全長: 5.89m 車体長: 5.89m 全幅: 2.62m 全高: 3.12m 重量: 31.0t 装甲: 12.7〜76.2mm 乗員数: 5名 |
武装:40口径75mm砲×1 7.62mm機関銃×4 動力:フォードGAA 450馬力液冷ガソリン 走行性能:最大速度:39km/h 航続距離:???km 総生産台数:49234両 (上記データはM4A3のものです) |
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1941年頃の世界情勢はかなり逼迫していた。ユーロを見ると、ドイツは西ヨーロッパの大半を制圧していた。日本も中国との泥沼の戦いを行っていた。ただ、アメリカ大陸では平和そのものだった。とはいえ、1941年の3月にはアメリカで武器貸与法成立。同年5月には国家非常事態がアメリカで宣言されていた。当時のアメリカの主力戦車はM3リー中戦車でこれは75mm砲を搭載していたものの、車体に半固定式に搭載されていたため、これはアメリカ軍部でも応急品というのは認めていた。そのためM3リーの設計終了直後に後にM4シャーマンと呼ばれる戦車の開発は開始された。時に1941年4月。ただ、試作車両T6が完成したのが同年9月という超スピードぶりだった。しかも同年10月にはM4中戦車として採用されて、生産ラインもM3リーのをすべてM4に切り替えるといった手際のよさだった。開発中の6月にはドイツはソビエト領内に攻め込んだり、アジアでも翌7月には日本が仏印(ベトナム)に進駐するなど、アメリカとしても無視できない国際情勢の変化が背景にあったためだろう。ただ、生産は急ピッチでは進まなかった。あくまでアメリカは戦争を行っておらず、国民世論もそれを支持していなかったためだった。ただし、その世論もある事件をきっかけに180°変化してしまう。 真珠湾・・・ 1941年12月7日午前7時49分(ハワイ時間)。日本海軍空母機動部隊はオワフ島にあるアメリカ海軍基地を奇襲攻撃。ここにアメリカ国内世論は戦争一色に傾いた。しかも4日後の11日にはドイツ・イタリアがアメリカに宣戦布告。ここにすべては決定した。すべての兵器の増産が決定し、その設備も急速に整えられた。M4シャーマン戦車の生産設備も急速に整備され、翌年1942年1月から、月産2000両を目標に大量生産を行った。M4中戦車シリーズは生産メーカーが実に11社に及んだせいもあり、各社で微妙な変化が生じている。そのためか型式も多くM4からM4A6までの種類があり、あと主砲も75mm砲だけでなく、76.2mm砲搭載タイプもあった。補給に困らなかったのだろうか?。形状は新規製作とはいえ、M3リーと車体形状はあまり変わらない。まぁ、75mm砲が回転砲塔にくっついたという程度だろう。懸架装置もM3リーと同一で垂直ボリュート・スプリング式を採用している。砲塔は鋳造式で、これは同じ重さの平板溶接構造砲塔と比較した場合防御力が劣るという欠点があった。また生産設備がおおがかりになる。もっとも量産性に優れているという利点もあり、工業力が世界一のアメリカはとにかく量産につぐ量産を重ねていった。一部には車体にも鋳造のM4シャーマン戦車もある。M3と同一といえば航空機用エンジンを採用している点もで(航空機用エンジンを採用していない種類もある。詳しくは下項)これは前長が短くなるという点を除けば欠点が多く、特にエンジンシャフトがエンジンのど真ん中にくるので、前輪機動輪式だった当時の戦車では余計に全高が高くなってしまった。そのためドイツの主力戦車(4号戦車やパンター戦車など)に比べると、全高が高くなっており、3mを越している。全長が短いせいもあって、余計に高く見える。戦術面では大きなマイナスであるが、特に改善される事はなかった。 M4シャーマン戦車は1942年9月からイギリス軍に引き渡されて北アフリカ戦線で使用されたのを最初として、各戦線で使用された。アメリカやイギリス軍だけでなく、ソビエト軍や自由フランス軍にも送られた。ソビエト軍にはT-34という傑作戦車があったけども、それなりにつかわれていたそうで、この戦車の乗員で戦功を挙げて勲章をもらった兵士もいたけども、SU-152とかJS-2とか強力なソビエト戦闘車両群からすればあまりパッとしない存在とも思える。 いろいろな種類については下項に譲るとして、アメリカ軍で一番使用されたのはM4A3中戦車だった。4番目の改修型なのでシャーマン4と呼ばれるが、ややこしいのでここでは「M4シャーマン戦車」で統一したい。このM4シャーマン戦車はアメリカ軍では北アフリカ戦線で最初に使用され、アメリカ軍のいる戦場の多くで使用された。対ドイツ戦では特に1944年6月のノルマンディー上陸作戦以降は大量に使用された。ドイツ軍の4号戦車相手には互角の戦いができたけども、新型のパンター戦車やティーガー1重戦車相手には分が悪かった。なにせこっちは500m以内に接近しないと撃破できないのに向うは2000m離れててもこっちはやられてしまうから、苦戦どころの問題ではなかった。よく「数で押し切った」と書かれているが、戦場で戦う戦車兵には我彼の数量など問題ではない。生き残るためには強力な戦車が自分たちには必要だったのだ。砲の威力の問題は側面や後ろを狙えばまだなんとかなったし、新型の52口径76mm砲搭載でまだなんとかなったけども、防御力の低さはいかんともしがたかった。そのためT11と呼ばれる追加装甲型砲塔が戦場に送られ、側面用の1.5インチ厚(38.1mm)の鉄板も到着し、現地で改修される手段もとられた。このT110砲塔は7インチ(180mm弱)の装甲厚で、パンター戦車の70口径75mm砲弾を1000mの距離から受けても耐えられた。ただ、この改修は一部の戦車にしかなされず、順番が回ってこなかった戦車部隊では、前面にコンクリートを塗りつけたり、ラックを設けてサンドバックを周囲に配置するという手段もとっていた。この改修は費用が安く、またパンツァーファウストなどの熱エネルギー対戦車兵器には有効であったと考えられる。また、それでも不充分な場合は撃破された敵戦車の装甲を切り取って貼り付けた部隊もあったという。こういう改修はかなり防御力向上には役立ったものの、エンジン出力はそのままなので、当然ながら機動力は落ちた。そのため機動力を重視する指揮官の部隊ではこういう改修を禁止していた。ともあれ、こういった改修を行ってもティーガー2重戦車は無論の事、パンター戦車にもサシで戦うには分が悪かった。ただ、数はドイツ側が圧倒的に劣っていたし、だいいち戦車部隊のすべてがティーガーやパンター戦車を配備していたわけでもなかった。4号戦車に比べればM4シャーマン戦車は優れていたし、航空機による支援も連合軍側が圧倒的に優れていた。よく「数にものを言わせ・・・」と書かれているが、たしかにそうだったろうけども、そう言った論評にはこういった空地の相互支援といった立体的な戦術を評価していないし、M4シャーマン戦車の戦車兵の努力は完全に無視されている点でも、評価が正当になされていないとも思えるのだがどうだろうか?。 また、M4シャーマン戦車は整備兵にも十分な教育を施し整備をマニュアル化し、部品供給も十分に行っていたから稼働率は非常に高かった。故障続きで悩んだドイツとは好対照だといえる。こういった総合的な面を見てもM4シャーマン戦車は優れていたと評価すべきだろう。戦車とは走れてナンボ。動けない戦車などただの装甲板付き固定砲にすぎないのだから。 ただ、ドイツ軍戦車に性能で劣っていたのは事実だったものの、なんとかエルベ川まで到達に成功。ここにヨーロッパ戦線の戦闘は終わった。 しかし、対ドイツでは苦戦したM4シャーマン戦車だったものの、対日戦では無敵に近い存在だった。76.2mmの装甲を撃ちぬける日本の戦車はなく、存在自体が、日本軍にとって死神同然だった。それでも、甘くみていたアメリカ戦車隊は日本戦車部隊からの弱点攻撃(丘陵を超えるときに戦車は下腹を出すのでそこを狙ったり、大砲やペリスコープを大砲で文字通り狙撃する)に結構な損害を出している。ただ、戦車優位は完全にアメリカのものでこのアドバンテージが逆転する事はついになかった。太平洋戦線のM4シャーマン戦車にとっての強敵はむしろ日本軍歩兵で、砲塔によじ登って手榴弾を投げ込まれる事もまれにあった。そのためか、M4シャーマン戦車は大砲の弾に散弾を用意して、それで日本兵が密着した自軍の戦車同士を撃ち合って歩兵を排除していたと言われている。ともあれ、一部を除けば日本軍戦闘車両は取るに足らない相手だった。江戸の仇を長崎で討つのではなく、ヨーロッパの仇を太平洋で討ったということだろうか? 戦後まもなくして、戦争中の1944年に登場した改良型M4A3E8型、通称イージーエイトと呼ばれた型が登場していたものの、詳しくは下に譲るとして、これに戦後になって改修された車両が少なからずあった。この車両は1950年に発生した朝鮮戦争でも敵のT-34/85戦車と互角に戦ったといわれる。ただ、我彼の戦車技量の差もあったともいえなくはない。 しかしながら、この戦いを境にM4シャーマン戦車はアメリカ戦車隊から姿を消す。さらにしかしながらというべきか5万両近くも生産されたこの戦車は、いくら戦闘消耗が激しかったとはいえ大量の数が残っており、その後は他の国に安価もしくはタダで提供され、一部は長い間、第一線にあった。イスラエル軍で使われたM4シャーマン戦車は61.5口径75mm砲や、なんと長砲身の105mm砲まで搭載してまでシリア軍と死闘を演じていた。これはM4シャーマン戦車の拡張性がよかったのではなく、単にイスラエル軍の戦車整備能力が異様に高かっただけだろう。 すべての型を合わせた生産数は49234両(諸説ある)と世界一の生産数を誇っており、現存している車両も多く、映画や各国の軍事博物館で頻繁に見る事ができる。 M4シャーマン戦車のバリエーション M4(シャーマン1): ややこしいが、下のM4A1よりも半年後れて量産に入った車両。砲塔は鋳造だけども、車体は溶接構造になっている。8389両が生産され、うち6748両は75mm砲搭載型だったけども、その他は105mm砲を搭載していた。 M4A1(シャーマン2): M4シャーマン戦車で最初に量産された型。砲塔は無論鋳造だけども、車体も鋳造でできている。そのため丸みがある。車体すべて鋳造でできたM4シャーマン戦車はこれしかないので、識別は比較的容易である。9677両が生産され、4割弱がイギリスに供与されたという。 M4A2(シャーマン3): 外見は基本的にM4と同じだけども、エンジンがディーゼルエンジンになっている。これは燃費を考慮したのではなく、搭載するエンジンが航空機用に優先されたため。もともとが全長が短い車体なので、戦闘室にエンジンがはみ出てしまっている。また、車体に固定機関銃を2丁つけているのも特徴的だった。ただ、砲身の同軸ならまだしも、車体に固定してもしょうがないと設計段階で気づけと思うのだが、当然ながら生産途中ですぐ廃止された。生産数は11283両とかなり多かったものの、生産された車両の大半はイギリス・ソビエトに送られた。8053両が75mm砲搭載型で残りは76.2mm砲を搭載して完成した。後者はソビエト用なのだろうか? M4A3(シャーマン4): シャーマンシリーズで最多の13963両が生産された。この型は戦争中に他国に供給されたものはわずかでほとんどがアメリカ軍で使用されている。生産された数のうち5015両が75mm砲搭載型で3370両が76.2mm砲搭載型、3039両が105mm砲を搭載していた。M4型とほとんど外見の差はなく、違っているのはエンジンがフォードGAAの450馬力のエンジンに変わっているのが大きな特徴。また、前期生産型と後期生産型では車体形状が異なっている。後期生産型では車体前面に出っ張りがなくなって少しばかり防御力が向上している。普通に我々が「M4シャーマン戦車」といえばこれを指す。なお総生産台数には下で述べるM4A3E2「ジャンボ」の254両とM4A3E8「イージーエイト」の2539両が含まれているので注意。 M4A3E2(ジャンボ): 歩兵支援用としてM4A3をベースに開発された。速度を遅くしてでも装甲を強化したタイプで砲塔前面は6インチ(152mm)で車体前面でも4インチ(101.6mm)という重厚な戦車となった。そのためもともとが31tだったのが38tとかなり重くなってしまった。搭載する大砲は76.2mm砲と75mm砲が選択肢にあったけども榴弾威力が75mm砲が大きいという理由でこっちに決まった。なんで105mm砲にしなかったのかとも思えるが深い詮索はしない。上で書いたように254両が生産された。 余談ながら、「ジャンボ」という名前は「大きい」とかいう意味で使われるけども、もともとは英語の単語ではなく、20世紀初期にアメリカにつれてこられた象の名前に「ジャンボ」という名前のがいて、そこから、デカい=ジャンボ、という意味となった。 M4A3E8(イージーエイト): M4A3シリーズの決定版といえる戦車で、主砲は55.1口径76.2mm砲を搭載していた。また、転輪も新型がついていた。ただし、装甲はそのままなので、ドイツ軍の4号戦車までなら優勢だったけども、パンター戦車やティーガー戦車と渡り合うには防御力不足だった。そのため現地での防御力向上がなされる事となっている。ともあれ、優秀な戦車には違いがなく、戦後もしばらくはアメリカ軍の主力中戦車として活躍し、朝鮮戦争ではT-34/85と互角の戦いを演じた。総生産数は上で書いたように2539両が生産された。この他に既存のM4A3をこのイージーエイトに改修を行っている。その数は1172両。 M4A4(シャーマン5): 星型エンジンではなく、クライスラー社のA57エンジンを搭載するため車体を長くした型。生産された大半はイギリスに供給された。 M4A6(シャーマン7): M4A4のバリエーション。違いは、車体前面が鋳造になっているというのが大きな点。ただし、クライスラー社のエンジンからフォード社のエンジンに統一するのが決定したので、生産数は75両でしかなかった。 シャーマン・ファイアフライ: イギリスに供与されたM4シャーマン戦車にイギリス軍で使用していた17ポンド砲(長砲身の76.2mm砲)を搭載した型。改造元のはM4A1とM4A4の2つがあるけども、呼び分けはせずに両方とも「ファイアフライ」と呼んでいた。攻撃力に限っていえば、ドイツ軍のパンター戦車とも互角に渡り合えたため、ドイツ軍でもこの戦車には警戒していた。 M50(アイ・シャーマン): 第二次世界大戦後に建国されたイスラエルは四方を敵に囲まれた。そのため、何がなんでも戦車を求めたので、中古や分捕り品のM4シャーマン戦車を多く保有していた。ただ、そのままでは最新鋭のソビエト戦車を有するアラブ諸国には勝てる筈がなかったので、M4シャーマン戦車にフランス製の長砲身の75mm砲を搭載した型がM50アイ・シャーマン。T-54/55クラスなら撃破が可能だったというが、防御力はそのままなので、苦しい戦いだったろうけども、損害以上の戦果は上げている。ただ、多くは訓練用に使われていたらしい。 M51(スーパーシャーマン): 上のアイ・シャーマンでは敵戦車に力不足なので、限界以上ともいえる51口径105mm砲をM4シャーマン戦車に乗せた型がこれ。さすがに重量配分が崩れたので、砲塔後ろに出っ張りを設けている。これは同時に弾薬庫ともなっている。第二次世界大戦でM4シャーマン戦車の次に多く生産されたT-34でさえ85mm砲搭載が限度だった事を考えれば、M4シャーマン戦車の拡張性云々よりも、イスラエル軍の戦車再生能力は世界一だと誉めるべきだろう。攻撃力に限っていえば、当時のイスラエルの主力戦車に匹敵するもので、アラブ軍のT-62戦車にも相当有効だった。ただ、間に合わせ的な戦車ではあった。 その他にも、工作車両としてもたくさんの型式がありますが、今回は割愛させていただきます |