1号戦車(PzKpfw1)
全長:        4.42m
車体長:       4.42m
全幅:        2.06m
全高:        1.72m
重量:  5.8t(全備重量)
装甲:        13mm
乗員数:        2名
武装:7.92mm機関銃×2
          (1525発搭載)
動力:マイバッハ
    100馬力ガソリン機関
走行性能:最大速度:40km/h
       航続距離:170km
総生産台数:1493両

(上記データは1号戦車B型のものです)
 1号戦車は名前のように第一次大戦後のドイツで初めて作られた戦車。ここ機甲課では「戦車」に分類しているけども、実質的には軽戦車、かいつまんでいえば豆戦車と言える。
 第一次大戦後ドイツは戦車の保有を禁止された。理由は言わずと知れた事だけど、ドイツではトラクターを生産して戦車製造技術を蓄積していた。また、1926年にソビエトとラパロ条約を結び、極秘裏に戦車技術交換を行っていた。訓練などもソビエトにドイツ軍人を派遣してソビエト国内で行わせていた。さすがにそのままではマズいので一旦軍籍を外してからソビエトに向かい、帰国の際に軍籍に戻していた。こうした蓄積が1933年のナチス党の政権取得および同年のベルサイユ条約破棄による軍拡をスムーズに行わせた一因だといえる
 この1号戦車はLas(農業用トラクター)という名称で密かに開発されていた。完成は1934年で、翌年には新しい型が誕生している。前期型がA型、この新しい型がB型と名前がつけられた。エンジンのパワーアップが主の改良だけど、詳細は下に譲るとして、1号戦車の開発目的は訓練用だった。実際、それまでは自動車にハリボテ戦車キャンバスを貼りつけたやつで訓練していたから、その意味では大いにドイツ国防軍に力を与えたと言ってもいいだろう。実際MG13型7.92mm機関銃2丁では実戦での威力はたかがしれているし、戦車に遭遇するとどうしようもなかった。しかし主力戦車の3号戦車や4号戦車の生産が遅れていたため、1939年のポーランド侵攻戦には実戦に使用されている。それ以降は戦闘消耗や第一線から退いていって、前線での1号戦車の数は少なくなっていったものの、1941年6月のソビエト侵攻作戦(バルバロッサ作戦)時にも74両が第一線配備されていた。ただ、やはり7.92mm機関銃2丁の武装や貧弱な装甲では数も質も優れていたソビエト戦車に対抗するのは無理で、同年中には第一線を退いていったようである。
  唯一実戦の活躍を見出せたのが、中国戦線で日中戦争当時(1937年)はドイツと中国は友好関係にあり、また同時に兵器輸出の市場でもあった。中国軍が制式採用していたライフルはドイツのkar98kであったし、武器だけでなく、陣地構築などもドイツからの技術協力を受けていた。この1号戦車も数量は不明だが、中国に輸出されている。中国軍は戦車を逐一投入するなど、あまり戦車戦術は上手ではなかったものの、奇襲攻撃は十分に期待できた。ある戦闘で、中国軍マークの1号戦車が日本の師団司令部を蹂躙した。日本にとって幸いだったのは中国軍戦車がそこを師団司令部と思っていなかった事で、ある程度攪乱したのち引き上げた事だった。また、日本軍が何両かの1号戦車を捕獲し、そこに日本兵が乗って万歳!をしている写真も見受けられるが、さすがに日本の友好国ドイツの戦車の捕獲報道はまずいという事で、掲載不許可になっているのもある。
 訓練用なので、実際の戦場ではあまり戦果は上げなかったものの、訓練用としてでも活躍している。また、1号戦車の製造はダイムラーベンツやMAN社など、後のドイツ戦車製造を行う殆どのメーカーで作られている。この1号戦車の製造で蓄積されたノウハウは後の戦車製造に大いに生かされたのは言うまでもない。


↑1号戦車A型。
 1号戦車はA型とB型があり、これをベースに作られた自走砲もある。

 1号戦車A型:
 初期生産型。後部の誘導輪が接地式になっているのが特徴。なお、後部誘導輪が接地式になっている戦車はドイツではこれだけである(右写真参照)。

 1号戦車B型:
 エンジンを60馬力から100馬力のやつに変えた型。エンジンが大きくなったので、車体が長くなった。そのため転輪が1個増え、後部誘導輪が接地式ではなくなった。普通にドイツの「1号戦車」といえばこれを指す

 15cm33型自走重歩兵砲:
 1号戦車B型の車体にsIG33(33型)11口径15センチ歩兵砲を搭載したタイプ。歩兵砲とは名前のように歩兵と行動を共にする大砲で、普通の支援大砲と違うのは、小刻みに移動するので軽く作られているという点にある。そのしわ寄せは大抵が砲身の長さにきて、ようは普通の大砲の短砲身タイプと考えればだいたい正解。ただ、15センチクラスとなってくると歩兵砲としては重たく(大抵、歩兵砲は馬が引っ張っていた。なお。この大砲の重さは全備重量で2.87tと相当重い)その重たい大砲を自動車化するという着眼点は誉めてあげたいが、もとより小さい1号戦車に15センチ砲とは多少無理があり、装甲板も13mmと薄いにもかかわらず、総重量は8.5tとオリジナルよりも3t近く重くなった。そのため駆動系に問題が生じている。また、大砲を改造を全く行わずに乗せているため(砲架や脚をそのまま1号戦車の車体に乗せて固定している)全高が異様に高い(全高2.9m)
 フランス侵攻作戦時に使われているが、駆動系の故障が多かったとされる。それ以降は記録写真で見かける事はまずない。生産数も38両と極端に少なく、やはり製作者側も無茶だというのを認めていたのだろうか。


一覧に戻る