アリエテ

全長:        9.67m
車体長:       7.59m
全幅:        3.60m
全高:        2.50m
重量:         54t
装甲:       ???mm
乗員数:        4名
武装:44口径
     120mm滑腔砲×1
     (42発搭載)
    7.62mm機関銃×2
     (2400発搭載)
動力:IVECO社製V12MTCA
    1200馬力ディーゼル
    水冷12気筒V型
走行性能:最大速度:65km/h
航続距離:550km
総生産台数:???両
(現在も生産中)
 イタリアという国は歴史は古い。言うまでもなく古代ローマから続く歴史ある場所で「すべての道はローマに通じる」という言葉もあるようにある意味世界史の中心でもあったといえる。中世以降も文化や宗教の中心地でもあった。ただ、近代国家としてのイタリアの歴史は浅い。統一がなされたのは19世紀の事で、近代工業においてもイギリス・フランスに大きく水を開けられていた。第一次大戦で戦勝国となったものの、工業力の面では遅れをとっていた。「デザインはいいのだが性能は・・・」というのがイタリア工業製品の我々の率直の意見ではなかろうか?良かれ悪かれ。
 イタリア戦車といえば、あまりいいイメージがない。ストレートに言えば悪い。特に第二次大戦では大規模な戦車戦になったアフリカ戦線で、イギリス戦車に全く歯が立たなかったということと、単純にカタログデータで見てもイギリス戦車に大きく水を開けられていた。追い討ちをかけるように1943年9月にイタリアは連合国に降伏し、イタリア王国とイタリア共和国(サロ政権)に分かれたせいもあったし、大戦末期になるとドイツとアメリカ・イギリスの激戦区となったため戦車開発どころではなかった。
 イタリアは第二次大戦主要国で真っ先に降伏したおかげでドイツみたいに分割占領される事もなく戦後を迎えられたけども、日本と違い国内の多くが戦場となって荒廃したせいもあって復興は遅れた。兵器に関していえば、てっぽとかは当初はアメリカ製、後に国産に移行と小さいものはすぐに国産はできたものの、戦車となるとそうはいかなかった。アメリカのM47戦車などを使っていたものの、さすがに先進国の意地もあったろう。しかし単独での開発は予算上辛い。ちょうどその頃フランスとドイツが共同で戦車を開発するという情報が入りイタリアがそれに乗った。イタリアの立場といえば完成した車体を頂戴するというもので、3国共同開発というものでもなかったが、無論資金の分担はさせられた。共同開発できるほどの技術力がなかったのだろうか?。結果からいえばこの共同開発は御破産となった。その理由としてこの共同開発は砲塔と車体を別々に開発するものではなく、フランスと西ドイツ互いに試作車両を作らせていい方を採用しようというものだった。結果は西ドイツの方が性能がよかったものの、フランス側がわが身可愛さで西ドイツの車両採用をためらった事にある。実際的な問題として、「必要以上に大きかった」「フランス軍の仕様には合わない」という理由もあったろう。困ったのはイタリアだった。
 さぁ!どっち!?。
 困り抜いたイタリアは結局はアメリカのM60を選んだ。本末転倒も甚だしいが、これが共同開発の哀れな末路の1つとも言えるだろう。しかし後にイタリアは西ドイツのレオパルド1を選んだ。
 イタリアの工業力であるが、他の先進国と比べて型を並べるとはお世辞でしか言えない一面もあるが、別に低いというわけでもない。実際、レオパルド1は最初は輸入したけども、後にはイタリア国内でライセンス生産を行っている。このライセンス生産したレオパルド1をベースにOF-40という輸出専用の戦車を作ったぐらいである。売れた・売れないは別にしてであるが(アブダビから36両の注文がきた以外は売れなかった)。
 イタリアもG7の一員に輝く立派な先進国。自国を護る戦車を自国で作らないで何になるか。という考えだろうか、1982年にイタリア陸軍から新規戦車の要請がOTOメララ社にきた。OTOメララ社といってもピンとこない人も少なくないだろうが、特に艦載砲のメーカーとして名高い。海上自衛隊の護衛艦の大砲も同社のが使われている。発射速度が1分に40発とまさに自動ライフルなみの発射速度がある。ちなみにOTOメララ社は今はOTOブレダ社と名前が変わっている。以上余談。さて、OTOメララ社だけでなく、IVECO社との共同開発となっている。IVECO社はイタリアのトラック製造会社で日本でいえば日野自動車あたりに該当する。ユーロでのシェアは結構高く、トップクラスといわれている。ただしIVECO社の担当はエンジンとサスペンションのみ。トラックの会社だからしょうがないところか。
 1986年に完成し、仮に「C1」という名称が与えられた。名前から見てわかるように戦後イタリアで1番目に1から開発した戦車だった。1988年に制式採用され「Ariete」と命名された。

 外見上の特徴としてはイギリスのチャレンジャー戦車を想像させる。ただ、照準関係は砲塔右にあるので識別は当然容易にできる。この照準位置はドイツのレオパルド2を想像させる。主砲は44口径120mm滑腔砲で、初期のレオパルド2やM1A1、90式戦車と同じであるが、この砲自体はOTOメララ社が独自に開発したものだった。大砲屋の意地といったところか。ただ、独自開発といっても薬室はラインメタル社の120mm滑腔砲と同一でルクレールやレオパルド2と同じ弾が使える。装弾数は42発と同級の戦車と比較しても標準的といえる。他の武装として、同軸機関銃と砲塔上の機関銃は当然ついている。普通はどっちかが12.7mmクラスの重機関銃だが、アリエテでは両方ともドイツ製のMG1機関銃(7.62mm)を採用している点にある。連射がきく7.62mmクラスの方が使い勝手がいいと考えたのか?あるいはドイツのレオパルド2に範を習ったのかはわからない。攻撃ヘリ用には力不足とも考えられるが、今の攻撃ヘリは20mm機関砲弾を食らっても耐えられる重装甲があるから12.7mm機関銃だろうが7.62mm機関銃だろうが同じと考えたのだろうか?
 FCSはイタリアで開発された当時最新鋭の機材が積まれている。TURMS(Tank Universal Reconfigurable Modular System)というもので、戦車長の照準器・砲手の照準器・レーザー測定器・砲身測定器・弾道計算器・環境センサーなどが一体となって1つのシステムを構成している。当時としてはハイテクといえたが、今となってたどこの国でも採用している仕組みといえる。いやこれ以上のハイテク機器が他国では装備されている。
 乗員は4名。戦車長・砲手・操縦手・装填手でこれも非常にオーソドックスといえる。ちなみに、アリエテはレオパルド2と同じく操縦手は車体右に乗る。ちなみに、日本の90式戦車は車体左に操縦手が乗るが、自国の道路事情と逆になっているのが面白い。もっとも、自動装填でないから装填手が必要で、装填手は車体左に乗らないと左利きでもないかぎり装填しにくい(車体右に装填手が配置されている例も多いけど)。装填手の前には弾を配置する必要があるから、車体左前部には操縦手は乗せられない。だから日本車のように右ハンドルになる・・・という道理なのだろうか?
 エンジンは1300馬力とM1エイブラムズやルクレールに比べると多少低い。その分速度も劣る。特徴的なのはボア145mmでストローク130mmのいわゆるショートストロークを採用している点にある。普通の戦車はロングストロークかスクエアストロークを採用しているから。ショートストロークは名前のように工程が短いので加速力に優れる点がある。そのためダッシュ性能はいいと想像されるが、実際にはわからない。このエンジンはIVECO社の開発品で、このシリンダーは他のイタリア軍車両と共通性がある。いわゆる統制エンジンと言える。
 アリエテはイタリア陸軍に採用されてから量産された。旧式化したM60戦車からすべて置きかえるようにという考えだったらしいけども、1991年のソビエト連邦崩壊による世界情勢の急激な変化で軍事力が必要以上にいらなくなったという事情もあって、この考えは実行されないらしい。しばらくはM60・レオパルド1・アリエテの折衷装備となるのだろう。
 発展型にはアリエテMk.2がある。エンジンを1500馬力にして最大速度を70km/hまであげて、当然不整地走行能力も上げた。また、自動装填装置を採用してFCSも新鋭の機材を投入してさらに射撃精度を上げている。
 実戦に出ていないためにこのアリエテの評価は高いとはいえない。まぁ実戦に出ないのがいいのだろうが、あとはこのアリエテを褒める点もけなす点もない。いわゆる平凡な第3世代戦車だなとも言える。


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