M7自走榴弾砲"プリースト"

全長:        6.02m
車体長:       6.02m
全幅:        2.87m
全高:        2.95m
重量:          23t
装甲:    全周12.7mm
乗員数:        7名
武装:22.5口径
     105mm榴弾砲×1
     (69発搭載)
    12.7mm機関銃×1
動力:???
走行性能:最大速度:39km/h
       航続距離:193km
総生産台数:4267両
 制式名称は”M7HMC”という(HMC=Howitzer Motor Carriage)。Priest(牧師)というのは下で詳しく説明するけども、俗称である。
 アメリカ陸軍がこの自走砲の開発を指示したのは1941年11月の頃で、この頃の時代背景といえば、日本軍による真珠湾奇襲攻撃の1ヶ月前で、ヨーロッパに目を向ければ、前月にドイツ軍はティフーン(台風)作戦を開始し、モスクワ陥落も時間の問題だとされた頃だった。アメリカ軍も1940年頃からドイツの装甲師団(機甲師団)の運用に関心を寄せていた面があり、そのために、機械牽引の榴弾砲を自走化して機械化兵力の機動に追従できるようにとこの自走砲の開発を指示したと考えられるけども、実際の所この開発の目的はよく分からない。すでに生産中止が決定していたM3リー中戦車の車体流用を指示していたので生産ラインの廃物利用でも意図していたのだろうか?
 開発要求としては上で書いたように、M3中戦車の車体を利用して、105mm榴弾砲を搭載した車両という事だった。105mm砲弾は弾だけでも11kg程度あったので狭いと操作が難しいためか、オープントップにした。開発終了後早速試験が行われたが、試験結果は概ね良好であったものの、対空兵器がない事だけが懸念された。やはり、戦線後方からの砲撃でも、いや、戦線後方からの攻撃だからこそ敵は航空機でつぶしにかかるだろうと判断したのだろう。結果的に、戦闘室前方右に対空機銃座がつけられた。
 既存の車体と大砲を流用したためか制式化は早く、1942年4月には「M7HMC」として採用された。アメリカはすでに日本・ドイツと交戦状態にあったものの、まだ本格的陸上戦はアメリカは行われておらず、取り急ぎ武器貸与法に基づいてイギリスに供与された。初陣は早くも1942年11月のエル・アライメンの戦いで実戦を経験している。なお、イギリス軍には25ポンド砲を自走砲化した”ビショップ”という自走砲があったものの、前線の兵士たちからは、M7プリーストが好まれた。理由はビショップは全周装甲で覆われていたものの、これがアダとなって、仰角が4°しかあげられず、そのために最大射程も5800mと山砲よりも射程は劣った(プリーストの最大射程は11160m)。無論、25ポンド砲(88mm砲)よりも105mm砲のほうが威力があるという理由もあったろう。ちなみに、供与されたイギリス軍の兵士は、対空機関銃銃座が教会の説教台に似ているという理由で、誰となく「プリースト」と呼ばれるようになった。ある意味ユーモア好きなジョンブルの習性といえようか。ちなみに、イギリス軍では105mm砲弾を生産しておらず、いくらアメさんが無尽蔵に供給してくれるとはいえ、補給面では不利だった。そのため、イギリス軍ではラム戦車(カナダのM4シャーマンみたいな戦車)を改造し、25ポンド砲を搭載した自走砲を開発、配備した。この車両はM7プリーストの後継として適宜交代していったものの、この車両は「セクストン(坊主)」と名づけられた。ある意味M7プリーストを慕っての俗称だったのだろうか?。ちなみに、余剰になったM7プリーストは多くが大砲を取り除かれて兵員輸送車となった。ちなみにこの車両を「カンガルー」とイギリス兵は名付けた。アメリカを離れて何百里。まさかこんな使い方をされるとは思ってもみなかったろう。
 さて、アメリカ軍でも当然使用された。機甲師団の自走砲大隊に配備されていた。支援火器であるため、戦果というのもあまり聞かない。生産は1944年10月には一旦打ち切られ、M4A3シャーマンの車体に鞍替えして生産が始まってこれは終戦直前の1945年7月まで生産は続いた。これを見ても、それなりに戦果があり、需要があったと考えられるのが適当だろう。生産が打ち切られた理由は恐らく対ドイツ戦の終了だろうと考えられる。対日本戦は島嶼(とうしょ)戦なので自走砲はそれほど必要ではないと判断したのだと考えられる。余談ながら、M4A3シャーマンの車体を利用したM7ブリーストはM7B1と呼ばれていた。
 

  M7プリーストのバリエーション

 T32:
 M7プリーストの試作型の名称。

 M7初期型:
 初期生産型。上で書いたように初期の頃には対空機銃座がなかったが、テストで指摘されて付けられた。あと、仰角があまりとれず、射程にも影響が出ていたものの、改善されるのはずっと後の事だった

 M7後期型:
 制式名称は上のM7初期型と同じ「M7HMC」違いは車体をM3リーからM4シャーマン(M4の初期型のやつ)に変えた。後期型はどちらかというと下で述べるM7B1に似ている。ただし、車体後部の形状がM7B1と若干異なっているので、識別はできない事はない。

 M7B1:
 本文にあるように、車体をM4A3をベースにした型。エンジンが変わっているので、速度などが上がったと考えられるが、詳しいデータがないです(涙)

 M7B2:
 些細な弱点だった、"仰角があまり上げられない"のを改善した型。大砲の配置位置を高くして、仰角65°まで上げられるようにした。生産数は122両とさほど多くはなかった

 カンガルー:
 「カンガルー」というのは俗称。制式名は不明。イギリス軍に供給されていたM7プリースト(M7B1含む)の大砲を撤去して兵員輸送車にした型。102両が改造された。兵員なら20名が乗れた。天井がなく、雨が降ったら当然ズブ濡れだけども、歩くよりはマシである。


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