A7V

全長:        ?.??m
車体長:       7.35m
全幅:        3.06m
全高:        3.30m
重量:          32t
装甲:      7〜30mm
乗員数:      18名(!)
武装:57mm砲×1
    7.92mm機関銃×6
動力:100馬力ガソリン機関
    ×2
走行性能:最大速度:9km/h
       航続距離:80km
総生産台数:20両
 戦車という兵器は第一次世界大戦に登場したのは承知の通りで、最初に実戦投入したのはイギリス軍だった。敵のドイツ軍はライフル弾を跳ね返す鉄の塊に混乱し、戦線に何キロもの穴をあけられた。ただ、当時の戦車は故障が多く、期待とおりの戦果とまではいかなかった。また、当時の戦車は大きさのワリに装甲が薄く、徹甲弾のライフル弾なら貫通されてしまい、なにより鈍足なので砲撃に弱かった。ただ、前線の歩兵にとっては戦車は恐ろしいもの以外の何物でもなく、また、戦車の有効性はダメージを受けたドイツ軍は百も承知だった。
 ドイツ軍はイギリス軍の捕獲した戦車を徹底的に研究して、作ったのがA7Vだった。コンセプトは「とにかくイギリス戦車を上回る戦車を!」だった。そのため用兵思想的な点が殆どなく、”とりあえず作ってみた”みたいな批評もなされる。エンジンも100馬力のを2つ搭載してイギリス軍戦車よりは速く走れた。とはいえ最高速度が9キロではたかがしれてはいる。あと、イギリスのマーク1戦車と比較して優れている点といえば、懸架装置があることで、マーク1戦車にはなかったけども、A7Vはバネがついていて、マーク1戦車と比べれば多少は乗り心地は良かったと想像される。
 形状は戦車というよりは「走る鉄箱」でキャタピラまでも装甲板で覆われている。そのため塹壕を超える能力は劣った。また、やたらとデカいのでまっすぐ走るのならイギリス戦車に勝っていたものの、操縦性は最悪だった。
 1918年4月24日にこのA7Vとイギリスの戦車(型式は不明)と交戦し、世界初の戦車対戦車の戦闘が行われた。機動性に劣ったドイツ軍のA7Vはイギリス軍戦車に横に回られて撃破されてしまった。
 結局は生産数20両と前線で活躍するにはあまりにも少なすぎた数だった。結局、ドイツは敗戦。戦車保有は禁止された。ここにドイツ戦車は長い眠りにつくのだった。

 A7Vは上で書いたように、まさに走る鉄箱。全周射撃可能なように(大砲は前方のみ)機関銃を配置しているので、搭乗兵員もやたらと多い。戦車長、操縦手、機関手(エンジンの調子を見る人)×2、砲手、大砲装填手、銃手×6、銃装填手(兼機関助手)×6の計18名。この18名は機銃手は歩兵、機関手は機関兵、砲手は砲兵と混成部隊だった。んでも18名搭載とはやたらと多く、イギリスのマーク1戦車でさえ8名だし、大戦間の多砲塔戦車の典型だったソビエトのT-35重戦車(砲塔数5個)でさえ11名の乗員だった。これは無論1台の装甲車両に乗せられた世界記録で、兵員輸送装甲車両でもこんなに乗せられるのはないし今後も破られる事はないだろう。その意味では珍しい戦車でもあったといえる


 A7VのバリエーションにはA7V-Uというのがある。塹壕を超える能力がA7Vは劣っていたので、それを改善した型で、見た目にもイギリス軍の菱形戦車と同じくなってしまった。ただ、装甲は厚く最大で30mmと対戦車ライフルでも貫通不可能になったし、速度も最高で10km/hと当時としては結構速く走れた。しかし兵員は18名とA7Vと全く同じで、無論、イギリスのマーク1戦車よりも一回り大きい寸法になっている。試作段階で終戦を迎えた。


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