搭載してあるしこれ用の3脚も搭載されてはいる。そのため防衛戦闘の際、ようは下車して敵を迎え撃つ戦闘には使われていると考えられる。
 M2ブラッドレーは単純に、兵員と兵器を積んでいるのではなく、寝袋や食料は無論のこと、暗視装置や無線機数種類(5種類ぐらい)、陣地構築用の土木工具一式や対戦車地雷なども積んでいる。まさに動く要塞といえる。
 そういえば昔のテレビでアメリカ兵がホームビデオで
「・・・このブラッドレーを視聴者の皆さんにお売りします。中には食料品がたっぷり。車内もこんなに広い。また安全なこの車内には敵も撃退できる兵器も揃っておりますし、防御も完璧です。なぜ商売道具のこのブラッドレーをお売りするかって?。それはこれがなくなれば俺たちは戦場にいかなくてもいいからさぁ〜♪」
って冗談のビデオが放映されていた。まぁ、たしかに鉄砲弾は完全に防げるし、これほど安全な乗り物もないだろう。内部も広い。広いといっても誰も乗っていない状態のことで6人が乗車するとすごく狭くなる。広い理由として、椅子が全て折りたたみ式という理由がある。乗車すると椅子を広げるので狭くなるのは仕方がないだろう。

 M2ブラッドレーの派生型としてM3騎兵戦闘車がある。騎兵といっても馬を装備した部隊ではなく、偵察用の戦闘車である。これは下車戦闘員を乗せない代わりにTOWを余分に乗せて、なんとオフロードバイクまで乗せてある。乗員は操縦手と砲手と車長のほかに偵察員2名を乗せている。

 総生産台数はM2歩兵戦闘車が4500両ちょっと、M3騎兵戦闘車が2800両程度とされるが実際にはよくわからない。


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