M3ハーフトラック

全長:        6.19m
車体長:       6.19m
全幅:        1.96m
全高:        ?.??m
重量:         ??.?t
装甲:         なし
乗員数:        ?名
武装:12.7mm機関銃×1
    7.62mm機関銃×1
動力:150馬力ガソリン
走行性能:最大速度:72km/h
       航続距離:???km
総生産台数:???両
  (2万両以上生産されている)
 「縁の下の力持ち」という言葉がある。ようは、家というのは、内装とか外見とかではなく、縁の下でその家を支えているのが重要という意味なのはよく知られている。アイゼンハワー将軍が第二次大戦の回想で「連合軍を勝利に導いたもの」としてあげたものに「C-47スカイトレイン(輸送機)」「ジープ」といった直接戦闘に関係ないものを挙げていることからも、「縁の下の力持ち」の重要性は大きかったといえる。
 第二次大戦の連合軍・枢軸軍双方の陸の花形といえば機甲師団による快進撃だった。機甲師団といっても、戦車だけ配備されていたというわけではない。当然歩兵もいた。歩兵は名前のように「歩く兵隊」だけども、戦車の進撃に「歩く」ではついていけなかった。そこでトラックによる兵員輸送となるけども、普通のトラックは路上では戦車を追い越してしまい、逆に路外では戦車についていけなかった。だから、今では機甲師団の装備はキャタピラ付きの兵員輸送車なり歩兵戦闘車なりが作られたわけだけだけども、キャタピラ付きだと作るのに金も手間もかかるし、戦闘車両でない車両にキャタピラを装着する必要はないというお偉いさんの頭の中の事情もあったろう。どういう理由かは知らないが、トラックの後輪部分のみをキャタピラにした「ハーフトラック」を登場させて機甲師団に配備した。アメリカのその代表はM3ハーフトラックだった。
 M3ハーフトラックの開発は戦前の1938年には開始されている。しかし当初は偵察目的でハーフトラックを開発していた。たしかに装輪だと路外性能が劣るからハーフトラックにしたのだろうと思えるけども、なぜ、偵察目的ならジープみたいな小型四輪駆動車を充てなかったのかとも思えなくはないが、深い詮索はしない。いろいろ思考錯誤がおこなわれたのち、この偵察車両を兵員輸送車両に改造した派生型も誕生する事になった。当時のアメリカ軍の構想からして、「戦車の進撃に歩兵がついてこれるように」という考えではなく単純に「歩兵の進撃速度を速めるため」という考えだったと思えるが、その時期が時期だけにポーランド戦のドイツ軍機甲師団の活躍を目の当たりにして改造でもしたのだろうか?
 さて、この兵員輸送車型はT8と呼ばれ、1940年9月に正式にM3ハーフトラックとして採用された。余談ながら、偵察目的型は試作名がT14で制式名はM2ハーフトラックだった。このM2は騎兵部隊(ただし、名称のみの騎兵部隊で、実際には軽戦車なりが配備されていた機動化部隊だった)の偵察用や、大砲の牽引車両として使われた。
 話は戻してM3ハーフトラックは主に機甲師団の歩兵部隊の足として活躍した。戦車の進撃についてこれる機械化歩兵としてだった。特に対ドイツ戦ではドイツ軍が近接用対戦車兵器の「パンツァーファウスト」を実戦投入すると単独行動の戦車がやられる事も少なからずあって、戦車の単独行動は戒められた。逆にいえば歩兵が随伴していれば積極的行動がとれたという訳で、アメリカ軍のノルマンディー戦以降の快進撃には航空支援もあったが影ではM3ハーフトラックの活躍があった。
 なお、M3ハーフトラックはソビエトやイギリスにも供与されている。ハーフトラックがなかったソビエトでは特に重宝がられたようで、大砲牽引にこのハーフトラックが用いられている写真を見る事ができる。
 M3ハーフトラックはドイツでいえばSdKfz251に相当する兵器で、仕様用途もだいたい同じだった。M3ハーフトラックはトラックの後輪(2つ)部分をそのままキャラピラに換えているため(多少は延長はしているが)、トラックの生産設備を流用して生産できる利点があったけども、キャタピラ面がSdKfz251に比べると半分ぐらいしかないので、路外性能では劣るというのが俗説だけども、SdKfz251は前輪はただの方向転換の車輪だったのに比べ、M3ハーフトラックは前輪も駆動した。また、馬力もSdKfz251は100馬力なのに対してM3ハーフトラックは150馬力と1.5倍もあったから、単純に「路外性能が劣る」とは言い切れない。しかし、M3ハーフトラックはその構造上「前輪よりも広い溝」があったらその時点で通行不能になるので、そういう意味では「路外性能が劣る」といわれるのは仕方がないだろう。
 第二次大戦であれだけ活躍したのに「中途半端」な事もあってハーフトラックは今では絶滅状態にある。その意味では不幸な兵器でもあったといえる。


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