6号駆逐戦車(ヤークトティーガー)(SdKfz 186)

全長:       10.65m
車体長:       ?.??m
全幅:        3.63m
全高:        2.95m
重量:         75.0t
装甲:     最大250mm
乗員数:        6名
武装:55口径128mm砲×1
    7.92mm機関銃×1
動力:マイバッハ
    594馬力ガソリン機関
走行性能:最大速度:28km/h
       航続距離:???km
総生産台数:77両
 ハンムラビ法典に「目には目を」というのがある。ようは、他人の目を潰したものはそいつの目を潰せというものだけども、広い意味でよく使われる言葉である。戦車で攻めてきたら戦車で迎撃するのが一番良かった。
 ヤークトティーガー(ベタ訳せば「駆逐する虎」?)の開発自体は1943年初めから出されたとされる。ベースになったのは、当時開発がスタートしてまもなかったティーガー2重戦車をベースに行われた。ただ、わかっているのはここまでで、どういった要求が盛り込まれたのかは不明。搭載されたのは128mm砲だけども、これはクルスク戦でVK3001という装甲車両に搭載されて実戦投入された経緯もあった。「VK」は試作車の意味で早い話が実験的な投入だった。装甲はないに等しい対戦車自走砲だったけども、2両でT-34戦車を22両撃破した記録がある。その好成績からヤークトティーガーに搭載されたのだろうかなと思える。
 さて、車体は固定砲塔の駆逐戦車でパンター戦車をベースに作られたヤークトパンターと似ているけども、違っているのはヤークトパンターは車体をそのまま上に延長したような形になっているのに対してヤークトティーガーは砲塔を固定したような形状になっている。128mm砲を積むのだから、28kgの砲弾を手動で装填するのだから広い戦闘室が必要だったからだろうけども、被弾性はヤークトパンターに劣った。ただ、その点を補ってあまりある装甲があった。前面装甲で250mmもあった。当時の戦車ならば1000mの距離でこのヤークトティーガーを真正面から撃破できる戦車はどこにもなかった。また、128mm砲は1000mの距離では自分を除くいかなる戦車をも撃破可能だった。しかし、欠点もあった。重すぎた。エンジンはティーガー2重戦車と同じなのに重量は7t増えていた。68tのティーガー2重戦車でさえ脚回りの弱点が露呈したのに、75tのヤークトティーガーではなおさら足回りが弱かった。
 1944年4月に試作車両が完成。ただし、就役時期は不明。総生産数が77両と少なかったため配備先も第560、第653戦車駆逐大隊に配備された。また重戦車の代用として第512重戦車大隊に配備された。配備されたのはこの3部隊だけだった。1944年12月のドイツ軍西部戦線最後の攻勢「ラインの守り」作戦(バルジ作戦)に第653戦車駆逐大隊が投入されたものの、戦果は不明。その高威力・高防御力で連合軍を圧倒したのは想像に固くはないが、鈍重な駆逐戦車なので、どの程度活躍したかは不明。他の装甲車両と同様、燃料切れで放棄されたのもあったのではないか?。燃料も相当に食った筈である。動けなくなった駆逐戦車は動けなくなった戦車以上に役に立たなかったからである。
また、第512重戦車大隊はルール工業地方に防衛部隊として配備されていた。
 1945年3月7日。アメリカ第7軍はライン川に到達。そこに爆破されていない鉄橋を発見した。それは第一次大戦中にドイツ帝国によって建設され兵員や物資を西部戦線に送りこむために作られたレマーゲン鉄橋だった。ドイツ側は爆破を試みたものの、用意されていた爆薬は軍用ではなく工業用の威力の小さいものだった。さらなる不幸は、本来レマーゲン鉄橋には爆破用の穴を作っていたものの、第一次大戦のドイツ敗北によって、フランス側によってその穴が埋められており効果的な爆破ができなかった。アメリカ軍工兵隊は残りの爆薬を排除してライン東岸への進出路とした。アメリカ側は喜びドイツ側は驚愕した。当然ながらドイツ側はレマーゲン鉄橋の破壊を計画する。まずは、戦略弾道ミサイルV2による攻撃。11発が発射されたものの、1発が300m近辺に落ちたけども、命中弾はなかった。やはり陸上部隊には陸上部隊を。、レマーゲン鉄橋東の橋頭堡(拠点)の防衛が成功する前に駆逐する方法を取った。ドイツ陸軍の総力を結集してこの反撃は開始された。ヤークトティーガーを装備する第512重戦車大隊も投入された。1945年3月10日、レマーゲン鉄橋近辺の激しい攻防戦でヤークトティーガーがどの程度活躍したかは不明。ただ言えるのは奪還はかなわかったという事実だけだった。余談ながら、3月15日にドイツの誇るジェット爆撃機による破壊が実行され、22機が出撃したものの、16機が撃墜され橋の破壊はついにできなかった。
 似たような兵器にアメリカのT95自走砲があるけども(重量はT95が重い)こちらは2両の製作で終わった。終戦になったからだけども、連合軍の空襲が激しいさなかに77両も作って戦場に投入したドイツは立派だと言えるだろう。性能面でもヤークトティーガーはT95と比較にならないほど優れていた。


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