3/4号自走砲"フンメル"(SdKfz 165)

全長:        7.17m
車体長:       ?.??m
全幅:        2.97m
全高:        2.81m
重量:          24t
装甲:      最大12mm
乗員数:        6名
武装:30口径150mm砲×1
    7.92mm機関銃×1
動力:マイバッハ
    300馬力ガソリン機関
走行性能:最大速度:42km/h
       航続距離:215km
総生産台数:724両
 第2次大戦の戦いは火力が物を言う戦いとなった。基本的には戦後も変わらない。陸上戦闘のそれは大砲だった。一口に大砲といっても、榴弾砲やカノン砲などがあるけども、いかに大口径の大砲をいかに大量にそろえるか、いかに迅速に戦場に投入できるかで勝敗が決まったといえば過言だろうか?。そういえば、ナポレオン最後の戦い「ワーテルローの戦い」では地面がぬかるみになっており、フランス軍の大砲部隊の到着が遅れたのが敗因の1つとされる。
 ドイツ軍ではその点は十分に理解していたといえる。ドイツではワイマール憲法下でもその点はぬかりなく、1926年から1930年にかけてじっくりと150mm榴弾砲の研究をしていた。1933年にsFH18の名称で採用され翌1934年から部隊配備が始まった。余談ながら、このsFH18はイタリア軍でも149/28野砲という名称で採用された。さらに余談ながら、「149」というのは口径149.1mmの意味で、イタリア軍ではなぜか中途半端な口径の大砲を採用していた。またまた余談ながら、明治初期にイタリア軍の大砲を参考にして作っていた日本でも終戦まで「15センチ砲」と呼ばれた大砲の口径は149.1mmだった。
 話は戻して、それまでのドイツ軍大砲は馬で引っ張っていたけども、さすがに6.3tのこの大砲を馬で引っ張るのは無理で、自動車牽引を行っていた。1939年のポーランド戦や1940年のフランス戦ではこれで戦い、大きな戦果を上げた。
 1942年になって、自走砲の要望が前線からあったようで兵器局では自走砲の開発に乗り出した。前年のソビエト戦では、ロシアの悪路では自動車牽引でも引っ張るのが難しい曲面もあり、特に泥濘の地形では1日に1キロしか進めない状況もあったというから、自走砲の開発・配備は愁眉の的となっていた。当初は3号戦車の車体にleFH18Mという105mm榴弾砲(余談ながら最初の「l(エル)」はライヒトの略で「軽い」という意味。最後の「M」はマズルブレーキ搭載型の意味)の搭載自走砲を考えていた。ただ、105mm砲は2号戦車にも搭載できたし、なにより前線ではより大火力の自走砲を要求していた。
 のちにフンメルと命名されるこの150mm砲搭載の自走砲はは3号戦車と4号戦車を組み合わせた車体が開発されていて、それを使う事になった。余談ながらこの車両は対戦車自走砲のナスホルンにも使われた。そのため両者とも車両はよく似ている。実際、搭載されている大砲のみが違うといっても過言ではないだろう。ただし、開発はこのフンメルの方が先だった。また、sFH18 150mm榴弾砲をそのまま乗せているので駐退器がそのままで、ここは車体からはみ出しているから、全高はこの分だけフンメルのほうが高くなっている。。この3/4号車体にsFH18 150mm榴弾砲搭載にあたっては、車体エンジンを中央に移して後部戦闘室を広くした。これはナスホルンも同じだけども、ナルホルンの大砲の弾(88mm対戦車砲弾)は薬莢込みで12キロぐらい合ったのに対して、フンメルの150mm榴弾は38キロあったから広い戦闘室は必須だった。また、このレイアウトは射角をとるにも都合が良かった。
 1942年10月には試作車両が完成。翌年からは量産され、1943年5月中頃までに約100両が完成した。当時予定していたクルスク決戦にそなえて、わざわざ作戦期間を延ばしてでもフンメルを配備した。配備先は機甲師団および装甲擲弾兵師団の砲兵連隊に配備された。ただし、数が少なかったため第一大隊のみの配備となった。他の2つの大隊はヴェスペが装備されたというが、こちらも数が少なかったから実際には牽引砲が配備されていたのではないかと考えられる。
 支援自走砲のため華々しい戦果があまりなかったけども、支援火力としては文句なかった。そのためクルスク戦以降も装備要請が相次ぎ、終戦の年まで生産が続行され結果的に724両が生産され(714両という説もある)東西両戦線で活躍した。

 派生型として、大砲を取り外して全周装甲を施した弾薬運搬車も作られた。これは150mm砲クラスとなってくると砲弾も相当大きく、車内に詰めこめる数も少なくなってくるためで、だいたい3両に1両の割合でこの弾薬運搬車が配備されていた。フンメル装備の部隊は6両の自走砲に2両のこの弾薬運搬車をひっくるめて重自走砲中隊を編成して戦いに挑んでいた。この弾薬運搬車の生産数は157両で、フンメルの生産数と比較すると3両に1両の割合を満たしていない。そのため、前線ではトラックなどがこの代役を果たしていたかと考えられる。


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