エレファント(SDKfz 184)
全長:        8.14m
車体長:       ?.??m
全幅:        3.38m
全高:        2.97m
重量:          65t
装甲:    正面 200mm
        側面 100mm
乗員数:        6名
武装:71口径88mm砲×1
    7.92mm機関銃×1
動力:マイバッハ
  300馬力ガソリン機関×2
走行性能:最大速度:30km/h
       航続距離:150km
総生産台数:90両

左写真は見て分かるように
WTMのやつですね(^^;)
 ティーガー1重戦車開発にあたってはヘンシェル社とポルシェ社が開発にあたっていた。結局はヘンシェル社のが採用されたけども、ポルシェ社の案が劣っていたのか?といえばその通りなのだけども(^_^;)、いろいろな新機軸を設けてあった。エンジンは普通のエンジンだけども、エンジンで発電させてその電気を充電電池に貯めてモーターで動かすという機軸や、サスペンションはトーションバーを内部に組み込んでそれぞれ2個の大きい転輪を配置するという、独創的な設計だった。走行試験ではこの凝った仕組みが裏目に出た。平坦な所をまっすぐ走る分には問題がなかったものの、特に電動モーター式の駆動装置は坂道を登るときにすぐにオーバーヒートした。これが致命的となってヘンシェル社のがティーガー1重戦車として採用された。
 ただ、困ったのはポルシェ社で、せっかく100両分も資材を調達してるのに、採用されなかったのだからこれはムダとなってしまう。これは困った(;_;)とばかりに、この不採用VK4501(ティーガー1重戦車の試作名)の資材をなんとか流用して戦闘車両を90両作った。これがエレファント駆逐戦車だった。ただ、完成当時はフェルディナンド(ポルシェ博士の名前)と呼ばれていた。元々は装甲100mmだったのを追加100mmの装甲板をボルト止めして200mmとしたため、原型よりさらに重く65tという超重量級な戦闘車両となった。主砲は71口径88mm砲で攻撃力に限って言えば当時の重戦車の花形だったティーガー1重戦車の56口径88mm砲よりは威力があったので、相当に期待がされており、1943年7月のクルスク戦に投入された。
 クルスク戦では第653と第654戦車駆逐大隊に配属されて戦ったものの、結果からいえば殆ど活躍はしなかった。理由として、VK4501(P)((P)はポルシェ型の意味)と比較して10t近く重くなっているのに電動モーターはそのままで、エンジンが少し強化されているけども、それでも足りなかった。確かにエンジンで発電して充電電池を中継して電動モーターを動かすという、今風にいえばハイブリッドカーだけども、今の技術でも2tちょっとの自動車を動かすのでも坂道なんかはエンジン動力の補助が必要なぐらいだから、65tの重装甲車両を動かすには力不足だった。ちょっとの坂道でもオーバーヒートしたと言われる。広大なロシア平原でも・・・地図上でみても緑一色で塗られている所でも、坂道はいっぱいある。その坂道が強敵だった。電動モーター駆動はトランスミッションが不要になり軽くでき、また無段階変速が可能でかなりの利点であると製作者は主張していたが、所詮は机上の空論に過ぎなかった。あと、戦略的な欠点として、電動モーターは戦略物資である銅(銅線)を大量につかった。ドイツは鉄とアルミは大量に仕入れられたけども、銅はあまり手に入らなかった。戦前のデータだけども、資源小国である日本の3分の1しかドイツでは取れなかった。ここも大量生産には向かない欠点でもあった。ただ、設計者の弁護の余地はある。この当時のトランスミッションはドッグクラッチが主流で、シンクロメッシュトランシュミッションを採用していたのはアメリカのみだった。ドッグクラッチはエンジンとの回転力を一致させないとガリガリとやかましい音をたてるし壊れやすい。今の我々はより高度なシンクロメッシュトランスミッションがついた自動車を運転している。そんな我々には想像もできない苦労が戦車操縦手にはあったのだった。「トランスミッションが不要」なこのハイブリッドエンジンをどうしてなにも吟味せす「駄作」と言いきれようか!。
 また、思わぬ敵もあった。それは歩兵で、この車両は機関銃を装備しておらず、対戦車戦には相当有効だったものの、歩兵の白兵戦でやられる車両が少なからずあった。VK4501(P)には車体前方に機銃用の穴があったと思われるが、恐らく100mmの追加装甲を付けたときにそのまま塞いでしまったと考えられる。結局クルスク戦では上記2つの理由で対した活躍はできず、残った車両は本国に送り返された。そして、前方に機関銃が追加されいろいろな改修を施した。この改修は48両に実施され、名前も”エレファント”と命名された。エレファントは今度はイタリア戦線に送られた。なんで山がちな地形にわざわざ送られたのかは分からないけども、そんな山がちな所でどこまで駆動系が耐えられたかは不明。もっとも、この頃になると防戦一方だったので、攻撃力と防御力が備わったエレファントはそこそこは活躍したと思われるが、戦績は不明。
 作られた頃の他の対戦車自走砲は装甲が薄く、その意味では重装甲なエレファント画期的な車両ではあった。ただ、極端といえるまでに装甲を厚くして、極端といえるまで駆動系に泣いた。機動力のなさの理由といえば、所詮は「余剰品」から作ったのだから仕方がないといえばそれまでなのかもしれない。


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