アーチャー駆逐戦車

全長:        6.69m
車体長:       5.41m
全幅:        2.63m
全高:        2.25m
重量:         16.7t
装甲:       ???mm
乗員数:        4名
武装:60口径76.2mm砲×1
    (17ポンド砲)
    7.7mm機関銃×1
動力:165馬力ディーゼル
走行性能:最大速度:24km/h
       航続距離:160km
総生産台数:655両
 第二次大戦の戦車戦の主役といえばドイツとソビエトだったと答える人が多いだろう。事実両国は戦車開発にしのぎを削っていたし、大規模な戦車戦を何度も行っている。1944年6月にアメリカ・イギリス連合軍はノルマンディ海岸に上陸。ドイツ軍は西でも敵を迎え撃たないといけなくなった。数はドイツ側が圧倒的に劣っていたものの、戦車と乗員の質は東部戦線で鍛えられたせいもあり、圧倒的に優れていた。当時のドイツの新鋭主力戦車「パンター戦車」と連合軍の主力戦車「M4A3シャーマン」を戦わせた場合、ドイツ側は正面装甲でも1000mの距離で撃ち抜いたけども、連合軍側は正面対決なら500m以内でないとだめだから話にならない。ただ、数で劣っていたし、チームワークの面では連合軍の方が上で、1台が囮になって別の車両が側面から狙う戦術も行われていた。しかし、こんな意見は戦場を体験していない我々の考えであり、実際に戦車に乗っている乗員にしてみれば、威力の高い大砲を積んでいるに超した事はなかった。
 さて、イギリスには17ポンド砲(60口径76.2mm砲)という対戦車砲があった。この17ポンド砲は開発開始が1940年11月で1941年7月には試作砲4門が完成して、1944年4月から正式に部隊配備がなされた。ただ、試作段階で優秀な大砲と軍も認めており、北アフリカの戦いで2ポンド砲や(52口径40mm砲)6ポンド砲(45口径57mm砲)といった対戦車砲では時間毎に装甲が厚くなりつつあったドイツ戦車に対しては役不足だった事もあり正式採用前に、25ポンド砲(88mm榴弾砲)の砲架と防盾を装備した17ポンド砲が1942年末に北アフリカ戦線に登場した。威力には文句がなく、これでやっとドイツ戦車を1000m以上の距離で一撃で葬れた対戦車砲をイギリス軍は装備した事になる。ただ、大砲が大きくなると当然ながら重量も増すという欠点もあった。ちなみに、戦闘重量(砲列重量)では2ポンド砲、6ポンド砲、17ポンド砲の重さはそれぞれ798kg、1145kg、2099kgだった。イギリス軍の場合はドイツや日本と違って機械牽引(トラックによる牽引)だったので、重量が増えても大丈夫だったけども、北アフリカ戦に勝利を収めたあとは攻勢に出るのは間違いなく、牽引式だと牽引車から切り離して陣地構築して戦闘に備えるといった手間があったため、この17ポンド砲の自走化は早くから計画されていた。
 17ポンド砲はイギリス最高傑作の対戦車砲であったため搭載された戦闘車両は多い。とにかく早期に実戦配備を望んだので、応急的にでも自走砲化された車両を作る事になった。1942年7月にビッカース社で開発が開始されている。ベースとなった車両は、もはや戦車として使い道がなくなりつつあった、バレンタイン歩兵戦車が選ばれた。バレンタイン歩兵戦車は元々が2ポンド砲搭載戦車(後に6ポンド砲に換えたけども)のため砲塔は狭かった。そのために砲塔をとっぱらってオープントップ砲塔にして17ポンド砲搭載を実現した。変わっているのは車体前部をオープントップにするのは分かるとして、肝心の17ポンド砲は後ろ向きに配置したことにある。たしかに、前の戦闘室に前方に向けて砲身の長い17ポンド砲を据えたのでは全長が長くなるから、適切な処置だったと言える。また、車体の上に箱型固定砲塔を付けるという手もあったけども、今度は車高が高くなってしまう。たしかに適切な配置方法だったと言える。
 1944年3月に生産開始。部隊配備は1944年10月からだった。この頃になると17ポンド砲を搭載した戦車「シャーマン・ファイアフライ」が配備されていた事もあったせいか戦果というのをあまり聞かない。ただ、ドイツ戦車を一撃で葬り去れる自走砲ではあったのでそれなりに戦果はあったろうし、この自走砲を装備した部隊の士気も高かっただろう。
 結局655両が生産された。よほど使い勝手がよかったのか部隊配備は戦後も行われており、最後のアーチャー駆逐戦車が退役したのは1950年代初めだった。
 利点は上で書いたように、全長・全高を押さえられたので戦術面で有利だった事と、正面がエンジンルームだったため、多少の防御力はあった事。また砲身が後ろを向いているので操縦手の視界がよかった事にある。また、後ろを向いて砲撃するので撃ったらすぐ逃げられると誉めてあげたいが、操縦席が大砲の真後ろにあったため、大砲射撃時は操縦手は操縦席から離れる必要があった。同様の理由で、走行中に大砲の射撃はできなかった。あと、歩兵戦車を母体としたために速度が遅いという欠点もあったが、機甲師団の進撃についていって射撃するような兵器でもないので、これで十分だったのだろうか。上で書いているように利点がそこそこあったのが長寿命の理由なのだろうとも思える。


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