ディーコン対戦車自走砲

全長:        6.48m
車体長:       6.48m
全幅:        2.36m
全高:        ?.??m
重量:         ??.?t
装甲:       ???mm
乗員数:        ?名
武装:45口径57mm砲×1
    (6ポンド砲)
動力:???
走行性能:最大速度:40km/h
       航続距離:???km
総生産台数:175両
 第二次大戦でユーロ大陸での戦闘が一応決着がつくと、こんどはドイツ対イギリスの戦いの主戦場は北アフリカに移った。しかし、これはドイツが望んだものではなかった。イタリアの頭領”ムッソリーニ”の野望の尻拭いをやらされたにすぎなかった。ドイツは補給の問題上、1個軍(30万人ぐらい)しか送れなかったものの、ドイツ・アフリカ軍団と命名された軍団長に名将ロンメル将軍を起用したため、ドイツ軍はあわやスエズ運河を占領しようとする所まで進撃した。イギリス軍も決死の反撃を試みるものの、ロンメル将軍の巧みな用兵によってかわされた。単純に将軍の素質だけの問題ではなく、あとの問題として兵器性能の差もあった。両者ともだいたい同じ性能の武器を使用していたけども、イギリス戦車に限っていえば2ポンド砲(40mm砲)だったので、厚くなりつつあったドイツ戦車に対しては役不足だった。より強力な6ポンド砲(57mm砲)もイギリス軍にはあったけどもこれは牽引対戦車砲で、機動性に難があった。かくして、早急に6ポンド砲を搭載した自走砲を要求した。
 ディーコンと呼ばれる対戦車自走砲は1942年に開発が開始された。対戦車自走砲とは名前がいいが、ようはトラックの荷台に装甲板を覆ってその中に6ポンド砲を乗せるというまさに簡易対戦車自走砲だった。トラックのベースには、大砲牽引車"マタドール"が選ばれ、上記の理由ですばやく仕上がった。合計175両が生産されて、さっそく、北アフリカ戦線に送られた。戦地では機甲師団の予備中隊として配備されていた。いうまでもなく、第一線で活躍できるような車両ではなかったから、妥当な配備先と言えた。。華々しい戦果こそないものの、搭載する6ポンド砲は当時としては強力で、堅実に戦果をあげていった。ただ、あくまで応急的な兵器だとはイギリス軍も認めていた。1943年に入ってアメリカ製戦車が入ってくるようになると、もはや用はなくなった。結局1943年春までにすべてが回収されて、トルコに売却された。その後の行方は分からない。
 ディーコンの特徴は上で書いたようにトラックに装甲板を張って対戦車砲を載せた簡易対戦車自走砲だった。搭載した6ポンド砲は運転席部分に向けては撃てなかったものの、そこ以外の方向には全周に射撃が可能だった。ただし欠点も多く、車高が高く敵に発見されやすかった。また、トラックのために不整地での走行ではキャタピラ車両に比べて当然、走行能力は劣った。装甲も、機関銃弾や砲弾の破片を防げる程度で砲弾の直撃を受けたらその時点でアウトだった。こんな車両でも立派に使われたのはそれほど、イギリスには攻撃力のある戦闘車両が枯渇していたからだといえる。M3グラントが北アフリカに到着したときのイギリス軍の喜びのほどが知れる。


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