M3軽戦車"スチュアート"

全長:        4.57m
車体長:       4.57m
全幅:        2.21m
全高:        2.31m
重量:          13t
装甲:      15〜44mm
乗員数:        4名
武装:50口径37mm砲×1
    7.62mm機関銃×5
動力:コンチネンタル
    W670-9A
    250馬力ガソリン機関
走行性能:最大速度:59km/h
       航続距離:135km
総生産台数:13859両
 俗称は厳密には”スチュアート”ではない。しかし、後述するが日本では”スチュアート”と一般的に呼ばれている。
 1940年までのアメリカの軽戦車はM2軽戦車だった。これは主砲が50口径37mm砲を搭載しており1000mならばドイツ・日本のいかなる戦車をも撃破できた。ただ、M2軽戦車は装甲が最大で25mm、薄い所は6mmだった。軽戦車にしてみればとりたてて薄いとは思えないのだが、1940年のドイツのフランス侵攻時に装甲の厚い戦車が有効な事が分かり、軽戦車にもより装甲の厚さが要求されるようになった。
 M2軽戦車に不満があった訳ではないので、後にM3軽戦車と呼ばれる新型軽戦車の開発はM2軽戦車の装甲強化版という意味合いで行われた。装甲を厚くしたので無論重量は増えた。2t増えたため、接地面に不安があり、誘導輪を接地式にした。M2軽戦車とM3軽戦車の大きな違いはここにある。ただ、あとはほぼ同じだった。リベット結合の装甲はそのままだったのである。軽戦車としては十分以上な性能だったけども、当然ながら戦車相手には分が悪かった。アメリカ軍だけでなく、イギリス軍や自由フランス(ド・ゴール政権)やソビエト軍でも使われた。中国軍にも配備されたという。そのためユーロ戦線(東部戦線・西部戦線・アフリカ戦線)のほぼ全てに投入されているものの、既に軽戦車は過去の物となっており、もはや100mmの装甲をもってしても撃ちぬかれるようになると、活躍の場はどうしても対歩兵戦や偵察任務に限られており、投入数のワリには華々しい戦果がない。しかし唯一華々しい戦果を誇ったのは対日本戦だった。イギリス名"スチュアート"は日本相手に活躍したのである。
 1941年12月8日午前1時50分(東京時間)。日本陸軍はイギリス領マレー半島コタバルに奇襲上陸を開始し、太平洋戦争は幕をあけた。やがて、ビルマ(現、ミャンマー)にも侵攻を開始し、イギリス軍を蹴散らした。しかし最強の敵が現れた。M3スチュアートである。ただの軽戦車だが、その装甲の厚さは日本軍を悩ませた。1942年3月5日に95式軽戦車はM3スチュアート戦車隊と遭遇。精鋭95式軽戦車砲手は百発百中の命中率を誇ったものの、当てても当てても弾き返された。「そんな!」と思うヒマもなく、M3スチュアート軽戦車の37mm砲は95式軽戦車を食っていった。次の相手は日本の独立速射砲中隊だった。94式速射砲を装備する日本でも最精鋭で強力な部隊だった。ノモンハンでも何十両もの戦車を撃破した実績もあった。しかしそれでもM3スチュアートの正面装甲を貫く事はできなかった。やがて、M3スチュアートはこの独立速射砲中隊も食っていく・・・。
 日本軍にとって幸いだったのは、このビルマ戦線自体が日本側のペースだったのと制空権を握っていたので、この恐れられたM3スチュアートをもってしても、進撃を食い止める事ができず、逆に何両かが捕獲された。フィリピン戦線でも数両が捕獲され、これは射撃実験に使われたものの、結果は散々たるものだった。95式軽戦車の37mm戦車砲は全く相手にならず、97式中戦車の18口径57mm砲でも逆に砲弾が割れたという。側面に食らわせても全く相手にならず、10発以上食らわせてやっとで、リベット結合の装甲板が歪んで割れたという。救いは、4月になって到着した47口径47mm砲搭載の97式中戦車改を射撃試験したら1000mの距離で一発で貫通できたことで、これは現場の人間はもとより戦車兵も多いに喜んだ。ただ、中戦車が軽戦車に勝っても当然だと思えなくはないが、それが現実だったのだ。
 ビルマ戦線では最後の追い込み時の1942年4月27日に戦車第1連隊の第4中隊(97式中戦車装備)がM3スチュアート隊に遭遇。日本側は貫通不可能なのは知っていたので、近距離で待ち伏せで応戦。弾種も徹甲弾では相手にならないから榴弾でなんとか撃破しようというものだった。作戦自体は成功した。150mの距離で57mm榴弾を浴びせ掛けた。百発百中の日本戦車隊の榴弾は次々に命中し、さしもM3スチュアートも熱で炎上した。情けない戦法ではあるが、そうでもしないと撃破できなかったのである。しかし日本側の巧妙な偽装と作戦と命中精度も誉めるべきだろう。
 M3スチュアートは日本側に鹵獲されて射撃実験に回されなかったものは実戦部隊に配備された。軽戦車だけど、装甲は厚いので引きうけた部隊では歓迎で迎えられ、つねに戦闘を走らせたという。その数6両。ビルマからイギリス軍を蹴散らしてもそのまま第一線に配備されていたものの、1両がエンジン火災で失われたが、ほかの5両はどういう運命を辿ったかは不明。少なくともイギリス反攻時には全てが失われていたと考えられる。所詮は捕獲品で部品の補給がないからである。
 イギリス名”スチュアート”が日本で定着した理由はここにあると言っても過言ではないだろう。では、原産国アメリカでの俗称はなんだったのだろうかしら?


 スチュアートは上でも書いたように、後部誘導輪が接地輪になっている。あと、アメリカ的な点として、機関銃がやたらと多い。車体真ん中らへんに1丁。車体左右正面に1丁づつ。主砲同軸1丁。砲塔上に戦車長用1丁(対空用?)の構成だけど、なんで乗員よりも多いのかが不明(^^;)。なんか、バカスカ撃ちまくるのが好きな国なんだなぁと思える。ただ、砲塔上の機関銃は装備されていない車輌もある。
 あと、スチュアートのバリエーションですが、M3A2が溶接車体(生産ラインに乗らなかった)でM3A3が普通にスチュアートと呼ばれる車体ですが、M3A1とかも含めて、俺っちの勉強不足でよくわかんないんです(;_;)。ごめんちゃい(;_;)


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