M48パットンV

全長:        8.44m
車体長:       6.70m
全幅:        3.63m
全高:        3.24m
重量:         44.9t
装甲:   25.4〜127mm
乗員数:        4名
武装:90mm砲×1
    12.7mm機関銃×1
    7.62mm機関銃×1
動力:空冷810馬力ガソリン
走行性能:最大速度:42km/h
       航続距離:113km
総生産台数:11700両以上
 とある日。バイオリンの名人とそのお供が街を歩いていた。歩いていると、どこからともなくバイオリンの音色が聞こえてきた。名人はお供に「このバイオリンを止めてみせよう」といい自分のバイオリンを出させて見事な音色を奏でた。そのバイオリンの音はぴたりととまった。数日後、2人は街を歩いているとまたバイオリンの音色が聞こえてきた。今度はこの前とは違う人のようだ。お供はその名人に「この前のように止めてくださいよ」と言ってみた。その名人は耳を傾けてそのバイオリンの音を聞いてみて、首を横に振って言った。

「これは止まらない」

 ようは、ヘタには上手がわからないという逸話ではあるが、独り善がりには正論は分からないとも取れる。冷戦時代のアメリカ・ソビエトの軍拡競争はまさに「これは止まらない」だった。

 1950年に朝鮮戦争が始まると、これが第3次世界大戦に発展すると危惧したアメリカは新型戦車の開発をとにかく急がせた。この時開発されたのがM47戦車だった。結局朝鮮戦争には間に合わなかった。ただ、なぜかすぐに、このM48戦車が開発され1953年から配備されたためM47戦車の方はすぐさま海外輸出向けになった。なぜM48戦車がM47戦車の後継ですぐさま作られたかというとM47戦車はFCSの配置の関係上、大砲の射撃で狂いが生じやすくこれの改修が必要だったのと、元が第二次大戦期の戦車であったため、防御力向上に限界があったからで、既製品をそのまま改良して使っていけるほど敵戦車能力向上は待ってくれなかったという事情があった。
 M48戦車はM47戦車と比較してみると、砲塔が大型化しM47戦車の特徴だった、砲塔が前にきている感じがない。たとえていうなら、M47戦車がT-34戦車でM48戦車がT-55みたいな感じと思えばいい。あとの外見上の特徴としては、大砲の前部の砲口制退機(マズルブレーキ)で、よく見かけられるタイプと違って、昔の学校のストーブのエントツみたいにT型になっている。この理由は煙を横に吹き出させて射撃後の観測を容易にするためだけども、後にエバキュレーターが常識になると、装備はされなくなった。日本の61戦車と共に珍しいマズルブレーキを搭載した戦車だといえる。ただ、ソビエト戦車は100mm砲搭載のT-55戦車を採用したため後に105mm砲に変えられて、最終型のM48A5からは生産段階で105mm砲を搭載した。
 車体と砲塔は鋳造でこれは生産性の向上のためと思われる。装甲は最大でも5インチで今から見れば薄い方だけども、当時にしてみれば充分な装甲だった。当時の敵戦車は85mm砲搭載で、真正面から受けたなら1000mの距離だったら弾き返せた。ただ、すぐにソビエトは100mm砲を搭載してきたので、このアドバンテージはひっくり返った。搭載エンジンは当初はガソリンエンジンで、これは燃費がいいとは言えず、A2型ではガソリン直噴エンジンになり行動力が伸びた。これでも、行動力不足だったからか、M48A3型からは750馬力ディーゼルエンジンになり、行動力は463kmに伸びたけども、馬力は落ちたから速度が下がったと思われるが、データ上ではむしろ上がっている。これの真実はわからない。
 照準装置は当初はステレオ照準装置だったようは、照準眼が砲塔の左右にあって、目標との距離を分かりやすくするようになっていたけども、錯雑な地形では狙いにくいという欠点があるという理由でM48A3からは単眼式になった。またM48A3あたりから射撃コンピューターが搭載されたため、単眼式でも充分に命中精度は稼げると判断したからかもしれない。この主砲用にスタビライザー(走行射撃用の安定装置)がなく、この点は敵のT-55戦車に劣っていた。また、夜間射撃用に肉眼では見えない、赤外線を照射できる、赤外線投光器もM48A3あたりから搭載され、これで夜間での戦闘もできるようになった。ただ、ソビエト戦車もこの装置は搭載されていたため、実際に戦った場合は、使用されなかった可能性もある。ようは敵が同じ装備を持っていた場合、赤外線を照射した直後にそこに撃たれてしまうからで、今では赤外線照射装置は過去のものになりつつあり、今ではスターライトスコープみたいな暗視装置が搭載されている。
 M48戦車は生産数は1万両を超えて、アメリカ本国ではM60戦車の配備まで主力だった。また、海外にも多数輸出され、今でも使用されている所もある(台湾など)。M48戦車が実際に戦車戦の戦場に投入された所は中東で、特にイスラエルとヨルダンの戦闘では、両国にM48戦車が輸出されていたせいもあり同じM48戦車同士の撃ち合いという悲劇もあった。アメリカ軍でのM48戦車の戦闘体験は、ベトナム戦争で海兵隊がM48戦車(M48A3)が使用した事で、ベトナムのジャングルでは戦車は役に立たないなどと陰口を言われたものの、ベトナムでも戦闘を経験するうちにベトナムでも戦車が行動できる事が証明された。また、南ベトナム軍でも使用したと考えられ、北ベトナム軍のT-55戦車と激しい戦車戦を展開したと考えられるけども、詳細は知らないです(;_;)。
 ともあれ、このアメリカ軍のM48戦車の投入は戦果よりも実績での功績を残した点が多大だったとも思える。


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