4号戦車(PzKpfw4)
全長:        7.02m
車体長:       5.92m
全幅:        2.88m
全高:        2.68m
重量:          25t
装甲:     20〜80mm
乗員数:        5名

(上記データは4号戦車H型のものです)
武装:48口径75mm砲×1
         (80発前後搭載)
    7.92mm機関銃×2
        (3000発前後搭載)
動力:マイバッハ
    300馬力ガソリン機関
走行性能:最大速度:38km/h
       航続距離:210km
総生産台数:8344両
      (試作型・派生型除く)
 ドイツでは1933年にナチス主導の連立内閣が成立した。ここから、ドイツの本格的な軍備が始まった。4号戦車は1934年に開発指示がだされており、再軍備宣言が翌年だという事を考えれば相当に早い段階に開発が指示された。3号戦車よりも早い。実際、4号戦車が設計的に古めかしい。たとえば2つ1組の転輪をリーフスプリングで支えるという方式だったからそういわれている。しかしながら、車体面積を稼げるという利点もあった。後述するけども、そのためにいろいろな改良や派生型を作る事ができたし、その堅実な作りは初期生産型と最終のJ型と車体は殆ど変化がないという、初めから完成された作りともなっている。
 開発目的としては、主力戦車の火力支援だとされている。ようは、対戦車砲を潰すのが目的である。実際、戦場では戦車を撃破するよりも対戦車砲を撃破する方が価値があると言われた。
 さて、4号戦車には上記の理由で24口径という短砲身の75mm砲が据え付けられた。この砲は、対戦車向きではないけども、それでも75mmの大口径の砲は3号戦車の45口径37mm砲よりは威力はあった。初速は37mm砲のちょうど半分だけども弾の重量は10倍もあるので、1000mの距離で49mmの装甲貫通が可能だった。これは戦車にも十分対抗ができた。これは、単純に数値データだけなら3号戦車の42口径50mm砲よりも威力はあった。その大口径の威力はポーランド戦線やフランス戦線で遺憾なく発揮された。ただし、マチルダ2の前面装甲はさすがに貫けなかった。しかし、くどいけども本来は対戦車戦闘が目的ではなく、火力支援が目的だった。よく「初期の4号戦車は対戦車戦闘を考慮してなかった。機甲師団による電撃戦を行ったドイツでさえ、この有様なのだ」とかかれているのを見かけるけども、これは筋違いではないかと思える。
 さて、重大な変化が起こったのは独ソ戦からで、主力戦車の3号戦車および38(t)戦車では敵のT-34戦車やKV-1戦車には対抗できなかった。そこで4号戦車の出番であるが、T-34に限っていえば装甲は45mmで(砲塔前部はさらに45mmの装甲があったけど)側面で40mmだったので、理屈の上では3号戦車の37mm砲では側面でも撃破不可能だけども4号戦車の75mm砲では撃破は可能・・・な筈だったけども、T-34戦車は傾斜装甲で命中させても弾がはじかれる事もあった。もはや、37mm砲は時代遅れで75mm砲も短砲身ではどうしようもなかった。なにせ、火力支援にしても、敵のソビエト軍は76mm砲をカノン砲化し122mm砲や152mm砲を火力支援として使ってきていたのである。そこで1942年春頃に43口径75mm砲を搭載したF型(F型の生産途中で43口径75mm砲を搭載したので一般にはF2型と呼ばれる)を登場させた。これは同年夏までに、アフリカ戦線と東部戦線で使用されたものの、特にアフリカ戦線のイギリス軍は43口径75mm砲の威力に驚愕し「Mk.4スペシャル」と呼び警戒し恐れたという。東部戦線でもT-34を正面から撃破可能になったのでソビエト軍もさらに新型のT-34の開発を急がせた。実際、同年のソビエト戦車の写真では追加補修と思われる追加装甲板を溶接されたT-34戦車の写真が見受けられる。西部戦線ではこれで十分な性能だった4号戦車F2型だったけども、東部戦線では装甲を増して砲身を長くしたT-34が登場するにいたって、48口径75mm砲を搭載したH型を登場させた。装甲も両サイドにスペースドアーマーを取りつけていた。これで、相当にバランスの取れた戦車だったものの、武装強化もそこまでだった。西部戦線では互角以上に戦えたものの、東部戦線ではT-34も85mm砲を搭載するようになり、また重戦車JS-2も登場していた。もはは劣勢はいかんともしがたかった。
 結局、終戦まで使われて、戦後も一部がシリア軍で使用され1967年の第三次中東戦争で実戦投入されるなど、東部戦線では劣勢なれど、バランスのとれた戦車であったには違いない。
 最初に「古めかしい」と言ったけども、砲塔旋回用に補助エンジンを搭載したりとある程度の新機軸を導入していたりもしている。また、車体もバランスが取れており、対空戦車や自走砲などのベースともなっている。
 ティーガー戦車やパンター戦車と比べると、どうしても地味な存在だけども、前線の兵士からは「軍馬」と呼ばれており、相当に頼もしい存在とされていたのが分かる。


 4号戦車のバリエーション

 4号戦車D型:
 最初の量産型。229両が生産された。24口径75mm砲搭載で、主任務は上で書いたように主力戦車の支援にあった。

 4号戦車E型:
 D型の装甲を厚くしている。前面装甲はD型は30mmだったのに対して50mmに強化された。また、砲塔も新型となった。重量が20tから21tに増えている。223両が生産された。

 4号戦車F型:
 これまでの4号戦車は操縦室の前面が2段になっていたのを、一体物で製作している。そのため生産効率が良くなりまた、車内スペースも広くとれるようになった。この方式は最終型のJ型まで行われている。また、装甲強化も行われ側面装甲を20mmから30mmに増やした。これが一番決定的な改良点なのだけど、生産途中から43口径75mm砲を搭載した。24口径75mm砲搭載型をF1型と呼び43口径75mm砲搭載型をF2型と呼ぶ。3号戦車J型なんかは砲身の長さの違いではいちいち呼び分けしないけども、F型は呼び分ける必要があるほど戦闘能力は違っていた。重量は23tに増えた。637両が生産されうち175両はF2型だった。

 4号戦車G型:
 F型と同一仕様。側面にサイドスカートと呼ばれる、スペース付き追加装甲を行った。生産途中からより強力な48口径75mm砲を搭載した。しかし、G1型G2型とは区別はされない。これでM4シャーマン戦車とはほぼ同じ防御力になったとされる。1687両が生産された。

 4号戦車H型:
 G型後期型とほぼ同じ。各部が簡略化されたというが詳細は不明。3774両が生産された

 4号戦車J型:
 4号戦車の最終型。1758両が生産された。砲塔旋回用の補助エンジン(モーターとする資料もある)を外してそのスペースに燃料タンクを新設した。


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