LTvz.35戦車

全長:        4.45m
車体長:       4.45m
全幅:        2.14m
全高:        2.20m
重量:        10.5t
装甲:      6〜16mm
乗員数:        4名
武装:37mm砲×1
    7.92mm機関銃×2
動力:120馬力ガソリン
走行性能:最大速度:40km/h
航続距離:190km
総生産台数:250両前後
 第二次大戦前の1933年、ヒトラーが首相になった。翌年にはドイツのヒンデンブルグ大統領死去にともない、ヒトラー首相が大統領を兼任。総統となった。特にヒトラーは国民のためのデモンストレーションというか、たぶん、本人も第一次大戦での屈辱を毎日臥薪嘗胆していたのだろう。第一次大戦で失われた領土を奪還したい!とばかりに露骨に再軍備を行ったし領土奪還の意気込みはどこの国家元首にも負けなかっただろう。1935年にヒトラーはドイツ軍をラインラント進駐させた。これはフランスを刺激する行為でヒトラー自身も「この48時間は緊張した」と漏らすほどだったが、フランスは結局は何もしてこなかった。フランスもそれどころではない国内情勢の不安もあったからだが、これで味をしめたヒトラーは旧領土以上に強引に領土を広げ出した。対して、イギリス・フランスはこれに軍事力で脅すなどして対抗するという手段もあったが、結局は「宥和政策」を打ち出した。両国とも軍事力に回せる金がなかったし、だいいちドイツ軍の強さは骨身に染みて知っていた両国だったから(第一次大戦ではイギリス・フランス連合軍は結局、ドイツ領土に攻め入る事ができなかった)ある意味理にかなった政策だったとも思えなくはない。ただ、そのツケを支払ったのはイギリスでもフランスでもなく、ドイツの隣国の小国だったチェコスロバキアだった。ドイツとの併合の際は会議に出席させられず、ただ、確認事項に調印させられただけだった。「小国の不幸」と一言で片付けたらそれこそ失礼だろうが、それが現実だった。
 チェコスロバキアの工業水準はなかなかのもので、特に名前が知られているのは「チェッコ機銃」で知られるZB26軽機関銃だけど、戦車生産能力もなかなかのものだった。実際に輸出も積極的になされていた。精度も高く値段も安いため評判は上々だった。
 さて、チェコスロバキア戦車で特に名前が知られているのが38(t)戦車だけども、この戦車の生産以前にも戦車があった。それがLTvz.35戦車と呼ばれるもので、これは純粋には軽戦車だけども、後にドイツ軍に接収されて戦車同様に使われた。このLT35戦車はチェコスロバキアのスコダ社が開発したもので1935年に制式化がなされた。このLTvz.35戦車は武装は37mm砲が1門で7.92mm機関銃が2丁、最大装甲16mmと当時としては平均的な戦車といえた。特徴的だったのは中身で、特にトランスミッションに空気圧で作動する方式を採用していた点にある。戦車の技術で触れられることはまずないが、トランスミッションは戦車の生命線ともいえた。これがないと変速できないからで、当時はドッグクラッチという方法が採用されていた。ようは歯車をかみ合わせただけの方法でこの方法はクラッチをつかって起動輪シャフトとエンジン回転を一致させないと変速ができなかった。できなくはないがガリガリとやかましい音を立てるし壊れやすくなる。だから力もテクニックも必要だった。今ではシンクロメッシュ方式という簡単に変速ができる機能がある。高度なシンクロメッシュ機構のトランスミッションの自動車に乗っている我々には想像もつかないような苦労が当時の戦車操縦手にはあった。このLTvz.35戦車がトランスミッションのこういった解決の1つとして示したのが、空気圧で変速をアシストする機能だった。詳細な構造はわからないが、変速操作の負担が軽くなり特に戦闘時に壊れるといったことがなく非常に有効だったといわれている。ただ、初期の頃はメカニズム的に完成されておらず、1939年のドイツ併合時には200両以上が配備されていたものの、その大半は動けなかったという。ある意味、これがドイツ併合を容易にできたといえば過言だろうか?
 また、メカニズム的に複雑だったのが転輪で、2個1組の転輪が1セットでその1セットの転輪2つを板バネで干渉装置とするという(ようは4つの転輪で1セット)他国の戦車では例がない方法を採用した。真似た戦車が他にないのでやはり複雑なわりにメリットがなかったんだろう。余談ながら前部誘導輪と最前部の転輪の間にもう1つ補助転輪があった。これがついているのもこのLTvz.35戦車だけだった。ただ、完璧に整備されたこの転輪装置は不整地での走行は非常に軽快に走ったという。
 ハンガリーやルーマニアにも輸出がなされたけど、ドイツの併合で、チェコスロバキア軍のLTvz.35戦車も多くがドイツ軍に接収されてドイツ軍で使われた。ちなみに、ドイツ軍での呼称は35(t)戦車。”t”にはチェコスロバキアという意味がある。219両が使われたという。ポーランド戦を皮切りにフランス戦、独ソ戦のモスクワ攻略時まで使われ、そして潰えた。ポーランド戦役ではドイツ軍の3号戦車の生産が間に合わず、主力戦車として大活躍した。ただ、装甲が薄いせいもあって、ポーランド軍の対戦車砲の餌食になった車両も多かった。LTvz.35戦車の終焉の場はロシア戦線で、特にモスクワ攻略戦までに全てが失われた。ソビエト軍がT-34戦車など優秀な戦車を繰り出してきたせいもあるが、致命的だったのが、上でかいた空気圧変速機で、特に厳寒のロシア戦線では空気温度の低下で、作動しなくなった車両が多発し、動かすのが不可能になってしまい、泣く泣く遺棄させられたのも多かった。
 この戦車の後継のLT38戦車の車体は終戦まで生産されたのに対して(ヘッツァーなど)LTvz.35戦車は結局は生産ラインも早々に撤収させられた。ある意味複雑な製造工程は戦時生産では負担以外の何物でもなかったのだろう。一種のアダ花だったのだろうか?


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