4号対空戦車(オストヴィンド)

全長:        5.92m
車体長:       5.92m
全幅:        2.95m
全高:        3.00m
重量:         25.0t
乗員数:        ?名
武装:37mm機関砲×1
    7.92mm機関銃×1
動力:マイバッハ
    300馬力ガソリン機関
走行性能:最大速度:38km/h
       航続距離:???km
総生産台数:43両
 第2次世界大戦の後半になってくると、ドイツの旗色も悪くなった。特に1943年9月にイタリアが降伏すると、ドイツは単独で連合軍に挑まなければならなかった。1944年6月以降は西側連合軍はユーロ平原の飛行場をつかうようになると、ドイツ軍上空を我が物顔で飛び、動くものなら何でも(たとえ味方でも)銃撃を加えるほどになった。かくして、対空戦車の需要は急速に増していった。需要は増したものの、1から作るヒマはない。かといって戦車の生産ラインから車体を拝借するほど戦車生産力も裕福ではなかった。

 まず、オストウィンド(東風)の前身であるヴィルベルヴィンド(つむじ風)という対空戦車が作られた。これは修理目的でドイツ本国に送られた4号戦車の砲塔を外してその上に6面体の装甲を設けてスリッドをつけて4連装の20mm対空機関砲を乗せたものだった。メーベルワーゲンと違って、射撃中でも装甲で覆われているので(ただし、上面はガラ空き)防御の面では進歩していた。
 搭載した4連装の20mm対空機関砲は制式名称を”2cm Flakvierling 38”といい、日本語にベタ訳せば「38型2センチ対空機銃」となる(ドイツでは30mm以上を「砲」と定義していたため後継20mmのこの機関砲は分類上は「銃」となる)。この4連装20mm機関砲自体の戦闘重量(輸送に必要な車輪などを除く重量)が1509kgと大砲なみの重量だった。給弾は20発入り弾倉式で、発射速度は1門あたり450発/分。つまり4連装なので、1秒に30発も撃ちこめる計算になる。120gの重量の弾丸を初速830m/sの高初速で発射した。銃身長は1300mmで大砲表記にすれば60口径20mm機関砲となる。連合軍航空機にとってこの対空機関砲は「魔の4連装」と恐れられた。
 ただし、思わぬ欠点があった。砲塔は上で書いたように4連装の20mm機関砲を乗せたものだけども、この乗せる際に砲塔旋回用のモーターを取り払ったため、砲塔旋回は手動で行っていた。そのため、低空を高速で飛ぶ航空機には旋回が追いつけなかった。始末の悪いことに、この頃の連合軍の地上攻撃機は、アメリカ軍がP-47サンダーボルト(最高速度690km/h)やイギリス軍がタイフーン攻撃機(最高速度650km/h)と高速の機体を使ってきていた。低空を最高速度で飛ぶ事はまずないけども、共に500km/h前後の速度で攻撃していたから、射撃が追いつく筈もなかった。余談ながら欧州各国共同開発のユーロファイターの名称が「タイフーン」に決まったけども、これにはドイツが強く反対していた。これは、上で書いているイギリス軍のタイフーン攻撃機と名前が同じであるからというのが理由で、それだけいやがるほど、ドイツはタイフーン攻撃機にやられまくっていた。
 そこで、敵をアウトレンジしてしまおうという考えがあるけども、20mm機関砲では射程が短く(有効射程は1200m程度)また、1発の威力も弱かった。特に上記の連合軍地上攻撃機の装甲はますます厚くなってきており、やはり1発でしとめるには20mm機関砲では役不足だった。

 このヴィルベルヴィンドの後継機種がオストウィンドだった。4連装20mm対空機関砲を37mm対空機関砲に変えただけだった。この37mm対空機関砲の詳細はメーベルワーゲンの項に譲るとして、これで威力は増したものの、射撃速度が極端に落ちた。毎分150発の発射速度なので、実際、射撃時には発射数を数える事ができた。また、装弾数も8発クリップ方式でようは弾倉式ではなく、砲弾が露出したまま8発くっついていた。そのため戦場では泥や埃がこびりついて作動不良が多発したのではないかと想像されるけども、どうだったのだろうか?。ともあれ、初速は820m/sと20mm機銃とほぼ同じで砲弾重量は556gと4.5倍になっていたから、威力は絶大で、当たり所が悪くなければ1発で撃墜できた。また、有効射程も倍以上になったので、それなりに有効な対空兵器となった。配備先はメーベルワーゲンと同様で、戦車連隊の対空小隊に配備された。どの程度活躍したかは不明だけど、もはや対空火器の優劣で戦局が好転する状況ではすでになくなっていた。生産数はヴィルベルヴィンドが86両でオストヴィンドが43両だった。残念ながら数もそろわなかったのだった。

 オストヴィンドの欠点としては、同じ対空機関砲を装備したメーベルワーゲンと違って上を除く全周に装甲が施されていたけども写真を見る限りでは10mm前後の装甲しかなく、戦闘機の機関銃弾を食らえば一たまりもないのではないかと思える。砲塔は結構狭く、その狭い砲塔に3名が乗員したため、乗員は窮屈な思いをしたのではなかろうか?また、戦車の大砲と違って、連発して撃つので、弾の装填やら薬莢を外に出すやらの作業を狭い車内でやるのはすごく大変ではなかったのだろうか?それが欠点といえば欠点だったと思える。


一覧に戻る