全長: 6.04m 車体長: 6.04m 全幅: 2.68m 全高: 2.26m 重量: 20.1t 装甲: 7〜49mm 乗員数: 3名 (上記データは3型のものです) |
武装:45口径57mm砲×1 (6ポンド砲) 7.92mm機関銃×1 動力:340馬力ガソリン 走行性能:最大速度:43km/h 航続距離:161km 総生産台数:約5300両 |
|
何度も書くけども、イギリスは世界で最初に近代的戦車を運用した国だった。第一次大戦後は厭戦ムードもあって、戦車開発は遅れ気味だといえたけども、それでも世界水準に比べても遅れてるとはいえなかった。第二次大戦が始まってドイツと対戦すると、戦車性能からいえばイギリスの方が上だった。ただし何種類もあった。運用方法は結果的にいえば大戦初期は宿敵ドイツの方が上だった。たしかに、フランスを一ヶ月で落とされたせいもあって、「大戦間のイギリス軍の戦車運用は失速した」などと書かれる。言うまでもなく後知恵ならいくらでもいえる事だろう。 イギリスでの戦車運用は他国と変わっているのが、「巡航戦車(Cruiser Tank)」と「歩兵戦車(Infantry Tank)」の2つに分けて運用していた点にある。前者は速度第一で、後者は装甲第一だった。ある意味、第二次大戦後半のドイツの「中戦車」と「重戦車」の運用に似ている。決定的に違ったのは、イギリスの方はあくまで歩兵主役だった点にあるだろう。大戦初期のイギリスの大敗北はこれが効いた。 さて、巡航戦車としては、初期の作品にMk.1巡航戦車というのがあった。エンジンは二階建てバスと同じものを使用しており、さしずめ「巡航戦車にしたマチルダ1」といった所だろう。装甲が半分以下だったこともあって、最大速度は40km/hとマチルダ1よりも倍以上速く走れたのは言うまでもない。しかし、1936年のソビエト軍の演習で、各国武官の(当然イギリスの観戦武官も含まれていた)目の前で何百両ものBT戦車が故障もなく疾走したのに度肝を抜かれたイギリス軍観戦武官はそれまでのボギー式(シーソーみたいに1つのサスで2つの車輪を支える方式)よりも1サス1車輪のクリスティー懸架装置が高速で走るには有効と結論付けて、この足回りを使った新型巡航戦車がMk.3巡航戦車だった。これは後に装甲を強化されてMk.4巡航戦車となった。 このMk.4巡航戦車を支援する巡航戦車として開発されたのがこのMk.6巡航戦車クルーセイダー(十字軍)だった。もともとは新規開発をおこなって時代に適合した優秀な戦車をと考えられた。開発開始は1939年4月。ドイツとの緊張が高まっていたせいもあってこの開発には期待がかけられた。ところがドイツとその周辺諸国との外交関係の悪化もあり、新規開発は諦めて既存の戦車の改良を行い戦力化する結論が出された。既存の戦車とはMk.5巡航戦車”カビナンター”で、この戦車はエンジン冷却装置の不備で戦力にはならなかったものの、このエンジン冷却装置をとっぱらい、エンジン自体をMk.4巡航戦車のものに変えた。そのためか、カビナンターでは転輪は4つだったものの、このクルーセイダーでは5個に増やされた。 既存の車体を流用したため、実用化は早く、1939年7月には量産が開始された。ただ、1940年5月から始まったフランス戦には間に合わなかった。実戦配備されたのは1941年初めからで実戦に投入されたのは1941年6月のバトルアックス作戦からだった。 クルーセイダーの評判は決していいものではなかった。主砲は2ポンド砲で時間を追うごとに装甲が厚くなってゆくドイツ戦車には役不足だった。最大装甲は40mmと当時にしては平均的とは言えたが、ドイツ戦車の大砲を防ぐにはこれも役不足だった。それでも、クルーセイダーは改良は進められている。装甲を49mmに厚くしたMk.2や、より強力な6ポンド砲を搭載したMk.3などがあった。6ポンド砲搭載のMk.3はそこそこにドイツ戦車と撃ち合えたものの、元々が2ポンド砲搭載砲塔に無理矢理6ポンド砲を載せたために狭くなってしまい、砲塔は2名が定員となった。この時点でクルーセイダーの戦車としての生命は終わったといえるだろう。 結局、北アフリカからドイツ軍を一掃したと時を同じくして、クルーセイダーは第一線配備から外されることになった。 「Crusader(十字軍)」の名のごとく、無意味な戦車であったのだろうか? |