3/4号対戦車自走砲"ナスホルン"

全長:        8.44m
車体長:       ?.??m
全幅:        2.86m
全高:        2.65m
重量:          24t
装甲:      最大12mm
乗員数:        5名
武装:71口径88mm砲×1
    7.92mm機関銃×1
動力:マイバッハ
    300馬力ガソリン機関
走行性能:最大速度:42km/h
       航続距離:215km
総生産台数:494両
 1941年6月22日にドイツ軍はソビエトに侵攻し(このセリフ書き飽きたな(笑))破竹の快進撃を続けた。ただ、少しではあるがその快進撃を止めた戦車があった。T-34戦車とKV-1重戦車だった。対抗するには88mm高射砲しかなく、当時の主力対戦車砲の37mm対戦車砲では相手にならず新鋭の50mm対戦車砲でも苦しい戦いとなっていった。1941年末までには75mm対戦車砲が戦場に登場した。これは上記ソビエト新鋭戦車を正面から撃破できる対戦車砲ではあったけども、「互角に戦える」というだけで絶対的に優位にたったわけではなかった。
 1942年2月にヒトラーから「88mm対戦車砲を搭載した車両を作れ」と指令がだされてこのナスホルンは開発された。1号戦車や2号戦車には高射砲(71口径88mm砲)を搭載するのは無理だった。ただ1941年から3号戦車と4号戦車を組み合わせた車体の研究が行われていた。理由は構造が全く異なっている3号戦車と4号戦車をバラバラに生産するよりは1つにまとめて砲塔の変更で用途を分けるべきだというのが理由と思われる。この3/4号車体(個人の造語)をつかって、自走砲の”フンメル”が開発中だという事もあり、このナスホルンも同じく3/4号車体を使う事となった。なお3/4号車体を使ったのは上記2種のみだった。
 さて、1943年には完成し、来るべき決戦に備えて量産が開始された。来るべき決戦は史上最大の決戦となるクルスク戦であるが、この作戦の開始は当初5月だったけども、新型装甲車両の投入を待ったため7月にずれ込ませた。その新型装甲車両にはこのナスホルンも含まれていた。100両ほどが急いで整備されクルスク戦線まで送られた。
 で、肝心のクルスク戦での戦果は資料がないのでよく分からない。ただ、71口径88mm砲の威力は強大で、1000mの距離なら当時のどのソビエト戦車でも真正面から撃破できた。ただ、欠点といえば、オープントップなので上からの攻撃に弱いのと、あと、これが最大の欠点なのだが、戦闘室の装甲が12mmしかなかった。まぁ、動く対戦車砲なので、それでも十分だったのかもしれないが(牽引対戦車砲の防盾はもっと薄い)最前線の機動戦で使う分には装甲はあまりにも薄すぎた。当時のソビエト軍歩兵の標準対戦車ライフル(14.5mm)でも十分脅威だった。
 実戦での評判も上記の理由でさほどは高くなかったと考えられるが、大砲の威力は文句はなく、それなりに活躍はしている。結局494両が生産され(594両という資料もある)主に東部戦線で使用されている。
 余談ながら、当初、この対戦車自走砲は”ホルニッセ”(スズメバチ)と命名されていた。自走砲には虫の名前がよく付けられていたのが理由だけど、ヒトラーが強引に”ナスホルン”(サイ)と改名した。動物の名前は戦車に付けられる名前だけども、これからわかるように、ヒトラーは対戦車戦力として相当の期待をしていたのだろうと考えられる。


 車体は上で書いたように3号戦車と4号戦車を共通化した車体を使用しているけども、外見上は4号戦車に似ている。転輪が8個あるためで、リーフスプリング式で旧式の感は否めないけども、車体が広く取れる利点があった。ただ、オープントップなので車体を広くしても意味は低いような気もしなくもない。外見上は自走砲の”フンメル”と大砲をほぼ同じだけども、大砲の口径(砲口の口径)が違っている上にフンメルには大砲にマズルブレーキがないので写真での識別は容易。武装は71口径88mm砲で攻撃力に限って言えばティーガー2重戦車と同じだった。また、初陣のクルスク戦に同じく初陣で大砲も同じ71口径88mm砲を搭載していた”フェルディナンド”(エレファント)は対称的に正面装甲200mmと重装甲だった。しかし機動性は劣悪だった。クルスク戦ではナスホルンは防御力が弱く、エレファントは機動性が劣悪という対称的な欠点を抱えて両方とも大活躍とはいかなかった。結局、両方(機動性と装甲)を兼ね備えた駆逐戦車が開発されるにいたるけども、クルスク戦以降生産される事はなかったエレファントとは違い、少数ながらナスホルンは生産継続されているので、それなりには使えたのだろう。


一覧に戻る