全長: 6.77m 車体長: ?.??m 全幅: 2.95m 全高: 2.16m 重量: 24t 装甲: 最大50mm 乗員数: 4名 上記データはG型のものです |
武装:48口径75mm砲×1 7.92mm機関銃×2 動力:マイバッハ 300馬力ガソリン機関 走行性能:最大速度:40km/h 航続距離:155km 総生産台数:約9000両 |
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第一次世界大戦は塹壕戦だった。「いかに塹壕を突破するか?」だけを求める戦いだったと言える。初めに使われたのは毒ガスだった。しかしこれは天候(風)の影響をモロに受ける兵器だと実際に使ってわかった。その前に国際条約で禁止されていた上に、相手も「使うぞ!」と互いに脅し合う・・・ようは相互ともに使うに使えない兵器だった。しかし両軍とも隠密裏に使用している。その後の戦術は砲撃で叩く事だった。実際に100万発以上の砲弾を叩きこんだ戦いもあった。しかしそれでも陣地突破はならなかった。理由は猛砲撃してしまうとたしかに相手はビビるそこに突撃攻撃は結構通用した。しかしそこまでだった。砲撃でできたクレーターの無数の穴は補給馬車や大砲の移動を阻害し、敵はその間に何キロか後ろの陣地を構築してまた立て篭もったのだった。んな事やってたら何十年たっても敵国までたどり着けるはずもない。そこで考えられたのが、機動的な大砲を開発し、歩兵の進撃についていけるようにして支援する手段だった。ドイツでは歩兵砲を開発し、一応の成功を見たものの、戦線突破はかなわなかった。イギリス・フランスでは戦車を開発した。最高速度が8キロほどと人間が走るよりも遅かったけども、歩兵の支援なので全く問題ナシ。結果でいえば戦線の突破に成功し、ドイツ軍は国境線まで壊走する事となった。しかし結果的に戦争を終結させたのは内部の敵・・・水兵の反乱・・・だった。
3号突撃砲は1936年6月に開発指示が出されている。条件は ・歩兵支援用の75mm砲を搭載の事 ・人間の身長を超えない事 だった。そのため、3号戦車の車体を流用し、砲塔をつけたら車高が高くなるので砲塔はなくした構造となった。車高2mは切ったものの、1.8mを超える大きさになってしまい、人間(ドイツ兵)の平均身長よりは高くなってしまった。しかしながら、これ以上低くするのも不可能なので、採用された。 用途は上で書いたように歩兵支援用だった。実際歩兵師団で運用され、乗員も戦車兵ではなく砲兵が乗った。ただ、4号戦車と大砲は同じなので、対機甲戦でも活躍はしている。特に歩兵師団では有効な対戦車戦力として相当に重宝がられた。歩兵支援用として活躍したのは無論である。ポーランド・フランス・ソビエトと戦争が進むにつれ、この突撃砲にも対戦車能力が要求されるようになった。特に対ソビエトでは、相手の戦車の数はこちらの5倍以上で、その多くが弱い戦車だったけども、それでも歩兵にとってみたら脅威だった。そのため、歩兵は手榴弾を7個束ねたものを投げ込んだり、地雷を投げたりしなければいけなかったのだから、本来の任務とかけ離れてしまうのはやむを得ない所なのだろう。歩兵支援兵器も75mmでは時代遅れで105mm以上の大砲を要求されてきたという側面もあったのかもしれない。1942年には48口径75mm砲を搭載したF型が登場した。詳細は下に譲るとして、砲塔が回転できないという欠点を除けば低姿勢高威力で対戦車戦でも威力を発揮した。 似たような形状の戦闘車両で「駆逐戦車」というのがあるが、駆逐戦車は対戦車砲を固定砲塔に載せたもので、駆逐戦車には戦車猟兵が乗った。無論任務も全く違ってはいたのだが、戦争中期以降は区別がつかなくなってしまった。実際、突撃砲乗員(砲兵)は戦車兵とは別の服を着用していたものの(形が同じで色が違っていた)、1944年以降は突撃砲乗員も戦車兵と同じ服を着用するようになった。しかし名称は最後まで統一されなかった。縄張りのためか、それとも書類上の識別の問題かは定かではない。突撃砲の対戦車戦使用は結構早く、1941年には独立突撃砲大隊が、1943年には突撃砲旅団が編成されるなど、常に不足していた対戦車戦闘装甲車両の穴埋め・・・というよりは主力の一翼を担い、終戦まで戦った。また、3号突撃砲は戦車として役に立たなくなった3号戦車の車体を流用して作れたので既存品利用としても価値があった。 さて、突撃砲に装備されていて、戦車に装備されていなかったものがあった。それは砲隊鏡で、これは右図を参照して欲しいけどもレンズが上に付いているので、車体に体を隠して観測できた。余談ながら、右のイラストは下絵のまんまです(;_;)で、人物がとってつけたような絵で申しわけないです(;_;)。右図の砲隊鏡は結構デカく(7キロ前後ある)手持ちでの観測は不可能で、突撃砲にはこの砲隊鏡の取りつけマウントが装備されていた。また、右図の兵士の装備でM35ヘルメットを被っている理由は、緒戦では車両兵員にもヘルメットが支給されていたためだけど、評判は必ずしもいいものではなかった。大戦後半には物資節約の理由もあり支給はされなくなった。また、線画なのでわからないけども、突撃砲乗員は戦車兵と服の形は同じだけど生地は歩兵と同じで階級章も歩兵と同一だった。あと、右イラストの砲隊鏡には支持架がついているけども、突撃砲にはこの支持架は装備されていなかった。なぜ描いているかというと、資料に描かれていたという単純な理由です(^^;)。話は戻して、これは突撃砲乗員は上でも書いているように砲兵が乗っている。砲兵には砲隊鏡が装備されているので(砲兵といえど塹壕に隠れて観測するから)その都合だけども、戦車兵はうらやましがった。自費購入の双眼鏡程度はあったものの、車体から体を乗り出す必要があった。かといってハッチを閉じたままでの観測では状況確認が難しい。実際ソビエト戦車兵は戦闘中はハッチを閉じて行動する事が多く、それが敵発見を遅らせて戦闘に負けるという事例も少なくなかった。そこで、戦車兵はなんとか砲隊鏡を持ってきて装備した人もいた。「持ってきて」とは聞こえがいいが、早い話が「強奪」で、ドイツ戦車兵のエース「Otto Carius」中尉の自伝にも「強引に持ってきた」という記載がある。 3号突撃砲のバリエーション 3号突撃砲O型: 3号突撃砲の初期型。5両が生産された。なぜ一番最初の型なのに「O型」なのかは理解に苦しむが理由は不明。3号戦車B型(これまた試作)の車体を流用しており、転輪が8個あるので、4号戦車の車体流用品と見間違えるかもしれない。 3号突撃砲A型: 3号戦車F型の車体を流用して作られた。1940年5月までに30両が作られた。一部はポーランド戦に参加している。また、これはO型(初期型)からなのだが、照準口が大砲の右(正面から見て)ぱっくりと開いている。O型は両側面に跳弾板(洗濯板みたいな波状の板)をつけて弾丸進入に備えていた。A型からは、上下面にも跳弾板をつけていたものの、戦場に投入すると弾丸進入は深刻な問題となっていた。しかしC型までは改善はされなかった。自走砲ならともかく、突撃砲は第一線で戦うので大問題だったのは想像に固くない。 3号突撃砲B型: 3号突撃砲A型の駆動系を新しくしたバージョン。320両が生産された。A型との外見上での変化は殆どないので、写真での識別は難しい。 3号突撃C型: 1941年5月から生産された。3号戦車H型の車体を使っている。50両が生産された。一番の違いは、照準穴がぱっくりと開いた穴からペリスコープ式になった。これでようやく銃弾進入の問題は解決された。 3号突撃砲D型: 生産ロットの違いだけで分けられた型。ようは紙の上での違いだった。C型との違いは全くない。150両が生産された 3号突撃砲E型: 24口径75mm砲を搭載した最終型。外見上の違いは、両側面が斜め装甲から垂直装甲になり大きな雑具箱がついた。また、変速機点検用ハッチの蝶番(ちょうつがい)が外側についていたのが内側埋め込み式となった。被弾の関係と考えられる。そのため、上記の型との識別は比較的容易である。1941年9月から生産が開始され翌年3月までに272両が生産された。
1942年になるとこの突撃砲にも対戦車任務を要求されるようになった。そのため対戦車砲の48口径75mm砲を搭載した。長い砲身のため駐退器がデカくなるので、戦闘室前面は新設計となっている。駐退器が納まりきらず砲身の上に装甲されて配置されていた。ここがこのF型の欠点とも思えなくはないが(ここを壊されると射撃不能になる)、対戦車戦闘では威力を発揮した。生産数は不明 3号突撃砲G型: 3号突撃砲の最終系。7720両と大量に生産された。F型と大砲は同じなものの、戦闘室前面の再設計が行なわれ、駐退器も新型に変え駐退器も完全に車内に納まった。装甲も前面は50mm+砲盾50mmで遠距離ならばT-34の76.2mm砲なら真正面に当たったらはじき返せた。外見上の違いは車長用のハッチが戦車みたいにキューポラになった事で、ペリスコープもつけられた。機関銃も車体上面に増設されている。遠隔操作ができたという。かなりバランスがとれていたので戦車部隊にも配属されていたという。 3号突撃榴弾砲: 上記名称は仮称。制式名称は不明。28口径105mm砲を搭載したタイプで、もはや火力支援は75mm砲では不満があったのだろうか?ともあれ突撃砲のあるべき姿だとも思えなくはない。1942年から1943年にかけて生産されたというが、生産数は不明。 4号突撃砲: 1943年に3号戦車が生産中止になったので、車体を4号戦車に変えたもの。戦闘室は3号突撃砲とほぼ同じ。終戦までに1108両が生産され、対戦車戦闘に使われた。固定砲塔という欠点を除けばそれなりに強力で、対戦車装甲車輌の一翼を担った。 |