シャールB1

全長:        6.52m
車体長:       6.52m
全幅:        2.50m
全高:        2.79m
重量:        32.0t
装甲:     20〜70mm
乗員数:        4名
武装:34口径47mm砲×1
    17.1口径75mm砲×1
     7.5mm機関銃×2
動力:307馬力ガソリン
走行性能:最大速度:28km/h
総生産台数:500両前後

(上記データはシャールB1bisのものです)
 何度も書いて書き飽きた感はあるが、第一次大戦の西部戦線は塹壕戦だった。第二次大戦後の統計ではあるが、立った兵士と伏せた兵士と塹壕に篭った兵士の3種類での死傷率を計算したところ、立った兵士の損害を10とすると、伏せた兵士が6、塹壕に篭った兵士が1となった。伏せてても意外と死傷率が高かったのだった。ようは、塹壕を掘れば死傷率は抑えられるわけで、第一次大戦の西部戦線ではドーバー海峡からスイス国境まで塹壕が掘られまくった。当然、攻撃側の対策も必要となる。機関銃を備えた塹壕陣地は歩兵のみの突破では不可能に等しく、特に対砲兵用に陣地構築もなされていたので支援砲火を受けても耐え抜くことができたためそれが余計に不可能に近かった。イギリス軍は対策として戦車を作り投入した。特に大量配備した戦車の威力はすごく、ドイツ側の陣地が蹂躙されドイツ軍は国境線まで後退を余儀なくされていた。陸軍大国フランスもルノーFT17という戦車を投入。この戦車は後の戦車の模範となり、今の戦車と比べても古めかしい点を除けばレイアウト的にそう変わりはなかった。ただ、小型なので塹壕突破能力に劣った。そのためフランスは塹壕突破用の戦車を作ろうとしたがその矢先に終戦となった。
 終戦後、フランス戦車の創始者といえるエティンヌ将軍の構想「1921年計画」というのがあった。その中に15t戦車という構想があって、ようはイギリス軍の菱形戦車のように全長を長くして塹壕突破を容易にしようという戦車だった。この開発は極秘で、秘匿名として「トラクター30」とトラクターを開発しているように見せかけた。余談ながら、イギリスの戦車開発時の秘匿名はご存知のように「タンク(水槽)」だった。ある意味、ネーミングのお国柄を思わせる話ではないか。
 さて、この当時は厭戦ムードが漂っていたことも影響したのか知らないが、1929年にやっとこさ試作車両が完成した。当初は15t戦車の構想だったが、各国の戦車開発の例にもれず、あれやこれやと要求が増大。とくに、モックアップ段階からとにかく、ああしろこうしろと要求を盛りこんできたため、1934年5月の段階で制式採用が決定した時には重量は倍以上の32tになった。要求時の重量と完成時の重量がここまで食い違った戦車など他にはないだろう。
 名前は当初は「Char B」(B型戦車。シャールとはフランス語で"戦車"という意味)と命名された。この重戦車によほど満足したのか、軍はこれをベースにB2、B3と改良を重ねていくはずだったが、後の政情不安と軍事予算の削減を受けて断念。このときの名残りで「Char B1」と"1"が制式名に盛りこまれる事になり、以降「シャールB1重戦車」と呼ばれるようになった。シャールB1は車体前面および側面装甲が60mm、後ろが55mmの装甲で、砲塔は前面56mm、側面が46mmの装甲で、これは当時としては驚異的な装甲で、当時の対戦車砲の主力だった37mm砲を受けた場合、前面ならば近距離でも撃ちぬくのは不可能だった。
 シャールB1自体は7両しか生産されていない。理由は、重量のわりにエンジンパワーが小さく、特に不整地での走行性能が悪かった。そのため、エンジンをパワーアップして走行性能を強化したのがシャールB1bisと呼ばれるものだった。エンジン出力増大で余裕ができたのか、車体前面装甲が70mmになった。また、最大速度は28km/hとなり、鈍重のレベルであったといえるが、戦車らしく動けるようにはなった。シャールB1bisの生産は1937年から行われ、1940年5月のドイツ軍西方作戦「ファルゲルプ(黄色の場合)」までに403両が生産されたといわれる。
 ただ、活躍はしてはいない。その重装甲でドイツ戦車をたじたじにしてもおかしくなさそうなものであるが、シャールB1bisが大活躍したというのは寡聞にして聞かない。イギリスのマチルダ2歩兵戦車は65mmの装甲でドイツ軍を一時的にせよ撃退したにもかかわらずである。
 分かっているのは鹵獲されたシャールB1bisがドイツ軍の手によって、訓練戦車に使われたり、火炎放射戦車に改造されたぐらいである。
 フランスが真っ先に降伏したせいもあるだろうが、他のフランス軍兵器同様、あまり目立たずあまり活躍せず不幸な生涯を終えた兵器でもあった。

 シャールB1は上で書いたように、菱形戦車のような形状をしている。ただし砲塔がついているせいもあって、どっちかといえばイギリスのチャーチル歩兵戦車に似ている。武装は回転砲塔に47mm砲同軸機銃の7.5mm機関銃が1丁、車体前面にもう1丁7.5mm機関銃があった。車体前部右側に短砲身75mm砲を搭載している。
 34口径47mm砲は当時のレベルでは戦車相手にも十分通用した。これは砲塔に搭載されていて、全周射撃が可能になっている。
 17.1口径75mm砲は車体右前に固定装備されている。当然ながら仰角俯角の調整は可能で、対戦車戦には不向きだが歩兵支援には十分だった。以上の大砲の装備から、なんとなく、アメリカのM3リー中戦車を思い浮かべるのは私だけではないだろう。
 車体の特徴といえば、やはりデカい事だろう。後のティーガー1重戦車などと比較すればそう大きくは見えないが、当時にしては6.5mの全長は大きいと言えた。普通の戦車とちがって、転輪が外に出ておらず、小さい転輪がいくつもついていて、装甲板に隠れていた。ただ、その状態をチェックできるように要所部分は開閉可能になっていた。また、戦車への出入り口が右側面にあったのも特徴だった。普通の戦車は上にある。理由はドア部分は弱点になりやすく、砲弾を食らいにくい上につけるのが一般的だったからだけども、なぜかシャールB1は横についていた。タチが悪いことに出入り口のすぐ近くに75mm砲弾の弾庫があったので、ここに命中弾を食らった場合、誘爆する可能性が高かった。上面がごっちゃしてて、ハッチを設ける場所がなかったのだろうが、これは戦場では問題となった可能性が高い。


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