M8装甲車"グレイハウンド"

全長:        5.49m
車体長:       5.49m
全幅:        2.69m
全高:        ?.??m
重量:         7.71t
装甲:      最大19mm
乗員数:        3名
武装:50口径37mm砲×1
     (80発搭載)
    12.7mm機関銃×1
    7.62mm機関銃×1
動力:6気筒ヘラクレス
    110馬力ガソリン機関
走行性能:最大速度:88km/h
       航続距離:560km
総生産台数:8523両
 いつの時代でもそうだが、偵察行動が軍の基本でなおかつ重要な行動だった。一部の例外を除いて先に発見できたものが勝つというのが戦いの基本なので、偵察行動が軍の存亡を左右したと言える。その任務は斥候が行なうが、軍の機械化が進むと軽快な装甲車が行なう事も多くなった。求められたのはとにかく機動性。あとは最低限の自衛用の武器だった。偵察行動をやっていて、強力な敵に遭遇して不幸にも発見されてしまったら、1発カマして逃げて逃げて逃げまくる!そんな能力が求められた。
 後に「M8 Armoured Car"Greyhound"」と命名されるこの装甲車の開発が開始されたのは1941年の末だった。ただ、開発要請がなされたのは機甲師団ではなく戦車駆逐部隊だった。戦車駆逐部隊とは軍および軍団レベルで運用される部隊で、ようは戦闘中に不意に戦車が現れた場合にすぐに掛けつけて敵戦車を駆逐するのが任務だった。早い話が昔の西部劇の「騎兵隊」のようなものだった。戦車駆逐部隊用車両でとにかく求められたのが機動力で次に攻撃力だった。そのしわ寄せは例外なく装甲にいった。さて、完成した車体はT22E2と仮に呼ばれた。これは最高速度88km/hで走る事ができる当時としては驚異的な速度だった。ようは「ヒットエンドラン」ならぬ「ランアンドヒット」的性格の車両だったといえる。ただ、搭載していたM6 37mm砲は、この口径の対戦車砲にしては世界最高レベルの貫通力を誇ったとはいえこの当時にしても非力になりつつあった。1942年6月に制式採用がなされたけども、至極当然というか対戦車戦闘任務で使われる事はまずなかった。
 ただ、装甲車としての性能は文句はなかった。鋳造砲塔は最大19mmの装甲があり無論、戦車砲の直撃には耐えられないが、銃弾ならば確実に防げた。武装も50口径37mm砲搭載で同軸機銃に7.62mm機関銃を搭載し、ブローニングM2重機関銃(12.7mm機関銃)を砲塔上に搭載した。一説にはこのM2重機関銃は元々は標準搭載ではなく、現地で付けられ出したとも言われている。主砲の37mm砲ほ本国の試験では500ヤードで53mmの装甲を撃ちぬき、2000ヤードでは33mmの装甲を撃ちぬいた。戦車を撃破するのは難しいが偵察任務の装甲車にすれば十分過ぎるほどの武装といえた。また、走行性能もリーフスプリングのサスペンション(ようは今のトラックと同じサスペンション)に6輪駆動の車輪でこれを110馬力のエンジンで引っ張った、道路でも道路外でも軽快に走行した。オープントップの砲塔は偵察任務を容易にしたといえる。たしかに偵察用装甲車としては十分すぎる性能だった。この軽快さを利用して戦線と司令部間などの連絡用車両としても使われたし、警備用車両としても使われた。
 偵察用車両のため戦果というのはあまりない。「重要な情報をもたらした」という多大なる戦果があるのだけど、それが数字で現れないのは残念といえる。しかし大金星の戦果はあった。それは1944年12月15日。ドイツ軍は西部戦線で決着をつけるために西部戦線最後の大攻勢「ヴァハト・アム・ライン(ラインの守り)」作戦を発動(正式な作戦名は「ヘルプストネーベル(秋の霧)」作戦だった)した。連合軍では「バルジ(突出部)の戦い」と呼んだこの作戦は、連合軍の情報網に引っかかることなく実施されたため、西部戦線の連合軍は相当に混乱をきたした。「クリスマスまでに戦いは終わる」と楽観視していたからとも言われている。前線の将兵は情報部の情報のなさに激怒したが、ドイツ側も情報が漏れないように無線をつかわず、有線電話を多用して部隊終結をはかったのだから、仕方がないという一面もあった。さて、ドイツ軍の大攻勢という現実に直面したアメリカ第7機甲師団では敵情確認のために第87騎兵偵察大隊を前線偵察のために派遣した。その中のB中隊所属のM8グレイハウンドは1両の戦車を発見した。

 ドイツ戦車だ!大型のキングタイガーだ!。幸い向こうはこっちを発見しておらず、また取り巻き(随伴歩兵やほかの車両など)もいない。敵も偵察任務なのか?。無論彼らの任務は「偵察」だった。撃破する必要はない。この事実を報告すればそれでよかった。しかしキングタイガー・・・ドイツではティーガー2重戦車と呼ばれる世界最強の戦車はアメリカ機甲師団にとってたった1両でも脅威になるのは目に見えていた。この悪天候では敵が恐れる戦闘爆撃機も呼べないし呼んでも攻撃は不可能だろう。選択は2つあった。逃げて報告するか、今ここで撃破するか。「撃破」といってもこっちは37mm砲という非力な大砲。装甲が薄い後ろを撃っても撃破できる保証はない。保証どころかできない可能性が大きかった。しかし、勇敢な彼らアメリカ兵は無理を承知で攻撃を行なった。ここで撃破しないと友軍が大被害を被るのは間違いないからだ。真後ろにゆっくりと回り込む。エンジン音を絞って。向こうもエンジンをかけているから、やかましい車内からはM8グレイハウンドのエンジン音は聞こえないだろうが、それでもM8グレイハウンド乗員はいっその事エンジンを止めて手押しで向かいたい状況だったろう。距離30ヤードまで迫った。幸いにも敵は気付いていない。狙いは1つ。キングタイガーの砲塔後部の排莢用ハッチ。外す心配は全くないが1発撃てば相手も気付く。とにかく敵が砲塔をこっちに回しきるまでに撃破しなければならず選択の余地はなかった。1発で仕留めるのは不可能かもしれない。1撃目でハッチを破壊しそこの穴から榴弾を叩き込むしかない!。穴があく保証はないがもはや後戻りはできない。AP弾(徹甲弾)発射!。乗員には頼りない発射音であったが、一撃でハッチはやぶれた。次弾、HE弾(榴弾)を素早く装填する。37mm砲弾は弾自体が軽いので片手で持てるし簡単に装填できる。確実にそして迅速に排莢を行ないHE弾を装填。発射!間伐を入れるな、もう一発!。計3発の37mm砲弾をキングタイガーに撃ちこみ、この虎の王様の動きは止まった・・・。

 上の文章は多少(かなり(^^;))自分の考えが入っておりますが、M8グレイハウンドの大戦果として語り継がれております。もっともティーガー2重戦車ではなく、4号戦車だったのかもしれないですが、どっちにせよM8グレイハウンドにしてみれば強敵に違いはなくその勇敢な行動には敬意を表すべきだろう。

 1945年4月に生産が止まるまでに8523両が生産された。使用先はアメリカ軍だけではなく、イギリスおよぼ同連邦諸国でも使用された。これらの諸国では戦後も継続して使用されている。当時の写真を見る限りでは自由フランス軍でも使用されていたようで、自由フランス軍第5機甲師団の写真にM8グレイハウンドが写っているのがある。ただし、部隊徽章がどこの所属かがよくわからず、実際のところの運用状況についてはよくわからない。
 M8グレイハウンドの派生型には砲塔を除いて弾薬や兵員輸送型にしたM20がある。派生型といえばこれぐらいで小改良を除き、派生型は作られなかった。ある意味、装甲車として以外に使えなかったという否定的な一面もあるだろうが、実際には改良の余地もない優れた装甲車だったと評価すべきだろう。何種類もの装甲車を作ったイギリス・ドイツとは対照的だけども、装甲車は1種類で十分なのだろうからアメリカの、このM8グレイハウントが歩んだ道が正解だったといえるだろう。


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