チーフテン

全長:        10.8m
車体長:       7.52m
全幅:        3.50m
全高:        2.82m
重量:         55t
装甲:       ???mm
乗員数:        4名

(上記データはMk.5のものです)
武装:55口径
     120mmライフル砲×1
     (64発搭載)
    7.7mm機関銃×2
     (6000発搭載)
動力:750馬力ディーゼル
走行性能:最大速度:48km/h
       航続距離:500km
総生産台数:約900両
 何度も書くけども、イギリスは近代的戦車を世界ではじめて戦場に投入した国だった。また、第二次大戦ではドイツとの戦車戦で文字通りの死闘を演じた。イギリス戦車は、特に緒戦では大砲の口径が小さく、どんどん厚くなっていくドイツ戦車を撃破するのが難しくなっていったし、ティーガー1重戦車など大口径砲の砲撃を防御できる装甲もイギリス戦車にはなかった。これは同じく、ドイツと戦車戦の死闘を演じたソビエトと同様ではあったけど、イギリスの場合は「より強力な大砲を!」「より分厚い装甲を!」というのがソビエト以上に徹底していた。ソビエトの場合は強力な大砲を積んで装甲強化は避弾径始の向上を図ることで対応していたものの、イギリスの場合は純粋に装甲を厚くしていた。このドクトリンで完成したのが大戦末期のトータス重戦車や大戦後のコンカラー重戦車だった。重装甲の犠牲は当然速度に反映し、トータス重戦車は最高速度13km/h、コンカラー重戦車でも34km/hしか出すことができなかった。トータス重戦車は数両の試作の上廃棄となり、コンカラー重戦車も第一線兵器としての価値はなかったと言っていい。
 それでも諦めなかった人がイギリス軍にはいたのだろう。1950年代にはコンカラー重戦車と同じ120mmライフル砲を搭載した新型主力戦車の開発が始まった。コンセプトはやはり「重武装・重装甲」だった。ただ、今回は重装甲に限っていえば、単純に装甲厚をあげるのではなく、徹底的ともいえる避弾径始性を重視した。しかしそれでも正面装甲は200mmに達しているといわれている。さらに。避弾径始重視も徹底されていて、鋳造砲塔は華麗なまでに丸みを帯びており(鋳造では曲線は作りやすい)傾斜もあいなって、実質装甲の2倍の防御力があるとも言われている。また、全高も押さえてある。砲塔上面まで2.5mとソビエト戦車に比べればまだ高い感じはあるものの、西側のほかの戦車に比べれば十分低姿勢だった。また、この当時としては珍しく、キャタピラ側面にサイドスカートがつけられたし、特に地雷対策も施してあって、車体下面をV型にして(ゆるいV型だけど)極力爆風を外にそらすように設計されていた。無論、踏んでしまったらキャタピラは破損するけども、中の乗員は助かる確率は高くなる。この面も実際にのる乗員の安堵感という見えないところで計り知れない貢献をしている事だろう。
 1959年に試作車が完成し、1962年から発注がなされて、一般公開されたのは1963年8月だった。この当時、120mmクラスの砲を搭載していた戦車は西側にはわずかしかなく、そのわずかな戦車も重戦車の名のように鈍重で使い物にはなっていなかった。華麗な曲面砲塔、長大で大口径な戦車砲は各国の度肝を抜いたといえる。エンジン不良が解決しなくても無理矢理に125mm砲搭載戦車を就役させたソビエトのT-64はこの影響があるんじゃないかと思えなくはない。
 しかし、実際の量産が始まったのは1967年からだった。理由は当初のエンジンが585馬力と非力だった事による。たしかにかつてのドイツのティーガー1重戦車とだいたい同じ重さなのにだいたい同じエンジン出力だったのだから機動性の劣悪さは推測ができるだろう。やがて750馬力のエンジンが開発されて搭載されるとその問題も解決するようになった。最高速度は48km/hと今の基準からすれば遅いほうだけど、当時にすれば標準的といえた。
 チーフテンの利点といえば、その強力な大砲を重装甲につきる。55口径120mm砲は今のレベルから考えても充分第一戦で通用するし、現に今のイギリス主力戦車”チャレンジャー”も同じ大砲(多少違うけど)を装備していることからも伺える。また、太陽熱によって砲身のひずみを抑えるためのサーマルジャケットもチーフテンは当初からつけられていた。装甲も今のレベルでは物足りない感じはするけども、これは爆発反応装甲を装備すれば充分補えるだろう。砲弾も弾丸と薬莢の分離式なので、少ないスペースも有効に使えるため、64発分も積めるという。これは他の120mm砲搭載戦車と比べても充分多い。
 欠点もあるにはあって、車高が抑えられているだけあって、車内は狭い。そんな狭い中で120mmという大口径の砲弾を装填する装填手の苦労は並大抵のものではないだろう。そのためか砲弾は弾丸と薬莢の2つに分けられている。そのため装填には手間がかかるとも思えるが、軽いもの(一体型砲弾に比べて)を装填するからだろうか、慣れさえすればチーフテンは1分間に8発の発射速度を誇るという。これは同時期の自動装填装置搭載のT-64戦車の発射速度とそう変わらない。あとの欠点は車高が低いせいで、操縦席も普通の腰掛け式ではなくF-16戦闘機のように斜めに座るようになっている。ちょうどリクライニングシートみたいなものだけども、この体制で長時間運転するのはつらいのではないだろうか?。
 チーフテンはイギリス軍に採用され、1971年までに約900両が生産された。また輸出も積極的に行われ、イランやクウェート、オマーンなどに輸出されている。イランへは約780両が引き渡されたとされるが、クウェート・オマーンにはどれほど引き渡されたのかはわからない。
 チーフテンの実戦経験は、1980年から始まったイラン・イラク戦争で体験したといわれている。この当時、イランは革命後ということもあって閉塞的だったこともあり、戦果などはよく分かっていない。イラク軍のT-72戦車と撃ち合いを演じていると思われるのだが戦果などはわからない。ただ、チーフテンは重量がある上にキャタピラが広いというわけでもないから、接地圧が高く、沼地の戦闘では行動不能になり放棄された例もいくつかあるといわれている。実際イラク軍に無傷で捕獲されたチーフテンもあるという。チーフテンの後継機種のチャレンジャーは1991年の湾岸戦争でイラク軍のT-72戦車を撃破したのはその仇とでもいえるのだろうか?。ある意味、戦う戦場を間違えたとでも言うべきなのだろうか?
 チーフテンはその重装甲・大火力のために現代でも充分通用する。ただ、さすがに電子機器では開発当初のままというわけにもいかず、今世紀に向けた大規模な改修がなされた。この最新型をMk.12型と言う。ただ、エンジンはそのままなので、今の戦車状況をみても機動力不足は否めないだろう。そのため1000馬力の新型エンジンを開発しチーフテンに搭載して機動力強化を図る動きもある。もはや大国同士の戦争の可能性が極端に低くなった現在では今の戦車の改良で凌ぐだろうから、チーフテンもまだまだ現役でがんばっていくだろうという想像と共に決して開発当初のコンセプトが間違いではなかったという証でもある。

 チーフテンは今現在(2002年2月)Mk.12型まで存在する。初期型のMk.1、量産型のMk.5、最終型のmk.12がよく知られているものの、他の型がどんな改良を加えられたのかは俺っちは知らないんです(涙)。ただ、普通に「チーフテン」と呼ぶ場合は大抵はMk.5型をさします。


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