対戦車自走砲”マルダー”シリーズ

全長:        6.36m
車体長:       ?.??m
全幅:        2.28m
全高:        2.20m
重量:         10.8t
装甲:      最大15mm
乗員数:        ?名
武装:43口径75mm砲×1
    7.92mm機関銃×1
動力:マイバッハ
    140馬力ガソリン機関
走行性能:最大速度:40km/h
       航続距離:???km
総生産台数:2332両

(上記データはマルダー2のものです)
 1941年6月22日にドイツ軍は突如としてソビエトに攻めこんだ。緒戦では軍上層部も戦果を疑うほどの快進撃だったものの、個別の戦闘では特に戦車戦では苦戦する事もあった。ソビエト軍の新鋭戦車T-34戦車とKV-1重戦車は特に当時のドイツ軍にとっては大敵だった。戦略上での欠点を上げればソビエト軍の戦車戦術がドイツに比べて極端に劣っていたので、各個撃破されていったのだけど、それは大局的な話であった。戦術的・・・つまり各個人での遭遇戦ではまさに大敵だった。なにせ、こっちの砲弾は弾き返し向こうの砲弾はこちらを貫通するし、機動性は向こうが優れていたのだから脅威以外の何物でもなかった。当時のT-34戦車は砲手と戦車長が兼ねていたから指揮能力が劣ったなどというセリフは戦後の平和な人間の論ずる議題であって、当時の前線のドイツ軍将兵にすれば、大敵・・・天敵と言っても良かっただろう・・・だった。
 かくして、「何がなんでもこれらソビエト軍新型戦車を撃破できる装甲車両を!」作ることになった。このコンセプトでできたマルダーシリーズをピックアップしてみたい。


 76.2mm対戦車自走砲:

 現地部隊では2号戦車を流用した火炎放射戦車に火炎放射機能を取り外して捕獲していたソビエト軍の51口径76.2mm砲を乗せて戦力化した。1942年4月から実戦で使用された。装甲はないに等しかったものの、攻撃力は相当なもので、当時のソビエト軍戦車ならば、1000m以内であればKV-1重戦車を除く全てのソビエト戦車を撃破できたため、急造にしては相当に活躍したし、ドイツ軍にしてみれば頼もしい戦力だった。欠点といえば、捕獲品の大砲なので補給部品がなかった事だった。改造された台数は不明。現地改造品のため制式名称はなかった。ただ、これ以降の対戦車自走砲が”2”から始まるので、この車両が”マルダー”と呼ばれていた可能性もあるが、実際には不明。


 2号対戦車自走砲”マルダー2”(SdKfz 131):

 1942年7月からは2号戦車F型の車体に自国のPak40 48口径75mm砲を搭載したマルダー2がようやく実戦投入された。配備先は歩兵師団や機甲師団の戦車猟兵部隊に配属された。相変わらず防御力は低かったものの、威力は絶大だった。この頃になると4号戦車F2型(43口径75mm砲搭載)が登場していたものの、数は多くなく、だいいち戦車として価値がなくなっていた2号戦車を再生させた意義は大きかったといえる。急造品とはいえ相当に活躍したという。1943年2月からは2号戦車の車体は全て、自走砲”ヴェスペ”に改造せよとのヒトラーの命令もあったため、そこで生産は終了し、下のマルダー3に移行する事になった。576両が生産された。


 38(t)対戦車自走砲”マルダー3”(SdKfz139,138):
名称こそ”マルダー3”だけど、上記2つよりは開発時期は早い。開発開始は1941年秋からとされる。当初は捕獲したソビエト軍のM1936型76.2mmカノン砲の搭載を計画していた。こうして完成したのがマルダー3(SdKfz139)で合計363両が生産されうち66両が1942年7月に北アフリカ戦線に送られた。たぶん、ロンメル元帥の最後の攻勢作戦に合わせて送ったと考えられるが、なんで自軍の兵器体系にない大砲搭載の戦闘車両を送りこんだのかは不明。東部戦線なら「弾は敵から分捕れ!」とでも言えようがイギリス軍も使っていない大砲なのだから。さて、さすがに、自軍で使っていない大砲の搭載は問題だったようで、やがてPak40 48口径75mm砲に変えられる事となった。ただし、名称は同じ”マルダー3”だった(型式はSdKfz138となぜか1つ若い)。この型式は1944年初期まで生産が続けられ1393両が作られた。なおこのPak40搭載マルダー3は生産途中で戦闘室を中央から後部に移したけども、名称は変えられる事はなかった。生産中止の理由は、このマルダー3は防御力がなく防御力をもつヘッツァーが登場したからだった。ただ、常に不足していた対戦車戦力の一翼を担い、防御力の無さに泣かされつつも終戦まで活躍している。


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