Mk.1歩兵戦車”マチルダ1”

全長:        4.85m
車体長:       4.85m
全幅:        2.28m
全高:        1.86m
重量:         ??.?t
装甲:     10〜65mm
乗員数:        2名
武装:7.7mm機関銃×1
動力:70馬力ガソリン
走行性能:最大速度:13km/h
       航続距離:???km
総生産台数:139両
 イギリスは世界で初めて戦車を運用した国として知られる。だからこそ戦車の強さ・怖さは知っていた。第一次大戦後、しばらくはイギリスでも厭戦ムードもあって大きな戦車は作られなくなるものの、欧州情勢の変化によって、強力な戦車が必要になってきた。ただ、ドイツでは機動力と指揮力重視だったのに対して、イギリスは低装甲・低武装にしてでも速度を増した巡航戦車と、歩兵支援用に低速にしてでも重装甲にした歩兵戦車に2分した。これを戦車を機動力を無視して歩兵直協にした「戦車先進国イギリスの汚点」とも書かれるが、ある意味、大戦中のドイツのように中戦車と重戦車を分けて運用した先駈けともいえなくはない。
 1934年4月、イギリス陸軍は、戦車メーカーの老舗であるビッカース社に対して歩兵戦車の製作を依頼した。時期的には欧州ドイツではヒトラー政権が誕生した翌年ではあったが、まだドイツでは再軍備宣言がなされておらず、風雲急をつげている訳でもなかった。また、5年前の大不況が影響していた時期でもあったため、とにかくローコストで作るのが要求された。ビッカース社もそれに十二分に答えた。エンジンはアメリカで量産されて価格の安かったフォード社の民間用、8気筒V型エンジンを搭載し、サスペンションやブレーキもビッカース社の旧部品を流用していた。装甲は前面で65mmもあったけどリベット結合で仕上げも簡単だった。ただ砲塔は鋳造でできていた。武装は自社の7.7mm水冷式ビッカース機関銃を搭載していた。武装はこれだけだが歩兵支援用としては十分だったのだろう。ただ、イギリス重機関銃隊は7.92mm機関銃を装備していたし、巡航戦車も7.92mm機関銃を搭載していた。そのため補給に困ったのではないかと思えなくはない。普通の乗用車のエンジンを使ったため、重たい戦車を走らせるのには馬力不足で最大速度も13km/hしか出なかったけども、所詮は歩兵戦車なのであまり問題にはないと考えられたが、後に大問題となる。
 既製部品を流用したわりには開発に時間がかかり1939年2月に最初の量産型が完成した。これは「マチルダ1」と命名された。"1"とわざわざ命名された理由は"2"があるからに他ならないけども、マチルダ2に関しては別項に譲りたい。
 マチルダ1の初陣は1940年5月に始まったドイツ軍によるフランス進攻作戦「ファル・ゲルプ」(黄色の場合)でドイツ軍は機甲師団によるアルデンヌ森の突破を敢行し、イギリス・フランス連合軍を混乱に陥れた際の1940年5月21日だった。ベルギー・オランダといった低地諸国が次々と陥落し窮地に陥った連合軍は一矢報いるがごとく、イギリス第一戦車旅団はマチルダ1が58両、マチルダ2が16両をもってアラスで反撃作戦に転じた。「幽霊師団」とまで言われ、神出鬼没で恐れられたロンメル将軍率いるドイツ第7装甲師団に襲い掛かった。マチルダ1は最大装甲が65mmで、ドイツ軍の37mm対戦車砲を零距離でも跳ね返し、4号戦車の24口径75mm砲をも跳ね返した。その防御力に加えて、サスペンションは実績のある部品を使用したので不整地での走行も良好だった。この戦いで7両の損害を被ったものの、第7装甲師団を混乱に陥れた。ただ、この勝利は戦闘での勝利でしかなく、戦争はドイツ軍有利で、このアドバンテージを崩すまでにはいかなかった。鈍足な事もあり撤退行動には向かず、ドイツの誇る88mm高射砲のエジキになるマチルダ1も少なからずあった。そして、イギリス・フランス連合軍はダンケルグに追いつめられてついにイギリス本国に撤退を余儀なくされた。撤退は人員を最優先されたため機材は置き去りで、ヨーロッパ大陸に展開していた77両のマチルダ1はすべて失われる事になった。まぁ、武装が機関銃のみで戦車に遭遇すればどうしようもなかったから、「戦車には撃破される事もなく、撃破する事もなく」ってな状況もあったかもしれない。
 生産は1939年2月から1940年8月まで行われ総生産数は138両とさほど多くなかったが、強大なドイツ軍に一矢報いた戦車でもあった。その意味では後のトータス重戦車やコンカラー重戦車やチーフテンなどにその思考を植え付けたとも言えなくはないだろう。


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