38(t)突撃砲"グリーレ"(SdKfz 138/1)

全長:        4.61m
車体長:       4.61m
全幅:        2.16m
全高:        2.48m
重量:         10.5t
装甲:        ??mm
乗員数:        ?名
武装:12口径150mm砲×1
    7.92mm機関銃×1
動力:???
走行性能:最大速度:42km/h
       航続距離:???km
総生産台数:372両
 ドイツ軍は日本軍同様に歩兵砲と呼ばれる大砲を重宝した軍隊である。歩兵砲とは最前線で歩兵の支援を行うための大砲でこれは第一次世界大戦からの戦訓で支援のない歩兵の突撃はいたずらに死傷者を増やすばかりであった。また、当時はアルプスでの山岳の戦闘も行われており、歩兵に随伴できるような軽い大砲が望まれた背景もあった。歩兵砲はできた当初は直射砲と曲射砲の2種類ができた。ただ、第一次世界大戦で使われたのは前者だった。特に有名なのはフランスのプトー37mm砲で、これは同じフランスの戦車、ルノーFT17にも搭載されている。曲射とはようは直接照準せず山なり弾道で敵に撃ちこむ事で、これは75mmクラスが多かった。これ以上大きくすると重くなり機動性がなくなるからである。ただし、ドイツ軍は150mmクラスの歩兵砲をつくっていた。確かに榴弾を撃ちこむならばデカい方がいいに決まってるからその気持ちは良く分かるけども、馬で引っ張らせていたけども、3t近くあるこの大砲を馬で引っ張らせるのはさぞ大変だったろうと考えられるし、少しの坂道でも動かすのは大変だったろう。もっともこれは日本的な考えで(この重量なら日本の馬での繋駕は難しい)日本の馬よりも馬格がずっと優れていたドイツの馬ならなんとか引っ張れたのかもしれない。
 さて、ドイツにはslG33という150mm歩兵砲があった。重量2872kgで砲弾の重さが38kg(榴弾の重さ)の大きい大砲で、言うまでもなく威力はあったけども、馬で引っ張るには重すぎた。この150mm歩兵砲の自走化は結構早い段階から考慮されていて、1号戦車の車体にこの大砲を乗せた車両が1940年のフランス戦で登場した。ただ、この車両は150mm歩兵砲を砲架ごと車体に乗せているため、幅のワリに異様に車高が高くなった。重量も1.5倍になったのに、エンジンやキャタピラはそのまま。これでは軽快な機動力が確保される筈もなかった。そこで、2号戦車に乗せた車両も誕生している。これは車高がかなり低く抑えられていたけども、何らかの問題があったのか12両しか生産されず、また生産された車両は全てアフリカ戦線に送られた。今度はチェコ製の38(t)軽戦車の車体をベースに開発された。これがグリーレで、形状を見ても2号戦車の150mm自走重歩兵砲の回りに装甲板を覆っただけにしか見えないが(無論足回りも2号戦車バージョンと違っているけど)、それなりに使い勝手が良かったようであらゆる前線で活躍している。
 生産は初期生産型のH型が90両生産され、車体を改良したM型が282両生産された。H型は38(t)軽戦車の車体をそのまま改造したタイプで、M型はエンジンを車体中央に移して戦闘室を広くしたタイプである。ただ、生産数には諸説あり両タイプ合わせて約1100両作られたとする資料もある。
 なお、グリーレ(Grille)はドイツ語で「コオロギ」の意味で、これはドイツ軍の自走砲は虫の名前をつける慣習があったため(ヒトラーがそうしろと言ったというのが定説)につけられた。


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